『大学の文化祭に来て欲しいの。絶対よ』
 そんな、お願いだか命令だかわからない文面のメールを受け取ったのは一ヶ月ほど前だった。数日前に突然今週末に大阪まで来て頂戴と無理難題吹っかけられなかっただけましかな、と風丸は上着の胸ポケットに入れた新幹線の切符の有無を布越しに確かめる。どうして新幹線に乗るには切符が二枚必要なのか風丸にはわからない。突き詰めて考えることもなく、生まれた初めて新幹線に乗った時から切符は二枚。それが常識でそこを逸脱した行動を取る予定はなかったから細かなシステムなど理解しなくても良かった。世話の焼ける幼馴染は日本全国に点在した仲間に会いに行くために新幹線を利用する度に不思議そうに二枚の小さな切符を失くさないようにと真剣だったことを思い出す。これもやっぱりせめて一枚だったらもっと気楽なんだろうなあと風丸は思っていた。
 招かれた時候が行楽シーズンとは何の被りもない休日ということもあって、東京から新大阪までの新幹線もさほど混み合いを見せるとは思わなかったけれど、風丸は念の為と事前に指定席を予約しておいた。その旨をちゃんと当日行くという返事と共に玲華へ送信すれば『なんや風丸君はサラリーマンみたいやなあ』という返信が帰ってきた。玲華はメールだと標準語と関西弁がないまぜになった言葉を寄越す。一度本人にそのことを確認してみたがどうやら無意識のことらしい。勿論、通話の際は始終一貫して関西弁で喋り通している。別に風丸は玲華がどう喋り文字を綴ろうと一向に構わないのだ。ただ自分に通じる言語でさえあれば。中学、高校と学んだ英語はあまり風丸の中に知識として根付かなかった。そもそも言語を手繰るにあたってそれは知識ではなく実用品で一種の消耗品だ。身に付かなかった部分とそりが合わない部分とがあって、風丸は自分が外国語を操る素養からしてないなと早々に見切りをつけた。取りあえず今の所サッカーボールがあれば、それを蹴りフィールドを駆け抜ける脚があれば風丸の日常になんら支障はなかった。そう言うと、風丸の恋人である玲華は決まって面白くなさそうに頬を膨らませてしまうのだけれど。
 玲華と出会ったのは中学の頃。時期が時期だったので初回の出会いは対面というよりも邂逅だった。その後彼女らのキャプテンとの縁が合って何度か顔を合わせてサッカーをする内に連絡先を交換した。中高時代はアドレス交換が一種の友情成立の儀式ともいえるだろう。もしくは、私は貴方の顔と名前を一致させましたよという確認か。大学に進んでからはたまたま同じ講義を取った生徒とたまたま隣の席に座っただけでペアを組まされ課題をこなさなければならなくて、その抗議内でしか顔と名前を思い出せない人間にもアドレスを教えなければならない。現に風丸の携帯のアドレス帳を埋める全員の名前と顔を彼は一致させることが出来ないだろう。家族と昔の仲間と現在の仲間。フォルダ分けは少なくその他を放置する。たったひとり恋人のフォルダを独占する玲華とのメールや着信で履歴が埋め尽くされる度、風丸は自分が閉鎖的な人間だったのだろうかと首を傾げてしまう。それは大抵の人間に惚気ていると取られてまともに議論にもならない。
