差し出されたものは何でも受け取った。花も優しさも手も笑顔も。思わず無理をしないでと言ってしまいそうなほどの厚意の群れは、秋が静止を促した瞬間散り散りになって吹雪を絶望に突き落としていたことだろう。そういう意味では、秋の選択は確かに優しさだった。拒まれない厚意が秋に触れた瞬間、ほっと安堵した息を漏らす吹雪に気付かないほど彼女は相手に対して無関心ではなかった。
 女の子には無差別に優しさをばらまき、またその跳ね返りとして自身への優しさを期待する吹雪は秋にだけはどこかおかしな態度を見せていた。跳ね返りを期待するよりも先に押し付けて逃げ出すような、そんな仕草。駆けて行く吹雪の背中に手を伸ばしながら、何も言えないままその手を下ろす。何度も、何度も同じことを繰り返して秋も理解する。厚意と好意の変換は容易い。本質を見抜かず本人の思い込みさえ強めて行けるのならばより一層。吹雪はきっと、厚意しかなかったのだ。それだけを理解した時、秋は吹雪を拒もうとはしなかったし、する必要もないと考えた。傷つけあわずに優しくあれるのならばそれはとても素敵なことだと思っていたし、吹雪がどんな意図を持って秋に様々なものを差し出してくるのか。そこにまでは考えを及ばすことはなく。ただ仲間として傍にいる人間との友好的関係は大事なものだとしか、その時の秋は考えていなかった。


