「あ」

 気付いて、声を漏らした次の瞬間には天馬の視界は揺らいでいた。転んだということは、身体が地面にぶつかるよりも先にわかっていた。
 試合形式の練習中、ついボールばかりを目で追ってしまい、他の選手の位置を確認する作業を怠ってしまった。つまりこれは天馬のミス。本人にも自覚がある為、接触し転倒の原因となった剣城のすまなそうな顔に慌てて笑顔で悪いのは自分の方だと声を掛ける。立てるかと伸ばされた手をありがたく拝借して立ち上がれば、走った痛みに顔を顰める。よく見れば、両の膝小僧から血が流れ落ちている。運動部と子どもにつきものである怪我だから、物珍しくはないけれど、ここまで派手に出血するのは随分と久しぶりだった。靴下に血痕を残すまで流れてしまったそれを、手で押さえて止血する訳にもいかず、タオルを使うより直接水道で洗い流してしまうのが良いだろうと思いながらも練習は未だ継続中。せめて誰か先輩に言い残してからグラウンドを離れようとしていた天馬の耳に、叱責するような声が届いた。

「天馬!何してる、練習中だぞ!?」
「キャプテン…、えっと…」
「キャプテン、こいつ俺とぶつかって怪我したんでちょっと抜けた方が良いと思います」
「怪我?……ああ、さっきの接触だな。天馬、あれはお前の不注意だぞ」
「すいません…」

 いつまでも試合に合流しない一年生二人に業を煮やしたのか、キャプテンの拓人が注意をしに来たらしい。説明を受けて天馬の怪我を確認しながらも原因を把握している拓人の眉は気難しげに寄せられている。ボールを持っている人間の転倒ではないし、ファールがあった訳でもないので試合の流れを止めずにいた拓人だが、きちんとグラウンド内の選手の位置には留意しており、天馬が他選手の位置掌握を怠ったが為に起きた接触も視界の端で収めていた。天馬にも自覚があるだけに、拓人からのミスの指摘にただ項垂れるしか出来ない。気まずそうに立ち尽くしていた剣城に練習に戻るよう指示を出して、拓人は天馬にグラウンドから出るよう促す。

「お前はMFなんだからボールばかり追っかけていたら駄目だぞ」
「はい…」

 同じポジションの後輩として教えたいことは未だ多量にあるけれど、怪我をしているのだから仕方がないと息を吐いてまずは保健室に行って来いと肩を叩く。こちらもそろそろ休憩にするから、休憩明けの練習にはまた合流できるようにと言いつけて。注意が続くと思って身構えていた天馬は予想外の指示を瞬時に理解することが出来ずにいたが、遅れて返事をすると保健室に向かって走り出した。背後から聞こえる怪我人がそんな勢いよく走るんじゃないという声にも「わかってます!」と大声で返事をする。それでも、天馬の走る速度が落ちることはなかったけれど。

「キャプテンはもうちょっと天馬に優しくしてくれても良いんじゃないかな」

 そう不満げに呟いたのは、天馬を心配して休憩になると直ぐに彼を追いかけて保健室まで駆けてきてくれた信助で。生憎留守の保健医をわざわざ職員室に行って呼び戻すこともないだろうと、消毒液やガーゼが纏められた救急箱を漁る天馬は友人の言葉の意味が理解できずに背を向けたままで詳細の説明を求めた。保健室に行く前に傷口を洗っておこうと水場に寄ったものの、時間が経った傷口の出血は既に固まり始めていて洗い落とすのに手間取ってしまったのだ。休憩時間が終わるまでには部活に戻りたい天馬は消毒液とばんそうこうを取り出して椅子に座る。

「だって天馬転んだのに全然心配してくれなかったよ」
「あれ、信助見てたの?」
「キーパーだもん。天馬すっごく痛そうだったけど本当に足以外は大丈夫なの?」
「平気だよ」

 天馬の前に立って、信助は彼が転んだ辺りから拓人が駆けつけて今に至るまでの殆どを観察して感じたことをぽつりぽつりと言葉にする。その途中、天馬の治療があまりにたどたどしかったので交代してやる。怪我の部位が広くて、天馬の用意した一番小さいばんそうこうでは意味がないと箱の中から大きめの物を取り出して渡してあげた。
 まあつまり、信助の言いたいことは時と場を弁えすぎた拓人と天馬の関係が、時折堅苦しく映ってしまうということなのだ。キャプテンとして全ての部員に平等である拓人の姿はとても好ましいし、尊敬している。だけど、彼にとって天馬がどれだけ大切な存在なのか、それを雷門のサッカー部で知らない人間もまたいないだろう。最悪、天馬がいなければ拓人は現在キャプテンはおろかサッカー部に在籍すらしていなかったかもしれないのだから。理不尽に天馬と他者を天秤に乗せて差別化して欲しい訳では当然ない。ただもう少し甘やかしたって良いんじゃないのとお節介にも思ってしまうのは信助の我儘だ。天馬が抜けて直ぐに休憩にするのなら、彼を送るなり様子を見にくるなりしないのだろうか。そんな不満がありありと顔に浮かんでいたのか、椅子に座っている天馬よりも低い位置にある信助の頭を天馬の手が優しく撫ぜた。