 東京と大阪。高校時代の中頃には既に恋人として周囲にひた隠すこともなく関係を築いていた二人が示し合わせることもなく遠距離を跨いだまま大学に進学したのは当人たち以外の人間が臆面もなく顔を顰めた。風丸としては同じ大学に進めればそれは当然嬉しかっただろう。だがサッカーを進学の最優先事項として念頭に置いてかつ四年間更に親の脛を齧る身だ。両親の意見を全く取り入れないということは出来ない。勿論理不尽な要求を突き付けてくる人たちではなかったから、風丸は東京の大学に進むことに何の不満もない。そして玲華も彼女の中で大学選択に於ける優先事項を定めた結果大阪から離れないという結果に落ち着いただけだ。玲華自身、関東に出てくることにあまり積極的ではなかった。
「阪神と巨人戦みたいなもんかな。わかる?」
 野球の話はわからないなと風丸は携帯越しに首を振った。関東に敵対心を抱いているというのは大袈裟だけれど、生まれ育った住み慣れた大阪と、行ったこともない見知らぬ東京。どちらが好きかなんて考えるまでもない。それだけははっきりと伝わってきた。「うちに言わせれば東京もアマゾンもアフリカもあんま変わらんもん」流石にそれは極論だろうが、風丸は笑ってその会話を流した。
 大学でもサッカーを続ける風丸の自由時間は思ったよりも少なかった。あるにはあって、十分な休息は取れるのだが玲華と都合を合わせて大阪と東京を行き来するには少々足りなかった。片道約一万五千円の切符とその他雑費を見積りで計上するだけで何かと厳しい。それでも恋愛にばかり寄り掛かってここまで歩いて来た二人ではなかったから、多少の距離はこれまでと何一つ変わらないことだと気楽に構えていた。大学チームの遠征で関西に出向けば自由な時間の外出も許可されていたし、そういった時を上手く利用して顔を合わせる機会も何とか保てた。だから、今回のように絶対に来てと玲華が連絡を寄越してくることは実際の所かなり珍しく風丸に何かと思い悩ませるには十分な一文だった。
 ただの週末の閑散とした新幹線の窓際指定席に座りながらあれこれと想像をめぐらすことは出来る。これまで何度か玲華に会いに大阪に出向いたときと同じように事前に連絡を入れて、そして彼女も同じように新幹線乗り場の改札まで迎えに行くからねと弾んだ声で約束してくれた。直接会えるということは遠距離恋愛を嗜むものには当然喜ばしいこととして認識されている。風丸にも、玲華にも。ただそれを知りながら意欲的でないのも二人の性で。通常から外れた行動には理由があって、それが自分たちの関係を脅かすようなものだったらと疑うには玲華の機嫌がよろしすぎたけれど。二時間半、新幹線の旅路を終えてホームに降り立った風丸は辺りを見渡す。見慣れたけれどやはり馴染んではいないな、とここはあくまで玲華のホームタウンであり風丸の中ではそこまで安らぎの位置を占めていないことを時間させる。駅内の案内表示を確認することもなく改札口に向かえばそこには玲華がいて笑いながら手を振っていた。