 目の前でぽろぽろと大粒の涙を零しながら立ち尽くしている吹雪を、秋は駆け寄って声を掛けるよりも先に彼の姿を見てぼんやりと綺麗だなと感じていた。しかしそれも一瞬のことで、次にはもうぐらぐらと不安定な迷子のように頼りない印象へと変化し秋は慌てて吹雪へ駆け寄った。同学年の男の子の中では小柄な吹雪の顔を覗き込む。まん丸の瞳が涙の膜で覆われて水底に落下したかのごとくゆらゆらと揺れていた。出会った頃は沖縄の日差しに汗だくになりながらも外そうとしなかったマフラーが巻かれていた。きっとそれはこんな風に吹雪が流す大粒の涙が降り注いでもしっかりと受け止めていたことだろう。ひとりぼっちに縮こまる少年を抱き締めるような、とても大切だった、それ。今はもう涼しげな首元に掠ることもなく、頬を伝い落ちる涙は地面に吸いこまれていく。ポケットからハンカチを取り出して拭おうとしても、両の目から流れ続ける涙は秋一人では止められなかった。
「どうしたの?具合悪いの?」
「ううん、何でもないよ。大丈夫」
 未だに涙を流しながらも、吹雪の声は穏やかに響いた。嗚咽もなく、乱れることのない呼吸。ただ溢れる水滴たちに、吹雪自身どうしたのと問いかけたくてたまらなかった。弱虫で、怖がりで痛がりの心は時折吹雪をひとりぼっちだった頃の我儘な自分に巻き戻す。父親も母親も敦也もいない。たったひとりで生きてきたという自負。見ず知らずの他人が優しくしてくれる筈はないという思い込みと経験。周囲に期待することなく自分が完璧であればいいという立場の中、吹雪は狭い世界の中で一握りの友情を頼みに生きていた。そんな彼をひっぱり出す手は、思いがけない場所から伸ばされた。北海道から出たことのなかった吹雪は、勿論大人数の他人と長期間行動を共にするということさえ殆ど経験したことがなかった。仲間という認識だけで耐え忍ぶには圧倒的なアウェーという意識。他者への関心はそう高くないが必要最低限の情報として仲間という集団を分解しパーソナルとして理解しなければならなかった。だって、女の子だけならへらりと笑えば優しくしてもらったりしてやりすごせるけれど、男の子ばっかりということはそれだけでやりにくいのだからという当時の吹雪の考え方に真っ向から噛みつく人間は染岡くらいだったけれど。しかし吹雪に微笑まれた女の子が彼に優しくしてくれるということは、彼女らが吹雪を男の子として見ているから。優しさは、怖い。だから、吹雪が出会ったマネージャーという女の子たちの優しさは最初吹雪を怯ませたし、マネージャーの優しさは業務と表裏一体なものだと慣れるまで少しだけ時間が必要だった。その必要な時間を経て、ひとりぼっちに震え凍えそうだと己を抱き締めるように蹲っていた吹雪に、春の日差しのような温かさが照ってきて、彼は思わず吸い寄せられるようにそれに近づいてしまった。木野秋というマネージャーが差し出してきた優しさは、吹雪がこれまで大勢の女の子たちから受け取って来たものとは違う、けれど懐かしい気配が漂っていた。
 ――母さん?
 一度だけ、不用意な口が声を漏らした。面影が合ったわけではない。容姿なら、吹雪こそが自身の母親の影を受け継いでいる。ただ秋の微笑む口元だとか、食事の準備から後片付けに勤しむ後姿だとか、練習中に円堂や監督と打ち合わせしている姿だとか諸々を見つめている内に、吹雪は秋を母親の様だと理解した。だがその認識が、吹雪にはどうしても窮屈で苦しかった。二度と還らない母親の影を生きて目の前にいるという理由だけで赤の他人に求めるということが、吹雪にはひどく不誠実で親不孝な行いのように思われた。そしてそんな自分は誰からも軽蔑されて愛して貰えないのではないかと怯えた。それはつまり、ひとりぼっちということだ。やっとひとりじゃないと一歩を踏み出して変わり始めたというのに。
 だから吹雪は意地になった。秋は断じて母親ではない、近しくもない女の子なのだと。証明する為に、吹雪は兎に角秋に優しくされるよりも先に優しくしてしまえば良いのだと思った。ボールの後片付けやドリンク、タオルを運ぶことから綺麗な花を贈ってみたり。秋がお使いに出掛ける時は同行して荷物を持ったり手を繋ごうと申し出てみたり。秋は、突然の吹雪の変化に初めこそ戸惑っていたようだけれど、決して彼が差し出すものを拒んだりはしなかった。拒む間もなく押し付けられた行為も沢山あったから、彼女の方も妥協と慣れを覚えたのかもしれない。しかしそれは確かに吹雪を安堵させた。周囲には逆に「親子のようだね」と言われて落ち込んだりもしたけれど、吹雪の中での踏ん切りは着いた。
 けれど。
 押し付けた優しさが、母親でない女の子に向かっていたという事実が意味することを、吹雪は母親という一語に固執するあまりに見失っていた。どうでも良いと切り捨てて、距離を置くという手段があったことすら見落として、吹雪は秋に近付き過ぎた。気が付いたら吹雪の瞳からはぼたぼたと涙が溢れて止まらなくなってしまった。だから、吹雪はめそめそと泣きながら遅々としか進まない足を引きずって秋の元までやって来た。
 ――母さんなら、抱き締めてくれて、頭を撫でてくれて、大丈夫だよって笑ってくれるんだ。だけど違う、木野さんは違う、母さんじゃない。違う違う違う違う違う違う違う!――だって、僕は。
 至近距離で、秋はまだ吹雪の顔を心配そうに覗き込んでいる。抱き締めてはくれない。頭も撫でてくれない。大丈夫だと言ったのは吹雪の方。秋は、吹雪のお母さんではないのだから、その全てをするはずもない。それが、当たり前のことだった。
「…木野さんは、」
「うん」
「お母さんみたいだよね」
「――え?」
「だから僕は、木野さんに優しくしなきゃって思ったんだ」
「…お母さんだから?」
「違う、違う。だって僕は、木野さんにだけはお母さんみたいだなんて思いたくなくて、だから――」
「吹雪君?」
「…僕は木野さんを――秋さんを、本当に女の子として好きなんだって、証明しなくちゃいけなかったんだ」
 他の誰でもない、秋ですらない吹雪自身の為に。その証明は必要だった。優しいだけの女の子なら、吹雪の周りにはいくらでもいた。そういった女の子たちに、吹雪は優しさ以外の何も必要だとは思っていなかったし存在自体そもそも求めてはいなかったのだ。だから、秋は違うと信じたかった。けれど信じるだけの根拠がなかった。その為の厚意の押し付けは、吹雪を臆病者だと証明することにも繋がって痛かった。全て差し出しつくして拒まれたら、それこそもう自分は孤独に生きるしかなくなってしまうのではないかと。
 それでも秋は受け取った。吹雪から差し出された花も優しさも手も笑顔も。では、気持ちはどうするのか。秋は逡巡する。短い、けれど慎重に深い思考。そして選んだのは、「ありがとう」という言葉と抱擁。厚意と好意の変換は容易い。厚意しかなかった吹雪の根底は、拒まれることに怯える好意だった。ならば自分のその認識もまた、好意が厚意でしかなかったことへの落胆と恐怖による予防線だったのだろう。だって嬉しかったから。吹雪が差し出してくれたもの全てが。
「――ねえ吹雪君」
「……何?」
「大好き」
 その言葉に、吹雪の涙は漸く止まりそして。くしゃりと破顔すると同時に背中に回された腕の感触を確かめながら、秋はもう一度小さく「大好き」と呟いた。次いで吹雪から同じ言葉が返されることを、どこか確信めいた予感を覚えながら。



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Title by『ハルシアン』





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