夏休みに入ってからというもの、吹雪は頻繁に紺子の家に居座るようになっていた。お泊りの約束をしていたわけでもないのに自分の家に当たり前のような顔をして居座り、また馴染んでいる他人を見るというのは随分奇妙な心地がすることを知った。紺子の両親は吹雪を気に入ってしまったらしい。彼は、言葉が悪いかもしれないが、大人に取り入ることに関しては経験豊富だった。紺子が女の子の友だちと出掛ける用事があると言うと、それでは自分も出掛けようと一緒に玄関を出ることもある。そういうときは大抵途中の分かれ道でお互い別の方向へと歩き出す。恐らく吹雪は烈斗やサッカー部男子の自宅に上り込みに行っているのだと思う。図々しいけれど、吹雪を前に玄関の扉を閉められない自分たちは結局彼を好いている。

「僕んちエアコンないんだもの」

 以前、紺子が吹雪にどうして自分の家でじっとしていないのと尋ねた時、彼はそれなりの理由を文章に纏めようと考え込むことなく明確な理由を明らかにした。北海道だからって夏は暑いんだものと嘆く吹雪の手には紺子の家の冷蔵庫から持ち出された棒アイス。去年の夏まではどれだけ暑かろうと解くことをしなかったマフラーが巻かれていた。今年の夏は、濡らした白いタオルが巻かれている。先日、お世話になっているお礼にと大きな麦わら帽子を被って庭の草むしりをしている姿は通学路の畑で見かける農家のおじさんみたいで紺子は思わず笑ってしまった。学校指定のジャージの裾を捲り上げて、吹雪は不思議そうな顔でじっと紺子を見ていた。
 夏休みになると、普段よりも部活の後にみんなで寄り道をする頻度は格段に増える。今日も、部活終了後予定のないメンバー全員で近くの河原によって遊んでいた。夏は水難事故が多発するなんてニュースはテレビで毎年苦言を呈されるのに、川遊びをする人間は今自分が足を浸しているこの川だけは絶対安全なのだと思い込んでいる。紺子は己の背丈の小ささ故、世界中のどんな浅い川だって危険なものなのだと思いながら生きている。靴を脱いでひんやりとした水に足を浸しながらも河原に下ろした腰を上げてすいすいと泳いでいく魚に釣られることはない。吹雪も吹雪で、遊びに来たと言うよりは涼を求めていたのだろう。災害はある瞬間唐突に訪れると本能が知っている吹雪もまた紺子の隣に腰を下ろしたままじっと他の面子が水を掛け合いはしゃいでいる姿を眩しそうに見つめていた。

「吹雪君も混ざってくれば?涼しそうだべ」
「僕の身長があと十センチ伸びたらね」
「……?あの辺なら今の吹雪君でも足着くと思うんだけどさ」
「そうだね」

 紺子の腑に落ちないという表情に気付いた吹雪は特徴的な太い眉を困ったように寄せて微笑んだ。こういう表情をされると、紺子はぐるぐると頭を働かせなければという義務感に駆られる。空気を読まないことの多い吹雪だけれど、好意的な人間にはとことん好意的で自分をある程度曝け出して懐く。しかしそのある程度というラインを彼がどのように線引きしているか、懐かれた側の人間は知る由もない。紺子は、自分がそれなりに吹雪に慕われていることを自覚している。こうして隣同士に腰掛けながら、噛み合わない会話に寂しさを覚えるくらいの好意を紺子だってしっかりと吹雪に対して抱いている。

「吹雪君の考えてることはよくわからないよ」
「あんまり難しいことは考えてないよ。今は川遊びは楽しそうだけど服が濡れたら紺子ちゃんちにそのまま寄れなくなるからやめとこうってこと」
「お父さんの着替え借りれば良いべ」
「だから僕には身長があと最低十センチは必要なんじゃないか」
「ああ、そういう…」

