天気予報は未だ梅雨入りを宣言しない衣替えを迎える直前、季節は足早に先に進んで日差しばかりが強く照りつける。捲り上げたシャツの袖口のごわつきが鬱陶しくて、葵は下に着たキャミソール一枚で出歩けない学校という場を心底恨めしく思う。掃除の時間、外の水場でふざけあっている男子がびしょ濡れの制服を脱ぎ捨てても咎めるのは掃除を真面目に行っていないという部分だけなのだから羨ましい。尤も問題なのは暦を先走り過ぎているこの暑さなのであって、断じて薄着で出歩きたいと思っている訳ではない。単に、汗まみれになるのが嫌なのだ。部活や体育の時間で運動着に着替えているのならば遠慮なく動き回り汗をかこうと泥まみれになろうと気にしないのだが、制服でしかも教室の授業もまだ残っているのに汗をかくというのは後々不愉快になるから御免こうむりたい。
 地域の集会の場として学校を使用するらしく、いつもならば授業終了後に行われる掃除が昼休み後に繰り上がり、午後の授業前に挟まれてしまったことは少なくとも葵にとってはアンラッキーという外ない。普段ならばそのまま直ぐに部活に行くからという理由でよほど暑ければ上だけでも運動着に着替えることが出来るのに、今日に限って制服のまま掃除をしなければならなかった。しかも葵の担当場所が校舎から体育館への渡り廊下という日差しの当たる場所であった為に現在掃除を終えた今彼女は額に浮かぶ汗を腕で拭いながら教室への道を戻っている最中だ。
 ――廊下って涼しいなあ…。
 直前が直前だっただけに、廊下のひんやりとした空気に救われながらぺたぺたと廊下と上履きが音を立てるのを気にすることなく歩き続ける。未だ掃除の終了していない場所や、さっさと済ませて昼休みを延長している人たち、がやがやと騒がしい廊下の窓はどこもかしこも全開なものの、吹き抜ける風はなく梅雨など通り過ぎて夏が来てしまったと葵だけでなく多くの生徒がシャツの袖を捲り、靴下を足首までずり下ろしていたり、スカートを折っていたり。男子は勿論学ランなど着用していられる訳がない。今日ばかりは教師陣も自然の力故仕方ないと校内の制服の乱れには目を瞑ってくれるだろう。そう、辺りを観察しながら葵が総括しかけた時、正面からゴミ箱を抱えた狩屋が歩いてくるのを見つけた。この僅かなら距離なら汗をかいたりはするまいと小走りで彼の名前を呼びながら駆け寄れば相手も直ぐに気付いて目線を上げる。両手はゴミ箱で塞がっているので何のリアクションもないがそれはさして気にすることでもない。

「狩屋君って掃除教室だったっけ?」
「うん。空野さんはたしか渡り廊下だったっけ?ほんとご愁傷様だよねこのクソ暑い日に」
「そのセリフ、これから焼却炉に向かう狩屋君にそっくりそのままお返しするよ!」
「うわー。……一緒に行く?」
「行っかなーい!」

