※一秋+土門


 初夏の手前までやってきた梅雨の晴れ間は日中と夕方の気温の落差が激しくて。つい直前まで走り回って暑いと羽織ることを敬遠していた制服の上着は土門の腕に抱えられたまま。帰り道、引いた熱と撫でる風のひんやりとした感触にそろそろ袖を通すかと思っていた矢先に遭遇した秋は衣替えを終えて半袖のシャツから華奢な腕を覗かせていた。河川敷の土手に座り込んで、下方にあるグラウンドでサッカーをしている子どもたちを見ていた秋は土門が声を掛けるとゆっくりと顔を上げて彼の方を見た。目に入った表情はいつもの彼女よりどこか元気がなくて、夕日が落とした影の所為で一層悲しげに映った。立ち上がり、スカートについた埃を落としてから「喧嘩しちゃった」と力なく微笑む秋を前に、土門は素直に「珍しいな」と返すしかなかった。誰と何て、秋が自分に打ち明けてくれた時点で一之瀬しか頭に浮かぶ候補がいない。ぽつんと世界に一人取り残されたように佇む背中を見つけて声を掛けずにはいられなくて、それと同時にアイツは秋を一人にして何をしているんだと咎めたくなってしまったのは、土門の中で一之瀬と秋が当たり前のようにセットで括られているからなのだろう。これまでならば一緒に下校していた一之瀬が長年の片想いを実らせて秋と両想いになったから、いくら幼馴染とはいえこれまで通りとはいかないと思った。だから一之瀬と秋が二人で帰れるようにと気を回すことが多くなり、自分が学校を出る時に彼の姿を見かけなくとも既に秋と下校したとばかり思っていたのに。

「喧嘩の理由聞いても良いか?」
「呆れない?」
「……たぶん」
「あのね、一之瀬君、優しすぎるんだ」
「――――?」
「私のことを好きだって言ってくれて、嘘だなんて思ってないよ?だけど一之瀬君は私も好きって言ったことをどれだけ信じてくれてるのかな?」
「何か言われた?」
「ううん、その逆。何にも言ってくれないの。他のクラスの女の子に告白されたって、私が知らない男の子に告白されたって、一之瀬君は何も言ってくれない」
「―――、」
「それを、誰に何をされたって関係ないからだって自惚れられない私は弱虫なのかなあ?」
「たぶん、違うと思うけど」

 この状況で、秋の心を軽くさせる為に一番正しい言葉はなんだろう。枝分かれする人間同士の対話に正解があるとは思わないけれどあくまで確立としての問題。喧嘩と表された二人のすれ違いは諍いとして表面化したのだろうか。言葉にして、態度にして、ああ喧嘩なんだなと誰もが思えるような言い合いや衝突だったのならば、仲裁という言葉を盾にいくらでも首を突っ込むけれど。ただお互いが水面下で抱える不安に揺れて距離を取っただけならば、ただ話し合う様にと促すだけで元のあるべき位置に収まるのではないかなんて思ってしまう。それは土門の幼馴染として欲目なのか、一之瀬と秋が現在立つ恋人同士の位置がとても自然だと思っているから。
 秋は知らなくとも、土門は知っている。一之瀬が彼女に傾ける感情の熱さと、その量。正確に測りきれないほど溢れそうな気持ちを何度も堪えようと、それでも想うことは辞めず秋を見つめ続けた一之瀬のひたむきさを知っている。
 だからどうか。
 そんなに容易く揺らがないで欲しい。二人揃って、想うことばかり得意になって想われることに不器用だから、秋には悪いが呆れてしまう。一之瀬が秋以外の女子に告白されて端から返事を決めているくせに想いを聞き届けるのは優しいからか。秋が一之瀬以外の男子に告白された時だってどうだろう。同情とまでは言えないか。だけど彼等は手折られた気持ちが落ちていく場所の覚束なさを知るから誰にも冷たくは出来ない。漸く手に入れた心があるのだから、それだけを大事にしていれば良いのに。

