その日小鳥遊のクラスに転入してきた少年は、ミストレーネ・カルスという明らかに日本人ではない名前を澱みなく名乗り上げ、少女のような可愛らしい顔に愛想のよい笑顔を浮かべながら一言「短い間ですがどうぞよろしく」と言った。クラス中の視線を集めながら全く物怖じも恥じらいも浮かべないその様は普段から他人の視線を集めるのは慣れていますと言われているようで、小鳥遊は机に肘を付き手に顎を乗せながら何となくいけ好かない野郎だなと見定めて、それからもう暫くクラスの話題をかっさらうであろう転入生には興味を失くして窓の外に視線を移しぼんやりと流れていく雲を眺めていた。あれが可愛らしいお顔通りの女の子であったのならば、毎日こっそりと目の保養として眺めるくらいはしようと思ったのにと妙なことを残念に思いながら。
 数日後、見事何人かのクラスメイトに囲まれているミストレを、小鳥遊の後ろの席に座る女子生徒は頬を染めながら「ミストレーネ君、クラスに馴染めたみたいで良かったね」と更にその後ろの席に座る女子生徒と見つめながら囁き合っていた。休み時間、騒がしい教室。机に突っ伏して仮眠を取ろうとしながらも聞こえてきたその声に、小鳥遊はひとり心の中でお前はあいつの何なのだと毒を吐く。直接見なくてもわかる、顔にぴったりの愛想笑いを浮かべているのだろう。あれは馴染んでいるのではなく慣れただけだ。特別認識を深める必要のない有象無象の中に自分と言うたったひとりの特別を置くことに慣れた、それだけのこと。小鳥遊にすれば、自分を含め人間全般に対して無感動であり無関心である為容姿、能力、家柄等々どれが、もしくは全てが優れていたとしてもミストレが特別に映ることはなくもてはやす程の価値がある人間だとは思えない。サッカーが上手いならば、頭の片隅にくらいにはその情報をインプットするのだろうが、今の所そういった会話をクラスメイトたちと交わしていた記憶はない。聞き耳を立てる気も全くないのだから当然と言えば当然の結果だった。小鳥遊と正反対の様でどこか似ているミストレの様は本人の口からそう思っていると確認したものではない。小鳥遊の嗅覚が敏感にそれを察知した。近付けば確実に心の不利益を被るという同族嫌悪と防衛本能。だから小鳥遊のミストレーネ・カルスに対するいけ好かないという印象は日に日にその色を濃く深めて行っているのである。そしてその印象を一方的過ぎると反省することも疑問に思うこともなく、小鳥遊は彼がこのクラスに転入して来てから一度も喋っていなかった。そのことが、逆に自分を特別視するミストレからすると目につく事態に発展していくということを彼女は全く自覚していなかった。


 放課後、小鳥遊はクラスメイトが部活なり帰宅の途に着きがらんとした教室にひとり、自らの席に座りながらぼんやりと窓の外を眺めていた。彼女の席は窓際で、橙色の空の向こうは段々と紫紺の夜が近付いてきていた。最後の授業の終了間際、襲い来る眠気にもっと真剣に抗っていれば自分もとっくに自宅に帰って寛いでいただろうに。呆れてみても、特別自宅の居心地がいいとも思っていないことに気付く。利点は堅苦しい制服を着ないでもいい点くらいか。とはいえいつまでも教室にいるより自宅の方がよっぽどましなのだし、間もなく最終下校時刻にも達する時計の針の音が耳障りな程にやけに耳に響いて聞こえる。さっさと帰れと急かされるように。そうなると、小鳥遊は見知らぬ力に自分の行動を強制されているような気がして意固地になってしまう。何て面倒な性格なんだろうと嘆くこともある。しかし大抵最後にはこれが私だものと諦めるしかない。別に小鳥遊は今の自分が嫌いという訳ではないのだから。

「へえ、まだ帰ってなかったんだ」

 帰ろうか、帰るまいか。それが大問題だと悩むまでもないだろうと普通ならば理解できることを悶々と考え込んでいた小鳥遊に声が掛かる。反射的に「うげっ」と嫌悪を滲ませた声を漏らしてしまう。ということは、表情もそれに倣って歪んでいることだろう。薄暗い教室は扉の元に立つ人物に小鳥遊の表情を逆光で翳らせていても彼は、ミストレーネ・カルスは小鳥遊の反応を見事に掬って晒して嗤ってみせるのだろう。向けられる嫌悪すら踏み躙って。その為の、秀麗な微笑と物腰なのだ。本性とかけ離れていた方が、相手に近付き揺さぶり痛めつけるにはより上等な武器となる。そのあざとさが小鳥遊には気に入らない。彼女の場合、他人と関わる場合痛めつけるくらいが精々なので、作り笑いなんて生まれてこの方丹精に拵えたことなどなかったので余計に。
 小鳥遊の反応を楽しんだミストレは、その反応に文句をつけるでもなくただ教室に一歩足を踏み入れた。ここは彼の在籍するクラスでもあるから何の不思議も問題もない行為を、小鳥遊はひどく腹立たしい行為のように感じながら睨みつけては関わり合いが増えると意識して目線を逸らした。机の横に掛かった鞄を手にしてミストレがさっさと出て行ってくれるならばそれが一番いい。あと数分教室に縛られたとて何の苦痛もない。だが事態は彼女が望んだ方向へは進んでくれなかった。ミストレは何故か小鳥遊の前の席を陣取って、彼女に話し掛けてきたのである。予想外の最悪に、小鳥遊も流石に驚いて目を見開いた。

