※?←秋←ヒロト


「好きな人がいるの」

 そう、自分ではない他の誰かに打ち明ける秋の死角に立ちながら、ヒロトはぎくりとざわめいた心の雑音に思考を乱されて、結局秋がその後何と言っていたのか、会話の相手が何と応じていたのか声が聞こえる範囲にいながら一切を聞き取ることが出来なかった。
 きっと何度も視界には映り込んでいた筈だった。エイリア学園の時は円堂の行く先々、もとい雷門中の行く場所行く場所に現れて不振がられても何の焦りも心苦しさも無かったのに。隠す正体もなくありのままに名乗ってしまえばこんなにも相手の目に自分がどう映り込んでいるか不思議に思うものかとヒロト自身意外だった。優しいと簡単に形容できてしまった秋の、大きなその瞳に映り込む自分が情けない顔をしていませんように。そんな小さな願望を抱きながら、ヒロトは次第に秋の真正面に立つことを怖がるようになっていた。それはきっと、自覚してしまった恋心が、秋の顔と名前を一致させた瞬間、自分と出逢うよりも先に築き上げた仲間との絆を見せつけられた瞬間、それでいて付き合いの深浅に隔てなく微笑まれた瞬間、秋に関わる全ての瞬間に叫ぶから。 ――怖い、逃げよう、恋しい、だけどこれは――。
 実ることはない恋なのだと知っていた。ヒロトはあまり恋愛に長けている訳ではないけれど、他人の感情を察するのは人一倍上手かった。だから、秋の視線を辿ってその先にいる人物を見つけることはとても容易かった。誰もが当たり前と呼んでいる光景に溶け込みすぎた恋心は、気付いてしまった人間からすれば不思議なくらい周囲にバレる気配がなくて、秋本人は寧ろその状況を歓迎しているようにも見える。
 優しいだけでは叶わない恋がある。届いたら良いな、ではなく届かせなければならない時があることをヒロトは知っている。告白という手段でもって完了されるそれを、実行する意気地がないことも自覚している。失礼かもしれないが、秋も同じだと思っている。ただヒロトと秋の違いはと言えば現在の相手との距離感故の憶病加減の違い。秋はきっと近過ぎた。ヒロトは遠すぎたのだ。恋愛に出逢う順番は関係ないというけれどそれでも。過去に自分の知らない場所で相手が積み上げた前提を否定するなんてことも出来ない。

「基山君?」
「――木野…さん」

 ぼんやりと立ち尽くすヒロトを心配そうに見つめる秋が、いつの間にかすぐ隣に立っていた。気を使って姿を隠していたつもりが既に会話を終えた秋に見つかった挙句気を使われているなんて情けない。尤も、息を潜めても大変は考えに耽っていて、秋が誰と会話していたのか、どんな内容だったのかまでは話の頭を齧っただけで全く聞き及んでいないのだから自分はたまたまここにいるだけだと居直ることも出来ただろう。内容を拾わずとも、雰囲気や初めに聞こえてしまった相手の声音から秋が告白を受けていると察してさえいなければ。
 秋の返答なんて耳をそばだてずとも最初からの決定事項の言葉が存在している。だから不安に駆られる必要などなかった。だけど、そんなこと秋に好意を寄せる人間にすれば万人共通認識だとばかり思っていた。だから誰もが二の足を踏んで見つめているだけでも、彼女が幸せならそれでだとか、良い人で終わる人間のテンプレな言葉を胸にヒロトのように口を噤むのだと信じていたのだが、実際には想いを伝えることを選ぶ人間がいるという至極当たり前な事実を、彼は今日初めて己の目で見、認識した。
 つま先から頭のてっぺんまで、秋に視線を走らせたヒロトは想像する。自分がこの好意を秋に伝えたとして、拒まれるであろう前提はある。ありがとう、ごめんね。正反対の言葉を並べて最後には好きな人がいるのと微笑まれてはどうすればいいのだろう。
 ――知ってたよ、それでも俺は君が好きなんだ。
 この切り返しは、相手を困らせるだけだろう。だって最初にごめんなさいと言われているのだ。だけど詫びられてそっかそれじゃあ伝えたかっただけだからと踵を返す訳にはいかない。すべての起こりうる事象にシミュレーションをこなすなんてことは不可能だけれど、何分憶病なヒロトはこうして脳内でしか肝心の一歩を踏み出すことが出来ない。秋は、ヒロトからの視線に居心地悪そうにしながらも彼の言葉を待っている。もしかしたら、立っていた場所が場所なだけに先程受けていた告白の様子を彼が見ていやしないかが気掛かりなのかもしれない。そこはもうばっちり出くわしてしまったがちゃんと見聞きはしていないと正直に打ち明けても果たして信じて貰えるかどうか、そこが問題だ。