 道連れを作ることに失敗して、ちぇっと唇を尖らせる狩屋の肩を笑って叩きながら葵は彼の横を通り過ぎた。「頑張れ」なんてたかがゴミ捨てに向かう友人に贈る言葉ではないが今日は本当に暑い。せめて夏服だったら気分も違っただろうにと本日の気候に思考を落ち着けようとするものの、葵の思考は今やそれ所ではなくなっていた。
 ――私、汗臭くなかったかなあ?
 もしそうだったら、狩屋にまでそう思われていたらどうしようと一気に湧き上がる羞恥や不安、混乱で葵の体温は上昇し、本人とはもう擦れ違ってしまったというのにここから逃げ出したいという衝動のまま走り出し、途中誰かもよく確認できなかった教師に廊下を走るなと注意されたもののそのままの勢いで教室に駆け込んだ。逃げ場所としては、ゴミを捨て終えた狩屋が戻ってくるこの場所は若干不適切ではあるのだが。今の葵にそんなことを気にしている余裕はない。狩屋に近付いたのだって自分からで、自業自得と言えばその通りだけれど、クラスメイトで部活仲間が正面にいるのに気付かないふりを決め込むのもおかしな話だ。ましてやそれが好きな相手だったりしたのなら、やはり誤解を与えるような無視をするという選択肢がそもそも存在しない。せめてタオルを持ち歩いていたら少しくらい女の子らしかったかと、自分の席に戻り鞄から取り出した水色のタオルを両手に広げて顔を押し付ける。これも、掃除の邪魔になるからと置いていくと決めたのは葵自身だ。
 ――汗まみれじゃなかったら一緒にゴミ捨て行けたのにー!
 椅子に座り、ばたばたと足を暴れさせる葵の胸中は複雑だ。これから夏になり、屋外で活動するサッカー部のマネージャーである葵には汗と日焼けは避けられない敵となる。屋内コートもあるが、あれは恐らく日差しがしんどいから今日は中で練習しようぜという代物ではない。大雨や雪でグラウンドが使用できなくなった時の為の物。スポーツ少年らが暑さに負けるなど許されないのだ。
 こんなことで狩屋と距離を詰めることに憶病になっていたのではこの夏をとても乗り切れない。どちらかといえば活発な気性である葵にとって、汗も日焼けも恐れる対象ではなかったのだけれど、恋をしているとなると話は別だ。狩屋が汗や泥にまみれていない清潔な女の子が好みだと宣言した訳ではないし、自分のことをそういう対象として見ていなければ何も感じていないかもしれないけれど。しかしそこを割り切ってしまえば恋をしているとは到底実感できないから葵は一人悶々と考え込んでしまう。
 そんな、机に突っ伏している葵に声を掛けてきたのは、ゴミ捨てを終えて教室に帰ってきたばかりの狩屋だった。

「空野さん」
「はい!?」
「うわっ、ごめん寝てた?」
「ううん、ちょっと考え込んでただけ!何か用?」
「あー、うん。余計なお世話かもだけど…これ」
「―――ハンカチ?」
「さっき廊下で会ったとき顔赤かったから…濡らしてきた」
「良いの?私…ほら、汗かいてるし、汚れるよ?」
「いや別に気にしないけど。俺ら運動部じゃん」
「本当に!?本当に気にしない!?」
「―――?うん、汗かいて洗濯物洗わないとかなると流石に引くけど…それ以外は別に」
「そっか、そっかあ…」
「どうでもいいけど使わない?」
「ううん、使う!ありがとうね狩屋君!」
「……どういたしまして」

 自分を気に掛けて、熱中症だったら大変だと自分のタオルハンカチを水で濡らして差し出してくる狩屋の優しさに、葵の頬には自然と熱が集まって行く。それを、やはり熱があるのかと心配そうに見つめてくるマサキに心配しないでと笑いかける。これは、嬉し過ぎるからなのだと。
 そんな葵の気分の急上昇を知る由もない狩屋が、実は先程の廊下で葵をゴミ捨てに誘って逃げるように断られてしまったことを地味に気にして凹んでいることを、葵もまた知らない。汗臭くなることを気にしているらしい葵の言動に、それでは部活中の自分は彼女に近寄らない方が良いのかと不安になってくる狩屋は、本人に伝える勇気は持てないままに彼女のことが好きなのだけれど。勇気もなければその好意が葵本人に伝わっている気配も微塵もなくて悲しくなる。
 手渡されたタオルの冷たさで涼を取りながら頬の熱を引かせていく葵とは裏腹に、彼女の前に立ち尽くす狩屋はひとり内心で頭を抱えるのであった。


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今日は炎のおまつりだ
Title by『ダボスへ』





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