放課後。教室の机の上に所狭しとばらまかれた茜の撮った写真たち。いつもならば選別してから現像するのだけれど、今回はシャッターを切ったもの全て現像した。理由は単に、天馬に見たいと言われたから。茜の感性だけで良し悪しを定めて選別した写真を、天馬が貶すとは微塵も思っていないけれど。自分にはわからない、彼だけの感性に引っかかる一枚もあるかもしれないから、お気に入りのカメラ内に残るデータを弄ることをしなかった。その細やかな譲歩が、彼女の中でどれだけ大きな歩幅を持っているか、天馬はきっと知らない。
 部員たちを万遍なく収めよう。それは、天馬が写真を見たいと言い出してから茜の意識の大半を占めた。だけどそう意識すればするだけ普段の自分が何を意識して写真を撮っていたのかが思い出せなくなってしまう。誰でもいいの、輝いているなら。それは勿論そうだけれど、ばらまいた写真を綺麗に並び直して行く内に、天馬の写っている写真が多い気がするのは錯覚だと思いたい。もしくは、天馬が自分の撮った写真を見たいなんて滅多に言わないことを口走ったから、意識が彼に吸い寄せられてしまっただけのこと。つまりその日限定のハプニングの様なもの。連続してシャッターを切るスピードを、同級生のマネージャーは若干引いた面持ちで讃えてくれたが、好きなものを前にすれば誰だってそれぐらいのことは出来るはずだと茜は思っている。サッカー部に入部したての頃、目当ても楽しみも憧れの神童拓人ひとりしか存在しなかった。当時茜のカメラに残るデータと言えば拓人が写った写真のみで。ほぼ連写といっていい速度で収めた画像は似たような立ち姿ばかりだったこともある。それでも、夜眠る前に明日の為にとデータを整理して消去しなければならないものに彼の画像があれば躊躇う気持ちに手を止めてしまったこともあるくらいだ。あの頃と、自分の心は何の変化も迎えていないはずだと茜は思っているのだが。
 ――あれ?
 最近、自分でも首を傾げてしまうほど天馬が被写体となっている写真が多い。今日一日の分は先程のように誤魔化しが利く。だがそれ以前のものは。昨日までの分を収めたアルバムを取り出して、捲る。
 ――これはパス練習、柔軟、休憩中に狩屋君とふざけてる所、試合中。…これはたぶん移動教室の途中、野良猫に気を取られてる所で、こっちはたまたま廊下を歩いてたらシン様の教室に来てた所を見つけて…それで、あれ、他の皆は部活中以外で撮った写真あったかな?
 気になって、手元にあるアルバムをいくら探しても制服姿で写っている仲間の姿は殆どなかった。例外は、神童拓人。彼だけは、茜のアルバムに制服姿で存在し、時折その傍らにいる友人として部員が登場しているという始末。これだけでは、完全に茜が天馬を意識してカメラに収めているということになるだろうに、それでも茜は神童拓人という例外が存在したことに安堵の息を漏らした。自分は何も変わっていないのだと、そう思うことが出来たから。茜が拓人に向ける感情の名前はきっと憧れだったけれど、それは彼女の中で唯一の特別で、ちょっとしたきっかけさえあればすぐに恋心に転がるような、そんな熱を帯びていた。それが、茜でさえ気づかぬ内に冷め切った挙句あっさり他の人間に方向転換していたなどと認めたくはなかった。何故だかそれは自分がひどく軽薄な人間のように思えてしまうから。それでも、ならばアルバム内のバランスを整えようなどと被写体の選別などする気は起きなくて、茜はせめてこの確かな変化に誰も気付かず、自分さえ忘れてしまうくらいの曖昧な認識で時間が流れてしまえば良いのにと思っている。

「お待たせしました!」

 元気の良い掛け声と共に教室に駆け込んで来たのは天馬で、部活の後片付けと着替えを終えてから走ってやって来たらしき彼は少しだけ息を乱して額に汗を浮かべていた。着替えた意味がないのね、と掛けようとした言葉を飲み込んで、ならば日時を別に示し合わせてあげればよかったと後悔する。しかしそうまでして天馬が自分の撮った写真に興味を持っているとも思えなかった。気になっているのは今、見たいと思ったのは今、だから今見せなければ自分だけがそういえば彼は写真を見たいと言っていたけれどどうだったかしらと思い悩むことになるのだろう。それは聊か癪な事態だ。