「信助が心配してくれてるのはよくわかったよ。でも俺はキャプテンが冷たいとかそういうことは思わないんだ」
「好きだから?」
「えっ…、まあ、それもあるけど…。やっぱり同じポジションだし、俺はまだまだキャプテンから教わることが沢山あると思うんだ。だから今日みたいに俺が何かミスをしたのなら直ぐに注意して貰えるっていうのは寧ろありがたいことなんだよ」
「……ありがたい…」
「えーっと、ほら、あの…もしかして期待されてるのかなーなんて…」
「ええー、今更?」

 信助の呆れた顔に、天馬はなんでだよと抗議するもののそろそろ休憩が終わるよと言われて慌ててばんそうこうを貼って保健室を後にした。信助が自分の考え方に納得してくれたのかは結局わからないけれど、自分を心配してくれたことは確かなので、天馬は心の中で礼を述べた。


 その日の練習が終わり、皆それぞれ帰宅の途に着く。天馬も帰ろうと部室を出たところで拓人に声を掛けられ一緒に帰ることになった。二人きりで帰ることもそう珍しくもなかったので、天馬はいつも通りその日の部活の話をするくらいだろうと、特に緊張するといったこともない。

「足は大丈夫だったか?」
「足…?ああ、大丈夫です!ちゃんと消毒しましたから!」
「そうか…すまなかったな、直ぐに気付いてやれなくて」
「へ?」

 予想だにしていなかった拓人からの謝罪に、天馬は首を傾げる。この怪我に於ける当事者は自分と剣城で、しかも非は自分にあると拓人も知っている筈なのに何故謝られるのか、それがわからない。疑問符を浮かべてじっと自分の顔を見つめてくる天馬に苦笑しながら、拓人は制服の長ズボンに隠れて今は見えない彼の負傷した足元へ視線を落とした。

「いや、思い出すと随分ひどい怪我だったのに長々と引き留めてしまっただろう?」
「そうでしたか?」
「部活中はキャプテンとして接しようと必死で不必要にお前に厳しく当たってないか心配なんだ」
「でも、キャプテンが俺に厳しくするってことはそれだけ改善すべき点があるってことだと思うんですけど…」
「そうだとしても、天馬以外の人間にも厳しく出来なければそれは理不尽だろう?」
「そんなことないですよ!それだけキャプテンが俺のこと気に掛けてくれてるってことですよね?」
「―――!」
「…キャプテン?」

 満面の笑顔で、拓人からの厳しさが嬉しいと言いきった天馬の発言に思わず言葉をなくす。自分がどれだけ凄いことを言っているかまるで自覚のない天馬に、拓人は思わず赤くなっているであろう顔を見られたくなくて、片手で顔を隠した。
 ――気に掛けるなんてそんなの!
 何を当たり前のことを言っているんだ。好意が贔屓や堕落に繋がれば自分で自分を許せなくなるから、拓人は毎日必死だというのに。そんな必死さの不器用な表れである厳しさすら無邪気に拓人からの愛情だと信じて疑わない天馬に、拓人は敵わないなと顔を覆っていた手を外して笑いかけた。

「俺、キャプテンとするサッカー大好きですから!」
「へえ…、サッカーが、か…」
「……キャプテンも!キャプテンも好きです!」
「ああ、俺もだ」
「――!もう、あんまり恥ずかしいこと言わせないでくださいよ!」

 照れ隠しなのか、拓人の制服の袖を掴んで引っ張る天馬に、お前の無自覚な発言の方がよっぽど恥ずかしいと真面目に説き伏せるなんてことは出来ないまま。
 ――可愛い、なんてことも言わない方が良いんだろうな。
 悪かったよと心底悪びれない謝罪に、天馬の頬は膨らんでしまったけれど。迫力に欠けるその頬を突きながら、明日の部活はどんなことを教えてあげようかと思案する。周囲には伝わりにくいのか、天馬に厳しいと称されながらも実の所やはり拓人は誰よりも天馬に優しかったりする。そしてその優しさはしっかりと天馬には届いているから、明日はどんなことを教えて貰えるのか、天馬はいつだって拓人とのサッカーが待ち遠しく明日に想いを馳せるのだ。


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20万打企画/莉夜様リクエスト

そんな感じで憧れてる
Title by『ダボスへ』





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