「風丸君!」
「――御堂、」
「久しぶり!あ、勿論会うのはって意味やで?」
「わかってるって。で、早速だけど大学の文化祭に来いってどうしたんだ?」
「………そのことなんやけど」
「うん」
「実は風丸君にお願いがあるんよ」
「へえ、どんな?」
「うちと一緒にベストカップルコンテストに出場してくれへん!?てかエントリーはもうしてしもうてん、本番は午後の一時からで今が午前の十一時やからこっからすぐうちの学校行けば余裕で間に合う計算やしこの通り!ね、お願い!」

 再開早々に要件を切り出した風丸に、玲華もさっさと腹を括り眼前で両手を合わせながら何度もお願いと連呼して風丸に懇願してくる。突然の、かつ予想外の要求に風丸も咄嗟に意思決定を下せずにぽかんと玲華の挙動を眺めるしか出来ない。

「…そのベストカップルコンテストって何?」
「えー、そんなの名前通りのコンテストだけど」
「それはつまりエントリーしたカップルの中でどの組が一番仲が良いか競う的な奴か」
「的な奴ね!」
「………」
「うわあ、嫌そうな顔!」

 風丸が自主的かつ積極的に人前で恋人同士の愛の深さを測るような行事に興味を抱くとは玲華とて端から思っていない。これは単なる口実、と誤魔化せればよかったのだけれど玲華は内心本気でこのコンテストに参加したかった。たぶん、大学生活の中でそれほど多くは積み上げられないであろう風丸との思い出を獲得するために。こういうイベント内の行事は年ごとの変動も割と激しい為評判次第では翌年あっさりと姿を消すこともある。だから目の前に転がって来たチャンスを逃してはいけないのだ。来てと理由を明確に示さなくても社会人でもない風丸が二つ返事で駆けつけてくれたことだけで十分じゃないとは自分を諌められない。その代わり、この願い事が叶ったら次の二人で一緒に生きていきたいという願い事を押し付けるまでは大人しくしているつもり。

「…ダメ?」
「――人前でキスとかは絶対しないぞ?」
「うん!風丸君そういうの嫌がりそうやから事前に主催者に確認済み!」
「…今回だけな」
「うん!やった、ありがとう!」

 歓喜の衝動に任せて風丸に抱き着く。まだ改札からそれほど離れていない場所で、人通りはそれなりにある。これも嫌がられるかなと抱き着いてから案じてみても、風丸は彼女を振りほどこうとはせず落ち着けと言うように背中をぽんぽんと二、三度叩いた。ハグは良くてキスはダメ。風丸の基準は良くわからない。だけどもどちらも私を愛することにしか必要のない基準だから、これから少しずつ分析してみれば良いかなと玲華は浮かべた笑みを深くする。
 玲華の大学までの道中。イベントの詳細を確認している内に、要は恋人同士、相手のことをどれだけ理解しているかを競うらしい。それはつまり、遠距離で直接対面する機会の少ない自分たちは割と不利なのではないかと風丸は思ったのだが隣を歩く、風丸と手を繋いでいる所為もあって上機嫌な玲華は優勝以外のビジョンは持ち合わせていないようで。その自信は何処からくるのだと呆れるよりも先に自分ももう少し自惚れるべきなのかもしれないなと風丸はひとり感心していた。
 結果。風丸と玲華はベストカップルコンテストで見事初代優勝者となった。圧勝だった。彼女の使用している化粧品のメーカーだとか3日前の動向だとかお気に入りの服のブランドだとか主にそういったことが問題になったのだが、風丸は大して言葉に詰まるでもなく見事に全問正解を叩きだした。そういえば、毎日電話なりメールなりで知らされる玲華の情報内に答えがあったなあと後になって気付いた。

「最初から最後まで乗せられてた気がするな」
「それはうちにってこと?」
「それ以外にないだろ」
「ええやん、兎に角これでうちと風丸君はこの大学一番のカップルなんやから」
「……まあ男避けにはなるかもな」

 揺らがないなりにも、気に入らない心配事項はあるものだ。そう自身を納得させて、表彰式としてステージに上らされていたことも意識から抜け落ちてしまった風丸は身体を屈めて出会った頃から変わらず晒されている玲華のおでこにキスをした。ざわつき囃し立てる観客に、風丸はうるさいなと眉を顰める。一方、人前で恋人らしい振る舞いをすることに積極的でなかったはずの風丸から贈られた唐突なキスに、おでことはいえ動揺せずにはいられない玲華には柔らかい微笑みと「可愛い」の一言を贈る。
 ――なんだ、バカップルみたいだな。
 それ以外の何だというのだ、とは誰も指摘しない。だって言葉にはしていないから。そしてふと、そういえば帰りの新幹線の切符を購入していないことを思い出した。そして直ぐに別に構わないだろうと小さく頭を振る。二枚一組の切符を紛失して面倒な事態になったとしても、もしくは急な悪天候で帰りの交通手段が確保されなかったとしても構わない。今の風丸はそれほど楽天的になれるくらいには気分が良かった。それは勿論、こうして愛しい大切な彼女を隣に引き寄せられているからで。惜しむべきは数時間後、玲華を東京まで連れ帰れないことくらいだ。


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どこまでもかけつけにゆくから
Title by『ダボスへ』





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