「うわあ、これが今日撮った写真ですか?」
「うん、そう。あ、これとかよく撮れたと思う」
「どれですか?わあ、キャプテンですね!」
「え、」

 指差した一枚は、確かに拓人を映していた。しかし茜は彼と一緒に映る天馬を指したつもりだったので、天馬の言葉に反応が遅れてしまう。そんな茜の様子を訝しむこともなく、天馬は机の上に並んだ写真を一枚一枚手に取って感嘆の声を上げている。どの場面を写したものか当てようとしたり、自分の視界には入らなかった場所の風景を見つけては楽しそうに笑う。そんな天馬を直ぐ近くで見つめながら、茜は何とも言えない気持ちになる。天馬が来る前に鞄に仕舞い損ねた数枚の写真を、彼に見えないよう後ろ手に隠していることなど気付かないだろう。全て、天馬がひとりで写っているものばかり。そして隠す必要がないと広げられた写真を改めて見回して気付くのだ。自分が恋に近い憧れを抱いている筈の拓人をひとりで捕えた写真など一枚も存在していないことに。
 天馬に憧れなど抱いてはいない。茜は自信を持ってそう言いきれる。それでも、チームの中心となり風を起こした原動力だとは素直に認めている。だがそれだけのことで、カメラのピントが拓人から天馬に移動してしまうものなのか。知らない、だけど知っていたとして受け入れがたいことだ。今まで追いかけてきた人が、呆気なく無価値に堕ちていく、それがその人を想っていた自分の過去が無意味だったということならば、それ以上の想いを向けるに相応しい相手でなければならない。

「茜さん?」
「何?」
「えーっと、なんか今日キャプテンの写真少ないですよね?」
「…そんなことない」
「でも、」
「天馬君のだって少ないよ」
「あ、本当だ」
「今日は二人ともMFの連携確認で一緒にいたでしょ。そっちの方は水鳥ちゃんがお仕事担当してくれたからあんまり写真撮ってないのかも」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
「じゃあ明日は俺もいっぱい写真撮って貰えるように頑張ります!」

 笑顔で宣言した天馬に、茜は微笑んで応える。その笑顔は、微笑ましいものを受け止める類のものではなく、貴方は本当に何も気付かないのねという苦い気持ちを込めた物だったが、やはり天馬は気付かない。
 写真は撮っていなくとも、今日天馬と拓人が部活中何をしていたか、茜はきちんと把握している。それは彼等の方に視線を向けていたから。シャッターも、いつも通り押した。現像した写真の中に彼等はちゃんといた。しかし、一緒にいたのだから映り込んでいてもいいはずの拓人の姿はそこにはなく。無意識に彼を弾きだし中央に陣取ったのは天馬だけ。拓人を見ているつもりで、実際茜の視線を独占していたのは無邪気な後輩の少年。
 ――写真、撮ろう。写真なら、私の気持ちばれないし、私だけの物だし、うん、それが良い。
 写真の為と張り切らずとも良いよ。私はきっと無意識に近い素早さで貴方の姿を収めるから。心の内で唱えた言葉はまた写真に集中し始めた天馬には届かない。明日も明後日も、茜のカメラに収められた天馬が誰かの目に触れることはないのだろう。先程の言動からして、天馬は自分が拓人に憧れていたことを知っていて、もしかしたらそれを完全な恋情と勘違いしているのかもしれない。それは、きっと茜にとっては喜ばしくない状況なのだろう。しかし焦る必要はない。だって、彼女にはカメラがある。茜はそのカメラに、自分だけが知る松風天馬を閉じ込めることが出来るのだから。そして天馬が茜の気持ちの矢印を勘違いしている間にゆっくりと間合いを詰めてしまえば良い。今回は、天馬から入り込み詰めたお互いの間合い。いつか、茜から今日撮った写真を見ないかと声を掛けて、それに天馬が頷いた時が最後。
 恋だとすら未だ認められないというのに。茜は後ろ手に持っていた写真に指で皺を作ってしまわないようにと意識を傾ける。これは後で新しいアルバムを用意してそちらに入れよう。これまでのアルバムに入れていた天馬が写っていた写真も纏めて移動させる。
 天馬は何も知らない。しかしそれで良い。茜だって何も知らないのだから。恋の手前で生まれた独占欲が、彼の人に向けた憧れよりもずっと根深く厄介だということを。天馬は写真を見ている。茜は天馬を見ている。つまり、そういうことだ。



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Title by『ダボスへ』





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