「えーっと、木野さん、こういうの……よくあるの?」
「…こういうのって?」
「さっきの、告白とか」
「よくではないけど…。やっぱり聞いてた?」
「ごめん、タイミングが悪くて」
「ううん、良いよ。寧ろごめんね。気を使ってこんなところに隠れててくれたんだね」

 後ろめたさを抱くべきはヒロトだったが、秋の方が先に眉を下げて困ったように微笑むからヒロトはまた何も言えない。普段だって饒舌な訳ではない。だけども自分の意見を上手く言葉にできずにもどかしさに唇を噛むこともない。それなのに、秋を前にするとヒロトはいつだって言葉を選ぶことすら上手く出来ない。恋とはこういうものなのか。この恋だけは特別苦いのか。今を思い出に出来ていないヒロトには、答えが出せない。秋が抱いている恋も、同じようなのか。それとも、穏やかな日常の中に生まれていく暖かいばかりの恋なのか。それを問おうにも、やはりヒロトは彼女との距離を詰める努力をしなさすぎた。仲間と呼べば括れよう。だが友だちと呼ぶには微妙な距離が横たわる。秋が自分をどう思っているかなんて、恋愛対象でないことが自覚された時点で考えること自体放棄した。

「好きな人いるんだね」
「え!?えーっと……うん」
「あはは、大丈夫だよ。誰なのとか聞かないからさ」
「そ…そう?」

 だって聞かなくてもわかるし、とはどことなく嫌味な印象を与えかねないから言わない。それでも、ヒロトの追及をしないという言葉に安堵して息を吐く秋の頬は少しばかり紅潮していて、それが彼を何とも言えない気持ちにさせるのだ。
 ――想っただけでそんな風に赤らむんだ。
 それはきっと、恋の温度が暖かいからで。想うだけで苦しいと逃げ道を探す自分にはとても辿り着けない境地なのだろう。向かい合って立っていても、ヒロトはちっとも自分をアピールするだとか、二人きりの時間を長引かせようだとかいう意識が生まれない。だけど心のどこかで、他の人の所には、彼女の想い人の所にだって行ってほしくないと思っている筈で。もういっそ追い詰められて坂道を転がるように秋への想いだけで走り出せたらいいのに。願うだけで、実行されることはないと知っていてもヒロトは淡い展望を抱く。

「木野さんモテるんだね」
「――そんなことないよ。それなら基山君の方が女の子にモテてるじゃない」
「自分ではそんな気しないけどなあ。好きな子に告白して貰えるわけじゃないし」
「そっか。そうだよね」
「うん」
「……基山君も好きな人がいるの?」
「んー、秘密」
「ふふ、そっか」

 茶化して誤魔化した言葉を、秋は微笑みひとつで追求する気はないようだった。直前、彼女の想い人をヒロトが詮索しなかったことを感謝したのだから当然と言えば当然で。それが嬉しいような、悲しいようなでヒロトは思わず苦笑する。案外会話も続くものだと思いながら、普段と変わりない態度の秋に不躾にならない程度の視線を送り続けることを止めない。届かなくとも絡めておきたい。伸ばせない想いの丈はヒロトの中でのみ幅を利かせていくのだろう。それを知りながら、ヒロトは時折秋の日常におじゃまして会話してそれだけで終わる。直ぐ傍で想いを散らせた見も知らぬ他人に、少しばかり尊敬の念を抱くくらいには身動きが取れない。
 ――俺、好きな人がいるんだ。
 そんな言葉すら呟けないまま。叶わないだろうと自覚と共に諦めたはずの恋に、ヒロトは結局叶ったらいいのにという希望を捨てきることも出来ずにいる。


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20万打企画/東雲様

他人のふりをして逝くように
Title by『告別』



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