「秋はさ、一之瀬が好きで…それじゃあ他の子の呼び出しなんて全部断れとか言えないもんな」
「……言いたいのかな?」
「それは俺にはわからないけど、言っても良いとは思う」
「言ったら、一之瀬君は同じことを私に望んでくれる?」
「一之瀬は最初から望んでるよ。ただ言わないだけ。格好つけてるからな」
「土門君は一之瀬君のこと凄くわかってるんだね」
「はは、俺の一之瀬の片想い見守り歴も結構長かったからなあ…」
「…そうなの?」
「うん、一之瀬は秋しか想ったことないよ」
「………」
「だから少しへたくそなのは許してやれよ」
「土門君?」

 まるで親だな、と苦笑して秋の頭に手を置けば彼女の頭が自分より随分低い位置にあることを今更に実感する。とても小さい、大切な女の子。傷つけてしまわないように、友人だとか幼馴染だとかよりもずっと慎重に間合いを測る一之瀬の姿が思い浮かんで、浮かべたままの苦笑はなかなか去ってはくれない。掴めない距離感なんて挟まずに、いっそのこと抱き締めてやればいいのに。言えば、余計なお節介だとでも臍を曲げるだろうか。
 不意に、ズボンの尻ポケットに入れていた携帯が震える。秋の頭に乗せていた手で携帯を取り出せば待ち受けには新着メール一件の文字。差出人の予想は瞬時について、ボタンを押せば数秒でそれが正解だと知る。今自分の隣に居る少女を見なかったかと尋ねてくる文面に、河川敷と単語だけ入力して変身。どこかそっけないのは、好きな女の子をこんな時間にひとりぼっちにさせたことを怒っているとでも捉えてくれればいい。恋愛感情を挟まなくったって、土門は秋を大切だと思っているのだ。勿論それと同じだけの感情を一之瀬にも抱えているけれど。
 開いてからさっさと携帯を閉じてまた仕舞った土門に、秋は大事な用件だったのかという瞳を向けてくる。用事が出来たのならば自分に構わず行っていいとまで言い出しそうだから、先手を打って「一之瀬来るってさ」と自分だけでなく秋をこの場に縫い付ける。
 どれくらい待ったのか、恐らくものの数分で一之瀬は二人の元へやって来た。方向からして、学校から全速力で駆けてきたのだろう。着いた途端膝に手をついて呼吸を整える一之瀬に、秋は自分の鞄からタオルを取り出して差し出す。反射的にそれを受け取って礼を述べた一之瀬はばつが悪そうな顔をして土門を見上げる。どうやら、秋の抱える不安は彼にも伝わっているようだ。

「――それじゃ、邪魔者は退散しますかね」
「え、」
「土門君、一緒に帰らないの?」
「そうしたいけど、お二人さんはまず二人きりで話さなきゃなんないことがあるだろ?」
「う…、」
「わかった、ありがとう」
「一之瀬君…」

 流石は現役運動部員、もう呼吸を整えて、土門からの申し出を受ける。サッカーの試合同様真剣に、一抹の揺らぎもなく向けられてくる視線に安堵して、土門は別れの挨拶を残して一足先にその場を去った。心配で振り返るなんてことは一度もしない。どうせ明日には元通り、そして少しだけ前進した二人の姿が見られるから。
 ――俺ってこんな世話焼きだったか?
 それは相手があの二人だからということもあるだろうけど。幼馴染って大変だなあと噛み締めながら家路を歩く土門の後方で、残された一之瀬と秋は彼の予想に違わずしっかりとお互いの手を繋ぎ直していた。
 そうして翌日、朝練で顔を合わせるなり一之瀬にも秋にも「ありがとう」なんて満開の笑顔で言われてしまうから、土門も結局二人のことが好きだなあと改めて実感してしまって、大事な幼馴染二人が末永く幸せでありますようになんて随分子どもらしくない願い事を心の内で唱えるのだ。



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Title by『ダボスへ』




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