一度でも理解できないと思ってしまったことを深く探求しようとする必要はないと一之瀬は思っている。もしも踏み込んで、そこが底なしの泥沼だったら一体どうすれば良いというのだ。だから他人から寄越される何故、どうして、ホワイ、そんな感じのエトセトラを一之瀬はいつだって見事に躱しきって見せた。好意は好意以外の何物でもないのだからと、恋人との恋愛など事細かに他人に打ち明ける必要はなく、また万人の祝福を取り付けることもない。一之瀬一哉は生憎紳士ではなかったから。論争も修羅場も説明も抗議もすり抜けて、立派な人間として生きていた。そんな彼が。

「どうしてなんだ…!」

 そう呻いてロッカールームの冷えた床に倒れ込むのを、土門をはじめとするアメリカ代表のチームメイトたちはどうしたどうしたと見守っていた。「持病か!?」という素っ頓狂な悲鳴には、キャプテンであるマークが「カズヤのアレは事故の後遺症で病気じゃないしこの間完治おめでとうパーティーしてそこで俺の全財産持って行ったんだからそんなんであってたまるか」と笑顔で吐き捨てていた。そんなマークの態度にディランが「器が小さいね!」などと余計なリアクションを示すものだからロッカールームは一気に騒然とし始め、冷静で賢い人間はそれじゃあと一足先に家路についた。結局、一之瀬の様子を伺ってくれる心優しい人間は土門しかいなかった。一之瀬はそんな心優しい人間をお人好しだと呆れて見せるのだから失礼な話である。

「一之瀬どうした?」
「――リカが、」
「うん」
「あと一時間でアメリカに着く」
「はあ!?」

 サッカーのグラウンドを離れては滅多に聞かない土門の大声に、騒いでいたチームメイトたちもぴたりと動きを止めてしまった。慌てて気にしないで続けてくれと言われてもその場の空気で盛り上がっていただけなので具体的に何かをしていた訳ではない。結果的に皆一之瀬にお大事にという的外れな言葉を残して帰って行った。一之瀬が消え入りそうな声で「薄情者どもめ」と呟いたことなど土門には聞こえない、ということにしておく。
 右手に携帯を握りしめ、一之瀬は打ちひしがれた姿勢のまま再度「どうしてなんだ」繰り返した。そんなこと知る由もないだろうと土門も正直もう帰りたいのだが、愛しいと言いきれるとはいえ一人の女の子にこうも振り回される幼馴染が奇特でつい口を挟んでしまう。
 完全なる事後報告で、一之瀬は周囲に自分とリカの交際を打ち明けた。己の腕に纏わりつくリカを困ったように視線を向けては助けを求めるように仲間に情けない顔を晒していた一之瀬が、いつの間にかリカの肩を抱き寄せて彼女を照れさせるようになっていた時の驚きといったら今でも尚筆舌に尽くしがたい。結ばれても日本とアメリカという子どもにしては超遠距離恋愛に臨まなければならない二人は仲間たちの心配を余所に順調に愛を育んでいたらしい。基本的にお互いがサッカーを中心に据えていた為交友関係に不安を覚えることもなかったようで。
 しかし軽口で浮気はダメだと朗らかに笑うリカとは対照的に、一之瀬が口にする言葉は愛が籠もり過ぎていた。リカの好意を一直線に浴びせられていた頃は怯えたかのようにひらりふらりと逃げ回っていたくせに、一度好きだと自覚してしまうと一之瀬もまた一直線な気質の男だからある意味お似合いだったのかもしれない。そんな評価を余所に一之瀬は惚気やら嫉妬やらでリカの顔すら知らないチームメイトを振り回したり振り回されたり。そして今回は、一之瀬がリカに振り回される番だったということだ。何せ愛に生きる浪速のリカだ。国境のひとつやふたつサプライズで飛び越えて見せるだろう。計画性もないままに。

「一之瀬、どうせ空港迎えに行くしかないんだから腹括ったらどうだ」
「何だよそれ。リカがアメリカに来てくれたことは純粋に嬉しいに決まってるだろ」
「じゃあなんでそんな暗がりにスポットライト当たった悲劇のヒロイン宜しく打ちひしがれてるんだよ。喧嘩でもしたか?」
「まさか!リカが来るなんて本当にサプライズだし因みにメールは塔子からだよ、リカが着く時間と空港名と将来の計画性なく不埒なことをしたらぶっ殺すっていうメッセージ」
「…お前も大変だなあ」
「そう思うなら土門も塔子にメール出してよ。如何に俺がリカを想っていて信頼のできる男が力説してやって」
「それは無理だな」
「ちぇっ」