「…何でそこ座ってんの」
「何でって、俺あんたの後ろの席の女嫌いなんだよね。馴れ馴れしいっていうか、勝手に群がってくることを優しくしてやってるって思い上がってる感じ?お前は俺の何なんだっつー感じ」
「ああ」
「へえ、納得するんだ」
「あんたは自分以外見下してるのに頑張るこったとは思ってたからね」
「何だそれウケる―!」

 同じ女子である小鳥遊の発言がツボに入ったのか、ミストレは彼女の机を叩きながら心底愉快だと笑っている。それは普段の仮面ではなく素の様だが、内容が内容なだけにやはりこいつは人でなしの部類だなと小鳥遊は認識を新たにマイナス方向に深めた。咎められるような高尚な人間ではないし、そう気取っている連中の方がよほど無意識に他人を見下している者だとは思うけれど。しかし不思議なものだ。ミストレはきっと、他人の力など借りずとも人間社会で生きていく中の優秀という枠から漏れることなく生きて行けるだけの力を持っている。学力も、体力も。人望だけは偽りで吸い寄せた者だがそれでも偽物なのはミストレの方で集まった人たちの感情までをも否定することはできない。そんな人間が、自分以外ゴミ、カス、クソとまで思っていそうなミストレが。へらへらと本性を隠して大勢に混じって生活していることが、小鳥遊には面倒以外の何物でもないだろうにとしか思えないのだ。生きやすいように、自分のやりたいように。その為だけの努力で、人生だと思っているから。他人の為になど、生きられないし、他人が自分の為に生きてくれるとは思っていない。その徹底した自己と他者との線引きだけは、自分とミストレは似通っていると、勝手ながらにでは確信していた小鳥遊は何となくその旨を本人に尋ねてしまっていた。
 ――何故ひとりでいないの。必要ないくせに、群がらせて。
 ミストレは予想外だと、小鳥遊の前に座った際の彼女のように瞳を見開いて見せた。口元に手を添えて、そんな風に思われていたのかと、これまで一度も言葉も交わさなかった、徹底的な無関心を貫こうとした彼女を揶揄するような笑みを浮かべて。当然小鳥遊の眉は不快に歪むが、答えを貰うまでは反撃は封じる。最初で最後の会話かもしれないから。我ながら、一度毛嫌いした人間にはいつまでもその印象を抱き続けるのは初志貫徹と褒めるべきか単に頭が固いと嘆くべきなのかはっきりとしない。だが良いだろう、困ったことはない。

「楽しいからかな」
「楽しい?何が?」
「暇潰しに潜り込んだ学校だしね。好き放題暴れまわるのも良いんだけど、あまりに呑気で平穏で逆に興味があるね。どう馴れ合って生きて行けば俺たちに繋がるんだろうって」
「―――は?」
「俺はね、未来から来たんだ」

 軽口を叩くような、この教室でお馴染みのものではなく、自分以外の全てを侮蔑する笑みを湛えながらミストレは自分の住所を打ち明けるようなテンポでとんでもないことを言ってのけた。小鳥遊は、何故ここでそんな嘘を吐くのかが理解できずに無言でミストレの顔を真正面から見つめる。勿論初めてのこと。やはり綺麗な顔をしている、それくらいしか感想は浮かんでこない。これだけ綺麗なら、確かに未来人といわれて納得かもしれない。未来では人間は妙な方向に進化して皆容姿端麗に生まれるよう遺伝子を操作する可能性だって無きにしもあらずだがミストレの美貌が平均値ではこんな歪んだ性格は完成しないなと小鳥遊は自分の妄想を直ぐに否定した。未来人が皆こんな性格だったら残念過ぎるだろう。
「…あんた毎日未来から登校してんの?」
 漸く返した言葉は、一寸ばかし頓珍漢で。ミストレはまたしても予想外の反応にその美貌を間抜けに崩して、それからそのまま大爆笑し始めた。実際は、とある任務で過去に派遣された後時間が余ったので未来に影響が出ないレベルで自由行動が許された為、偶々通りかかったこの学校に潜り込んだのでミストレは過去に駐在している。毎朝起きて学校に行ってきますと玄関を出る要領で時間を超えるのは流石に酷だよとは真面目に返答はしない。未来の話ほど現代人にとって無意味なものはないのだ。だから。

「ねえねえ、えーとタカナシシノブちゃんだっけ?」
「合ってるけどちゃん付けはキモイから禁止な。苗字で呼べ」
「けち臭いな。まあいいや。ねえ小鳥遊、俺お前のこと結構気に入ったよ」
「はあ?」
「短い間になるだろうけど仲良くしよう」
「断固拒否」

 小鳥遊の頑なな拒否にもミストレはにこにこと生き生きした笑みを浮かべながら追い詰めていく。最終的には携帯を奪われアドレス交換という絶望的な儀式を行い彼は上機嫌で手を振りながら「また明日」と言い残して帰って行った。言いたい放題言いきって、小鳥遊の意見などまるで聞き入れやしない。蔑にされるとはこのことで、小鳥遊はだから他人なんてと顔を顰める。未来からやって来たという彼の言葉を信じたわけではないがそれ故の「短い間」ならばさっさと未来に帰ってしまえと悪態をつく。
 あんな奴、大嫌いだ。
 それでも小鳥遊は登録されたばかりのアドレスと拒否設定にはしなかった。それはただ、単純に面倒だから、ということになっている。



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