期間限定の値引きを売り文句にのぼりを掲げるドーナツ屋を横目に、葵は部活帰りのお腹には宜しくないものだときゅっと口元を引き締める。こういう日に限って財布の中身を正確に把握していたりして、小銭一枚を犠牲に払えばこのすきっ腹を満たせる上に口中にあの甘みが広がればすごく幸せな気分になるんだろうなあと思ってみたり。頻繁に行われるセールは次で良いだろうという出遅れに繋がりここ最近ドーナツを食べていないなあととうとう物欲しげな顔を浮かべる葵は先日友人らとケーキバイキングに乗り込んだばかりだがそれとこれとは別問題。なぜならケーキとドーナツは別物だから。それを区別出来ない我が家の体重計に問題があるのだと少しだけ現実を思い知りながらも葵の足はドーナツ屋を通り過ぎることなく停止していた。それによって、葵の隣を歩いていた剣城もつられるように足を止める。二歩分葵の先での停止は彼女の顔を伺うのに都合よく、露骨な視線を辿れば直ぐにその理由が知れて思わず溜息を吐いてしまった。

「剣城君、ドーナツ買ってきてもいい?」
「―――やめておけ」
「えー、でも今安いんだよ?一個だけ、ね?」
「そう言って店内に入ると買うのを一つに絞れずに何個も買うことになるぞ」
「…………」
「家に帰ったら夕飯があるんだろう。少しくらい我慢しろ」
「夕飯はドーナツじゃないんだもん…。あと発言がお母さんみたいだよ」
「お前の要求が子どもじみているからだろう」

 別に買ってとお願いしている訳でもないのにここまで正論で否定されると葵はもうぐうの音も出ない。それでも諦めきれない誘惑がすぐ真横にあるのだと、せめてもの抵抗に頬を膨らませれば剣城は二度目の溜息と共に片手で葵の顔を掴んで頬を押し潰した。傍から見ていると仲の良い学生カップルがいちゃいちゃしているように映るのだろうが、葵からすると今の自分の顔がかなり不細工なのではという疑念で冷や汗ものだ。対する剣城はあくどい顔で口角を緩く持ち上げているのだから間違いないと確信する。誰が好いた男の前で進んで不細工な顔を晒すというのだ。部活帰りはただでさえ色々危ういのだから、唐突に距離を詰められると困ってしまう。勿論、好きな人と並んで歩ける喜びはいつだって最大級だけれど女の子はまずその好きな人の隣に立つ前提としてそれに相応しい自分でいることを望むものだろう。制汗スプレー、パウダーシートと運動部故に他の女の子たちより枚数の多いタオルが鞄の中で幅を利かせる季節だから仕方ないと言えば仕方ない。それでいてパンパンに詰まった通学鞄はなんとなく恥ずかしくて日々悩みの種は耐えることを知らない。
 葵のそんな、剣城にばかり良く思われたい感情を気付いているのかいないのか。恋人という枠はゴールではないはずだけれど、中学生の自分たちに進める場所なんてないから割と悠長に構えているのかもしれない。言葉や態度に現れにくいだけで朝から晩までサッカーボールを追いかけていられるお馬鹿さんだから、正直女の子に興味なんて抱いたことはなかった。そんな自分が葵に対しては素直に可愛いなと思う。ころころ変わる表情も、幼馴染や部員に対してマネージャーとしてお姉さんに映るときもある彼女が年相応に自分の言葉に一喜一憂している姿も全て。そう認めるだけで、剣城の中の葵の位置は揺らがない。恋する女の子の悩みなど理解できるはずもなく、葵からすれば不用意に、剣城からすれば思い立つままに彼女との距離を詰めたりもする。それをいけないとは微塵も疑わない。だって自分たちは恋人同士なのだ。

「……そろそろ離して…」
「ああ、悪い」
「もー、剣城君ってドーナツ嫌いだっけ?」
「いや、普通」
「ふーん」

 離された手の熱が残る頬をさすりながら、葵はこっそり安堵の息を漏らす。部活終わりに洗顔済の顔はさらりと指に触れる。ふふん、と満足げに両手で頬を覆う葵に、剣城は訝しそうに首を傾げている。
 ――男の子にはわからないんだろうなあ…。
 そんな葵の脱力通り、剣城は彼女の些細な不安など気にも留めないのだけれど、この小さな不安と闘う努力を怠る日は来ないのだろう。それはやはり葵が恋する女の子だからだ。
 この数分で焦ったり安堵したりと波のある感情に振り回されてしまった所為か、葵はやはりドーナツが食べたいと思考が原点回帰する。身体は動かしていないけれど脳内はフル活動だったから糖分の魅力が普段の三割増しに感じられる。それもこれも剣城君がいきなり自分に触れたりしたからなんだしちょっとくらい良いじゃないのと今度は目にありったけの感情をこめて彼を見る。その葵の行為が、目は口ほどにものを言うとの諺通りに剣城に通じたらしく。じっと真っ直ぐな視線に射られて一瞬はひるんだ剣城だが直ぐに葵の意図を察して溜息を吐いた。因みに、本日三度目。そんな剣城から目を逸らすことなく、葵はこんなことは簡単に通じるのにどうして女の子の心の機微にはとことん疎いのだろうと不思議に思えてくる。察しが良すぎてフェミニストな剣城など望んではいないのだが。

「……このセールっていつまでだ…」
「来週の頭までって書いてる」
「じゃあやっぱり今日は我慢しろ」
「ええー?じゃあいつなら良いの?」
「今週の土曜、部活午前中だけだろ。その帰りにまた付き合ってやる」
「……土曜日?」
「それならドーナツ食って夕飯が入らなくなることもないだろ」
「剣城君も一緒に食べてくれるの?」
「…甘すぎないのならな」
「デートだ!」
「そういうことをデカい声で言うな!」
「でも初めて剣城君から誘われたデートだよ!」

 剣城の提案に一気に喜色満面ではしゃぐ葵を制しながら、こんな数日後の帰り道の約束ひとつでここまで喜ばれるのかと予想以上の反応にただ驚く。初デートというわけではないが、自分から誘いを掛けたことはそういえばなかったと反省。もしかしたら、葵はずっと自分から誘われたかったのかもしれない。
 一方の葵も、直前までの糖分への渇望は反転週末のデートへの希望で埋め尽くされた。デートと呼ぶには近場過ぎて山場も何もないけれど、仕方ないと妥協案のように提示されたそれは剣城から葵にだけ降り注ぐ甘やかしだから、喜べないはずがないのだ。
 そんなテンションだったから、恋する女の子故の悩みなんてあっさりと頭から抜け落ちてしまって、葵は高揚した心地のまま剣城に思いきり抱き着いてやった。瞬間、舞った制汗スプレーの香りがいつもよりも甘ったるく感じたのは、絶対に気の所為なんかじゃない。


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だって好きなあなた
Title by『Largo』





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