 土門からの指摘にふざけるのも馬鹿馬鹿しくなったのか、単に時間が押してきたのかあっさりと立ち上がりロッカーの荷物を整理し始める一之瀬に土門も倣う。いつの間にかロッカールームには一之瀬と土門、それからマークとディランしか残っていなかった。二人の会話からもう直ぐリカがアメリカに来ると知ったディランが詳細を知りたそうにしていたのを、マークが止めておけと首根っこを掴んで引きずりながら帰って行った。「節度あるお付き合いをするんだぞ!」なんて日本人みたいな言葉を残して。

「…で、なんで落ち込んだんだっけ?」
「ん?――ああ、その話続いてたっけ?」

 これはもう意識の大半がリカの方向へ転がっているなあと土門は呆れの溜息を零す。塔子の言う不埒な妄想でもして再会するまでに事故るなよ、とは一之瀬の場合不吉過ぎて軽口も叩けやしない。

「リカが来てくれるのは嬉しいんだよ。サプライズでも、会えるなら一秒でも早く会いたいんだ」
「うん」
「でもホント急だから俺部屋も汚いしシャワーはさっき浴びたけどサッカーの練習帰りの格好で出迎えなきゃだしああもうきまらないなあって思っただけ。まあ今更なんだけどね」
「所々惚気るのはやめてくれ」

 着替えを終えて、一之瀬は携帯を開き時間と場所をもう一度確認してから鞄を肩に掛けた。目線で土門にどうするか尋ねてくるが答えなんて一択しかない。久方ぶりの恋人の再会を邪魔するほど野暮じゃないさ。そう肩を竦めて見せれば「悪いね」と何に対してだかわからない謝罪を残して一之瀬もロッカールームを後にした。
 何とも幸せそうな表情で出て行った幼馴染に羨望やら嫉妬を覚えるよりも先に塔子からの物騒なメールを思い出して大丈夫かなあと心配が先立ってしまう土門は一度自身の携帯を取り出しやはり一之瀬弁護のメールを送ろうかと躊躇し結局辞めた。バカップルに働きかけると碌なことがないから。だけども今回の逢瀬が幸せなものであるようにと願うくらいは訳ない。取りあえず前方不注意で空港に着く前に一之瀬が負傷しないようにと夕飯のメニューと気にするのと同時進行で願っておいた。



「ダーリンを驚かせたい大作戦、成功やな!」
「うん、今回は本当に驚いたんだけどリカ、日本での予定とか大丈夫だったの?」
「そんな日本での予定とか気にせんといて。ウチの予定はいつだって世界中でたった一人のダーリンを中心に組み立てられとるんやから!」

 久しぶりの再会を果たし、空港のど真ん中でここが世界の中心と言わんばかりにいちゃついているカップルが一組。言わずもがな一之瀬とリカの二人であるがやはり年に数回しか会えない二人だから、言葉の表面が如何に茶目っ気を装っていたとしても胸の内には今にも溢れて涙してしまいそうなくらいの愛おしさがある。引いていたキャリーバックを落として、向かい合って両手を繋いで見つめ合う二人の世界の中心は間違いなく此処だった。

「好きだよリカ、来てくれてありがとう」
「ウチもダーリンが好き。迎え来てくれておおきに!」

 にっこりと笑みを深め合ったのを合図に、リカが落としたキャリーバックを一之瀬が拾い片手はしっかりと繋いだままタクシー乗り場に向かって歩き始める。ホテルは心配性な親友が手配してくれたけれど行先は一之瀬の自宅ということでまあ良いだろう。
 滞在期間は一週間、その間にまた訪れる離れ離れを乗り越えるだけの鋭気を養わなければならない。世界規模のバカップルの平穏の為、アメリカサッカー代表ユニコーンの面々が色々と被害を受けることになるだろうけれど、そこはどうにかご容赦いただきたい。


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20万打企画/緋花様リクエスト

七億光年先の恋人
Title by『ダボスへ』


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