綺麗に切りそろえられた両手の爪先を見て、鬼道はおや、と目を見張った。ゴーグル越しにはわかりにくいその反応は顔全体に出ていたらしく、塔子は「何?」と首を傾げた。だが直ぐに彼の視線がクリアピンクのマニキュアに色付いた自分の指先に向いていることに気付き慌てて両手を背中に隠す。見られて困ることではないが、らしくないことをしている自覚がある分気恥ずかしさは拭えない。
 塔子の行動に、鬼道は視線が露骨過ぎたかと反省しながらも彼女の気持ちが手に取るように分かるから、申し訳なさより可愛さが勝ってしまいつい苦笑を浮かべてしまう。これでは彼女は子ども扱いするなとますます臍を曲げてしまうと知りながら。らしくないというより珍しいと思ったのだが、奇抜な色を使用しているでもない指先には何の不自然さもない。人によっては意識して見なければ塔子がマニキュアを塗っているとも気付かないだろう。鬼道が気付いたのは、それだけ意識して彼女のことを常日頃見つめているからだということだ。純粋とは言い難いが、後ろめたくもない。
 好意を伝えてからそう時間が過ぎた訳ではなく、異性から告白をされたのは初めてだと照れ笑いではにかんだ塔子に、鬼道は正直それは彼女が相手の意図に気付かなかっただけなのではと思う。惚れたという事実は、普段どんなに冷静な人間であっても相手を誰より魅力的に映すものだ。だからこそ、塔子が自分への恋心を自覚してくれたこと、自分の恋心を理解してくれたことが何よりも嬉しいのだ。

「…鬼道、何笑ってんの?」
「いや、思い出し笑いだ」
「ええ?思い出し笑いするのってスケベなんだろ?」
「どんな原理だそれは」
「さあ?」

 塔子のマニキュアからどんどん思考がずれ込んでしまって、自分たちの関係が恋人であるという現状への喜びに緩んでいた頬を指摘されたことにより話題までもがずれてしまう。塔子も話題がずれたからか、どうでもよくなったからなのか、背後に隠していた両手をぷらぷらと放置している。

「その爪、誰かにやって貰ったのか?」
「これ?ううん、自分でやった」
「そうか、てっきり――」
「リカにやられたかと思った?」
「ああ…」
「だよね、最初はあたしも自分でやったわけじゃないし」
「だろうな」

 塔子と無二の親友となったリカは、自分のものでも他人のものでもお構いなしに、兎に角恋愛事に首を突っ込みたがる体質で。お節介とも野次馬とも取れるその性格は時に暴走する厄介な部分である為、鬼道としてはあまり関わりたくない部分だ。勿論リカ自身を煙たがっている訳ではない。ただテンションが違い過ぎると悟っているだけだ。その辺りは、リカとは真逆に自他関係なく恋愛事にとことん疎い塔子だったから鬼道と立場を似たものとしていた。しかしそのリカのお節介な部分が、自分と塔子の恋愛に於いて様々な働きかけをしてくれたことも事実なのだろう。でなければ、あの塔子が自分への恋心を自覚したり恋人として付き合うことを了承したりしてくれたかどうか。そんな風に考えるのは自分の恋人に失礼なのだろうか。
 お洒落といった自分を着飾ることに無頓着な塔子に洋服やアクセサリーを押し付けたり、化粧を施したり髪を弄ったりと、恋をした女の子が力を入れるであろうことをリカはとことん塔子に教え込もうとしたらしい。そのハイテンションと容量にげんなりしながらも友人からの厚意を無碍に出来ないが故に付き合っていた塔子が流石に可哀想になり、一度鬼道がリカに直接談判してほどほどにして貰うよう頼んだことがある。たとえ一生塔子がこのまま変わらず自分を着飾ることを覚えなくとも、自分の気持ちが揺らぐことはないから問題ないだろうと。惚気たつもりはないし、やっと恋人になれた相手が特訓と称された時間に拘束されて自分よりも友人といる時間の方が長いことに拗ねていた訳でもない。断じてだ。だがリカには「大層な惚気やなあ」とにやついた顔で見られてしまった。
 この頃からだったか、塔子が少しずつ女の子らしい服を着たり、化粧を覚えようとし始めたのは。それでも彼女にとっての楽しいの比重はサッカーに幾分傾いているので、そういったことの頻度はあくまで少なかった。しかしそこは恋人の鬼道であるから、その少々がやけに目についた。今回のマニキュアにしたってそうだ。最初は誰かに勧められたのだろうが、その後自分で挑戦している姿なんて以前なら想像できなかった。年頃の女の子だからと片付けるのは簡単だけれど、果たしてどのような心境の変化なのか。そこが鬼道の気になる所だ。リカにも言った通り、どんな塔子でも自分の気持ちが揺らぐことはないけれど。

「鬼道?黙り込んじゃってどうしたんだ?」
「いや、急にマニキュアなんてどうしたのかと思ってな」
「…それってそんな真顔で考え込むようなこと?」
「――すまない、それは無意識だった」

 逆に怪訝な顔で問い返す塔子に思わず謝罪する。確かに、マニキュアひとつでそんな真剣に考え込むこと自体必要ないことなのかもしれない。ただ今までの塔子が塔子だったから、理由になるのかもわからないそんな理由で尋ねた言葉は、鬼道の本心とは逸れて彼女に届いてしまったらしい。最初の手を隠してしまった時のように、ばつが悪そうな顔をしながら「やっぱり変?」と俯いてしまう。そんなことはないと慌てながら否定して塔子の手を取る。間近で見る爪先は、少しのムラがあったりはみ出してしまっていたりして、どこか不器用な印象を伝えてくる爪先に鬼道は微笑んでみせる。

「言葉が足りなかったな。今まで化粧なんて全然興味がなかったはずのお前が最近色々と挑戦しているようだから、その理由が単純に気になっただけだ」
「……ほんと?」
「ああ」
「そっか、……でも理由は秘密!」
「……どうしてもか?」
「どうしても!」
「…なら仕方ないな」

 掴まれているだけだった手を繋ぎ直して、塔子は悪戯っ子のような笑みを鬼道に向ける。秘密だと言い張るその笑顔を見る限り、別に後ろ暗い理由があるはずもないだろうから、鬼道も追及することを諦める。これからも時間は沢山あるのだから、直ぐに直ぐにと彼女の全てを暴く必要もない。時間が過ぎればあっさりと明らかになることもあるだろう。鬼道のそんな優しい傲慢な考えなど、塔子が理解しているわけもなく。だが塔子が女の子らしいことに興味を持ち始めた理由が、鬼道がリカに自分が変わらずとも気持ちは揺るがないと言いきってくれた時にあるということは、明らかにならずとも良いことなのだ。彼の言葉が本当に嬉しかったから、そんな彼の隣にずっと居られる女の子になりたいと思ったから。貰った言葉からすればどこか矛盾を孕む塔子の行動の根底は、結局鬼道に向かう「好き」という気持ちなのだから、言葉に表さなくても、事実として詳らかにならずとも一向に問題のないことなのだ。だって鬼道が塔子を凄く好きなことだとか、塔子も負けないくらい鬼道のことが好きなことだとか、そんなことは当人たちが一番よく知っていることなのだから。


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Title by『ダボスへ』





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