言い訳ならばきっと膨大に用意できる筈だった。最たるものに歳の差を上げるのは、ずるいと知りながらも防衛本能に従えばもっとも有効な壁となって自分を守ってくれる筈だった。筈だったのに。そんな後悔じみた感情に支配されながら瞳子はついと考える。果たして自分が彼に向ける想いは恋愛の類と断じて良いものかと。嘗ては自分の庇護下にもいたような、そんな子どもだと思ってきた。大人になっても子どもは子どもなのと、まるで親のように言い聞かせられるくらいの愛情は惜しみなく注いできたつもりで。その愛は親愛とだけ呼んでお日さま園という囲いの中で全ての子どもたちに平等に向けられるものだった。血の繋がりを彷彿とさせた面影に、一時近寄り過ぎたこともあったけれど。それはそれで、今はもう一応決着したこと。
 そんな風に、瞳子が躊躇わず弟や妹の様だと断言できた存在の中にたった一人熱の違う愛情を向けてきた人間が砂木沼治だった。当然困惑以外の感情を抱くことは容易ではなく、将来としてお日さま園に関わっていくことを選んだ瞳子と、この先お日さま園から旅立って多様な未来を選べる砂木沼とでは見ている世界が違うように思えた。世界は一つしかないと食い下がる砂木沼に、瞳子は案外子どもみたいなことを言うのだなと、彼を子ども扱いして引き離そうとしているくせにと矛盾した考えを抱いたことを覚えている。ハイソルジャー計画なんて物騒な大人の我儘に付き合わされた面子の中では最年長で、そのくせ年下が偉ぶる立場に置かれていた所為か、面倒を見たり顔を立てたりと必要以上の気遣いをしながら生きてきたのも一因なのか。勝手ながら、成程年上に恋をしそうな人種だなと勝手な分類もしたものだ。これも結局朧気ながらの、もはや過去。
 性根が真っ直ぐなのだといつからか自覚した。澄ました振りをしても、根底を覆すことは大人になってしまえば早々容易いことではないのだ。だからきっと、諸々の葛藤を振り切って受け入れる覚悟さえ決めてしまえばあとは突き進むだけなのだろう。けれどその決意とやらがなかなか難しいのだと瞳子は息を吐く。段々と、経験として一番手の掛かった世代がお日さま園を旅立つ頃、何人かは吉良財閥に携わる形でお日さま園との繋がりを残し、何人かはあの頃は全く予想もしなかった方向へ向かって歩き出して行った。どちらであるにせよ、笑って見送ってあげようと決めていた。多少の涙は歳の所為にすれば誤魔化せるだろう。そう冗談を零せば砂木沼は「まだそんな歳ではないでしょう」と戸惑った表情で答えるから、瞳子は「お世辞でしょう」と揶揄することも出来なかった。冗談が通じないというより、瞳子がそういう戯れをしないと思っているのかもしれない。そう思い込ませるだけの壁を作って来たのはきっと自分の方なのだろう。時間が流れるにつれ、瞳子は砂木沼を含め自分たちをどこか客観的に眺められるようになってきた。嫌いな訳ではない。好きだとは思う。愛しいとも。だけどもそれは、この先光ある未来が待っている筈の若者を自分の元に引き寄せて置きたいと、傲慢なまでに願い続けられるほどの想いだろうかと自問すると答えに窮してしまう。歳を取るということは憶病になるということなのかもしれない。かといって瞳子が若い頃冒険心に富んでいたかというとそうでもなく。しかし半ば勢いで雷門イレブンの監督まで務め上げたことを思えばそれなりに謳歌したものがあるのだろう。当時は苦悩の真っ只中でこんな風に穏やかな気持ちで振り返る日々が、未来がやってくるなんて思ってもいなかったけれど。そうやって回顧を繰り返すたび、やはり砂木沼は自分よりも子どもだったのだというスタート地点近くに舞い戻ってしまう。困ったものだ。
 件の彼はといえば最近では聖堂山だかいう中学校でサッカー部のコーチをしているらしい。「中学校のサッカー部にコーチなんているのかしら」と呟けば今では戸籍上でも弟になったヒロトが「割といるらしいよ」となんてことなしに答えた。それから「今ではサッカーが子ども社会の物差しだからどこも必死に力を注いでいるんだよ」とも教えてくれた。成程、と瞳子は頷く。確かにここ十年でサッカーの社会的価値は急上昇したと言っていいだろう。ただ、その上昇という言葉が示す上が良の意味を含んでいるかは判じ難い。フィフスセクターなんて、怪しげな組織が台頭してまたしても大人の我儘に子どもたちが振り回されているのかと思うと今や無関係の位置にいる瞳子まで嘗ての父の過ちを思い出してしまって沈鬱な気持ちになるというのに。そしてよりにもよって砂木沼はそのフィフスセクターと近しい学校のコーチを務めているという。最初は物言いしたくなる気持ちもあったが、瞳子はそのことには触れなかった。真っ直ぐ大人になった彼等だから、きっと大丈夫と根拠のない自信を抱いて見守っていた。そのことを砂木沼がどう思っていたのか、それは瞳子の預かり知らぬことだった。