 よくわからない思考回路だなあと紺子は呆れてしまう。吹雪的にはいつだって直列の回路は紺子には何度も並列繋ぎを繰り返し一度でも間違えたらどんどん外れて見当違いな答えに至ってしまうから気を付けないといけない。同年代の男子としては小柄な吹雪には、成人男性の衣類はまだ大きい。大人と子どもなのだから当然と言えば当然だが、吹雪にはそれが釈然としないらしい。

「吹雪君が家に寄れんならおらが寄れば良い」
「エアコンないから暑いよ」
「気にしないのに」
「僕は嫌だなあ。汗だらけで、紺子ちゃんに抱き着いたりしたら絶対嫌がるんだもの」
「吹雪君はいつも突然そういうことを言う」
「いつも考えてるからつい溢れちゃうんだよ」
「抱き着くとかそういうことを?」
「紺子ちゃんのことを」

 どうして伝わらないのかなあと苛立つように、吹雪は一度だけ水を大きく蹴り上げた。跳ねる水しぶきに夏の日差しが輝いて、紺子は暑いなあとだけ思う。伝わらなかったことは、巻き戻して話題に挙げてもきりがないから。吹雪の家にエアコンがないことなど知っていて、一人暮らしの男の子の家に遊びに行くよと紺子が自主的に発言したことの意味など、吹雪はきっと気にも留めていないから。これまで生きてきた中で、紺子は吹雪に誘われて部員の家に遊びに行くまでは一度だって男子と二人きりで遊んだり自宅に上げたり上がったりしたことはないというのに。
 川の浅瀬からどんどん離れて行った友人たちは珍しい魚がいるよと遠くから吹雪と紺子に声を掛けてくる。二人して、捕まえたら見せてとその場から全く動かない。暑いと小さく呟いた吹雪の言葉に頷いた。それでもいつの間にか重ねられた二人の手は解かない。きっとこのまま立ち上がり紺子の家まで手を繋いで歩くことだって簡単なことなのだ。吹雪が水遊びに興じて服を濡らしてしまわない限りは。

「暑いね」
「帰ったらかき氷するべか」
「僕メロンのシロップがいいなあ」
「苺のしかないと思う」
「じゃあ買って帰ろうよ」
「苺のだって買ったばかりだから、夏の間に使いきれなくなるからダメ」
「……うーん、じゃあせめて透明なガラスのお皿が良いなあ。お店のっぽいから」
「吹雪君は我儘だべ」
「だって紺子ちゃん許してくれるんだもん」

 我儘を言い募る側の吹雪の方が不当だとでも言いた気な声音に紺子は何だかおかしくなってきてわらってしまった。確かに、自分は随分と吹雪の我儘を看過して生きている。今だって自宅の食器棚にある器を思い返しては吹雪の要求に見合うものを探している。頼られたいとか、甘やかしたいとかそんなことを思っている訳ではないのだ。小柄な二人であっても男女の差ははっきりと存在していて、そうそう部屋に居座られては気恥ずかしいと感じることだってある。吹雪だって、女である紺子より男友達の方が口を割りやすい話題だってあるだろう。
 それでも、今こうして手を繋いでいるのも一緒にかき氷を食べるのも二人の男女でしかない吹雪と紺子だった。お互い言葉にしない好意はなんとなくという前置きの元当人の意図を離れ相手に触れている。それだけで、二人して何かを許されたような気になっている。女の子の家に上り込んでいい、男の子の我儘を許していい。だからいつか、紺子は吹雪を許してやらなければならない。エアコンのない部屋で汗だくな彼に抱き着かれることを。
 それまでは取り敢えず、冷房の効いた紺子の家で透明な器に苺のシロップをかけたかき氷を食べよう。今年の夏はメロン味に手は伸ばせないけれど、練乳をかけるくらいなら一向に構わない。
 そんな帰ってからのことばかり考えている吹雪と紺子など忘れ去ったかのように、友人たちは未だ初めて見る魚を捕まえようと躍起になっていた。



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むかえるということ
Title by『ダボスへ』





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