髪の長い女の子の方がらしく映るのかしら。
 肩にも届かない髪先を指で弄りながら葵はひとり呟いた。女の子らしさなんて未だ幼さから抜けきらない子どもの自分が気に掛けても及ばないことばかりだと思っていた。その意見は今でもそれほど変わっておらず、もし葵が恋も知らない子どもだったのならば女の子らしさなんて求めもしなかったろう。運動部のマネージャーとして動き回るには、短い髪の方が何かと楽だった。お風呂で洗うも乾かすも短時間で済むし、寝癖さえつかなければ朝起きて少し梳かすだけで大丈夫なのだから。その分髪を結って雰囲気を変えるといった遊び心は発揮できないけれど、残念に肩を落とすほどやってみたいとも思っていない。正直に言えば、葵は今の自分の髪の長さが一番自分らしいのではないかとすら思っている。小さい頃から変わらずこの髪型だったからかもしれないが。
 それでも、葵が恋を知った以上何の不満も顕在化していなかった己の容姿がやたらと気になってしまうのはある意味仕方がないことなのだろう。葵の恋の相手である剣城が今はサッカー一筋で異性になんて興味ありませんといった体を通していたとしてもだ。ぶっきらぼうで、恋愛に傾ける心の余裕がなかったとしても男女の差は理解しているらしいから、時折差し出される優しさがとても嬉しいということを剣城はきっと知らないのだろう。クーラーボックスや大量のボールが入った大荷物を葵が一人で運んでいる時に限って彼は助けに歩み寄ってくれる。たまたまタイミングが良かっただけだと言い聞かせても否応なしにときめいてしまうのが乙女心というものだ。きっかけは些細なもので積み重なれば否定しようのない恋となって葵に未知の道を示すのだから困ってしまう。
 剣城が好きと直接言ったわけでもない女の子らしさを漁っては自分に欠けたものばかりが浮き彫りになる。同じマネージャーの先輩たちに視線を向ければ二人の葵よりも長い髪が風に揺れていた。如何にも女の子といった憧憬を向ける相手ではないと思う。失礼かもしれないが、自分を含んで三人並べばそれぞれに特徴があって変なところがあってそれは自分たちらしさであると思うが女の子らしさではない。
 そもそも女の子らしいという言葉自体、それっぽいという意味でまさしく女のそのものといった固定的な概念ではないのだろう。女の子は女の子に生まれた時点で立派な女の子だ。どれだけ悩んでも答えの出ない疑問と不安はいつだって棚上げにしておきたい。答えも手も届かないなら、最初から気付かないでいた方が断然楽だというのに。剣城に恋をして、自然と追いかける視線が真っ直ぐに彼を捉える度に高鳴る心音と同時に過ぎる不安はどうしてか容易く拭い去ることが出来ない。

「せめて剣城君より髪が長かったら良かったのかな」
「――俺がどうかしたか」
「へ?」

 独り言のつもりで吐き出した妄言に思いもしない返答が寄越されたことで、葵の意識はひとりぼっちの黙考から急激に引き戻される。いつの間にかすぐ隣にやって来ていた剣城を見上げながら、今の自分の言葉をはっきりとは聞き取られていないであろうことに安堵する。捉え方によっては自分の恋心がよりによって剣城本人に露見しかねない。
 ひきつった笑みを浮かべ、葵は何でもないよと両手を眼前で振りながら後退りする。明らかな逃げ腰の体勢に剣城は姿を見せてから変わらず怪訝な顔をしている。直ぐにでも回れ右をして駆け出してしまいたい葵だったが、剣城の肩にクーラーボックスのベルトが掛かっていることに気付き、彼が荷物を運んでくれていると知る。それは自分の仕事だからと慌ててそれを引き取ろうとするが、剣城は葵が礼と用件を述べても一向に荷物を引き渡そうとはしないので今度は葵が怪訝な顔を浮かべる番だった。

「重いから俺が持つ。女にはしんどいだろ」
「…平気だよ、マネージャーだし、慣れてるもん」
「………」

 葵の言い分を聞いて遠慮もなしに溜息を吐いた剣城の態度にぎくりと背筋が固まる。可愛らしくない言い方だった。返事を溜め込まないようにと口任せな言葉はいつだって葵の理想とは遠いものばかり。好きな人に厚意を示されたら甘えておけばいい。そうかもしれない、だけど葵はマネージャーとしての仕事を奪われてしまう方が耐えられない。やるべきことをやりもしないでどうして剣城の傍に近付いていけるというのだろう。近付いても逃げ出したい衝動に駆られる癖にとは思うけれど。
 落ちた沈黙の気まずさは葵の身にひしひしと迫る。どうしようと焦りを抱えて剣城の方に視線をやれば彼の後ろに自分よりも長い髪が揺れるのが見えた。そのことで、葵はますます気分が落ち込んでしまう。剣城を見ていれば、髪が長いくらいで女の子らしいなんて全くないと証明されたような気にもなれるだろうか。元々男の子の剣城なのだからそれは当然か。会話が途切れたのをいいことに再び自分の世界に浸り始めた葵を引き戻したのは、またしても剣城の声だった。

「…空野」
「――っ、な、何?」
「この中身、ボトルに飲み終わってないドリンクも入ってて重いから俺が持つ」
「え、でもだからそれは私の仕事で…」
「お前いつもクーラーボックス持ちながらふらふらしるから見てて危なっかしい。後今日のお前は考えことでもしてるのかは知らないがぼけっとしてるから余計に危ない。だから俺が持つ」
「……ごめんなさい」
「いや、怒ってるわけじゃなくてだな…」

 仕事に集中していないと指摘された気がして、しゅんと項垂れてしまった葵に流石の剣城も焦ったように頭を掻く。落ち込ませるつもりはなく、単に自分の行動に納得してもらいたいだけだったのにと口の下手さが憎らしくなってくる。それでなくとも、咄嗟にまるで自分が普段から葵のことをよく見ているかのような発言をしてしまったことへの戸惑いもあるというのに。尤も、当の葵は目下自己嫌悪手前で落ち込んでいるから全く気付いていないのだけれど。

「――これは俺が水道まで運んどくから」
「…うん」
「ボトル洗うのはお前も手伝えよ」
「え」
「マネージャーの仕事なんだろ」
「剣城君も手伝ってくれるの?」
「……不満かよ」
「ううん!全然!すっごく嬉しい!」
「―――!」

 何とか場を進めてしまおうと剣城の放った言葉に葵の伏せられていた顔がぱっと上がり、そこには満面の笑顔が広がる。それを真正面から見てしまった剣城は恥ずかしげに頬を赤らめてふいっとそっぽを向く。同時に揺れる彼の髪を捉えても葵の気分はもう沈まない。だってまさか剣城から自分に歩み寄って来てくれるとは思っていなかったから。今はどんな不安よりも喜びが勝って、一生懸命仕事をしようという熱意が先行している。その為には、やっぱり髪は短い方がやりやすい。
 長い髪、お洒落やお化粧。そのどれもが欠けていたって、今さっき剣城に見せた笑顔ひとつだけで十分女の子らしさを備えていたことなど知る由もない当の本人は、気恥ずかしさでさっさと水道に向かって足早に歩き始めてしまった剣城を追いつこうと駆け出した。


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Title by『逆上がりの世界』





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