「結婚してくれませんか」

 遠くからそっと見守るポジションに甘んじようとした瞳子の企みを瓦解させるような衝撃的な言葉が砂木沼から放たれたのはホーリーロードの決勝が終わってから数日後のことだった。聖堂山のコーチをしていた砂木沼からすれば納得いかない部分も多々ある結果だったろうに、この先のサッカー少年たちの未来が明るく拓かれたことを思えば清々しい気持ちの方が勝っているようで、そんな彼の態度に安堵していた矢先のことだった。
 「好き」というはぐらかしようのある言葉とは違い、イエスかノーかで答えるしかないのだろう。少なくとも、砂木沼はそんな明瞭な言葉を望んでいる。だから瞳子は考える。言い訳ではなく、自分が取るべき行動を。取りたいと思う本音との兼ね合いを。子どもだからとかわしつづけた間に、その子どもは立派な大人になってしまった。小説のように熱を上げる恋をひた走ることは瞳子には出来ないけれど、それでも想い続けてくれる砂木沼に抱く好意は確かに存在しているのだ。方向性を定めていないせいで、上手く形容することが出来ないだけ。

「…砂木沼君」
「――はい」
「砂木沼瞳子というのはちょっと、語呂が悪いと思うわ」
「…そうですか?」
「そうよ。でも吉良治というのもねえ、いえでも砂木沼瞳子に比べればマシかしら?」
「あの…瞳子さん?」
「その辺りも含めて色々相談して決めていきましょうか。砂木沼君?」

 茶化すように、微笑に乗せた言葉の返事は正しく砂木沼に届くだろうか。突然のプロポーズに、歓喜に頬を染めて涙を浮かべて「喜んで!」と応じられるほど、瞳子は恋にも結婚にも夢を抱いてはいないのだ。だけどそれを言うなら、こんなムードの欠片もないお日さま園のリビングで向かい合ってお茶を飲んでいる最中にプロポーズをするような砂木沼もそういった方面の器用さが欠如しているに違いない。そういう意味では、お似合いだろうか。不器用過ぎて、駄目かもと冷静な第三者がいたら頭を抱えるかもしれないけれど。
 それでも。十数年越しの恋愛がやっと一歩を踏み出したのだから、これを劇的と言わないで何と言うのか。昼下がりの一室、どこから見ても大人の男女が向かい合って頬を染めて恥じらっている姿なんて、お日さま園の面子からすればどことなく奇妙なものなのだったけれどどうやら二人して幸せそうだったから誰も割り込んでこなかった。
 取り敢えず、結婚するまでに手くらいは繋いでおきたい。


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Title by『ダボスへ』




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