※拓茜←浜


「スタート地点って大事だと思うんだよね」

 何の縁もなく、席替えで隣の席となった浜野が漏らした呟きに、茜は独り言だろうかと首を傾げながらも視線を送る。今は数学の設問を解く為に与えられた時間で、兄より15分遅れて家を出たたかし君が兄に追い付くのに要する時間を求めなければならない。成程、スタート地点って大事。兄を待たせるなり準備を急ぐなり一緒に家を出てくれればこんな問題は必要なかったのに。数学の問題は得てして効率の悪いことばかりしていると思う。茜は数学が嫌いなのだ。

「でもそのスタート地点って場所?時間?」
「んー、どっちも!」

 茜からの反応があるとは思っていなかったのか、彼女の疑問に浜野は嬉しそうに返事を寄越す。本当は、彼らしい懐っこい笑顔で語るような意味で発した言葉ではなかった。数学の話など、浜野はしていないのだから。
 スタートする場所が一緒ならスタートする時間を早めなきゃ優位には立てない。だけど時間を早めたとして果たして彼女は現在と違う相手に恋をしていただろうか。例えば、自分とか。

「ないよなー」
「?浜野君、問題解いてる?」
「解く、解くよ!」

 ひとり脳内で完結する疑問は躓く要素などなくいつだって現実としてそこにある。神童拓人に憧れてサッカー部のマネージャーになった茜の肩書きは今やそれだけでなく彼の恋人でもあって、そして浜野の片想いの相手だったりする。三点バラバラに散らばっていた関係が、二点がいつの間にか寄り添って一点は置いてけぼりで寂しいったらない。浜野の密やかな恋は、彼の開けっぴろげな性格とは裏腹に誰にも感づかれることなく育まれてきた。席が隣同士になった時、茜が自分のシュートを写真に収めてくれた時、一緒に日直をしたり、偶々移動教室から二人きりで教室まで帰れた時、小さなことで水ではなく栄養剤を摂取したかの如く浜野の恋心は芽を出し、歯を付け、蕾となり花を咲かせた。掛かった時間は小学生の観察用朝顔よりずっと短くて、のぼせているだけなんじゃないのと自制を兼ねて問うてみても返事は即座にそんなんじゃないよの一点張りだ。
 ――見込みがなくったって最初から舞台が違ったって、山菜の幸せが俺のいない場所で神童さえいれば完成されるものだとしたってこの気持ちは絶対恋なんだよ。
 カメラのピントを合わせるよりも、目と目を合わせて話したいことが沢山ある。だけど浜野がいる場所は良くて隣、それ以外はずっと後方で茜と向かい合って見つめ合うのは結局神童拓人だけなのだ。羨ましいと思う。普段の拓人を見ているだけなら、生真面目で責任を負う立場にある彼は酷く窮屈そうに見えて絶対そんな風に思ったりはしないのに。山菜茜の恋人、そのポジションだけは羨ましくて、そしてどうやっても奪えない物だから、浜野の恋は散れもしないままくすぶって彼自身すら戸惑わせている。
 そんな、授業中であるにも拘わらず茜への恋心に浸り心此処に在らずな浜野の様子を、その恋の相手である茜が不思議そうに見つめていることを彼は気付いていないようだった。問題を解くと言ってペンを手にした浜野だったがそれ以降一切の動きが見られないことを流石に大丈夫かと心配するが具合が悪そうでもない。
 ――そんなに難しかったかな?
 解答を投げ出すほどの難易度ではないと茜には思えたが、そこは個人差があるので一概には言えない。が、実際浜野は問題には取り組んですらいないのだから茜の心配は杞憂である。

「浜野君?」
「んー、何?」
「もう答え合わせだよ?良いの?」
「…良いよー、たかし君はお兄さんに追いつけなかったから」
「…追いついたよ?」
「俺は追いつけないの」
「……?変なの、浜野君たかし君じゃないよ」

 「解らないなら教えるよ?」という茜の申し出に普段ならば意気揚々と食い付いていただろうが、今日はそんな余裕はないと一応礼を言って断ってしまった。時折彼女に勉強を教わると、シン様に教わった所だから解るよ等とダメージを食らう恐れがあるので体力は満タン時に臨まないと此方がしんどいのだ。追いかけるだけの恋は燃料の充電と消費が釣り合わないから難儀だ。
 浜野の何気ない言葉に不安を覚えたのか、茜はノートの答えをしきりに確認している。たかし君はちゃんとお兄さんに追いつくかどうかが心配なのだろう。数学の設問である以上、追いつくことが大前提である。にもかかわらず見直しに余念がない茜を見ていると浜野は自分の言葉でも茜の行動に影響を与えられるくらい彼女の心を揺らせるのだと実感し嬉しくなる。彼女からすれば迷惑極まりないだろうが。
 遥か前方を、仲睦まじく手を繋いで歩いている拓人と茜に、果たして自分は追いつけるのか。浜野はいつだって悩んで、考えて、結果答えを保留にして誤魔化している。出来る出来ないの問題でもなく、やるやらないの問題でもない。好きだから、追いかけたいのだ。無理だの入り込む隙間もないだの、この恋が絶たれた時の為の言い訳は、茜を好きだと自覚した時から十分に用意されていた。追いついて、しっかりと繋がれた手に手刀を落として引き裂きたいとか、そんな欲求はないのだけれど、恋と自覚した以上は行動あるのみだ。
 流石に、今この場で好きだと伝えるには準備不足でただ驚かれて終わってしまうだろうからそこは周到に行くつもり。少なくとも現在茜とクラスの違う拓人より、座席が隣の自分の方が物理的な距離は断然近く、共有する時間も長いのだからと考えるだけで頑張れそうな気がしてくる。友だちと話すときの自然な表情だって沢山見ているし、お気に入りのシャープペンがどれかだとか、新品のノートにまっすぐ綺麗に名前を書けた時の得意げな顔を目撃したのだって神童ではなく自分の方が知っているんじゃないか、なんて。クラスメイトの女の子をそんなにじろじろ見ているなんて誰かにバレたら確実に引かれてしまいそうだけれどそこは秘めた恋心が自然と山菜茜という少女にピントを絞って自動追跡するということで勘弁していただきたい。

「ねえねえ山菜、やっぱり教えて!」
「――良いけど浜野君ちゃんと自分で解こうとしてみた?」
「やってみたけど凄い数になったから絶対違うと思うんだよねー」
「……わあ、確かに240分も掛からないよね」

 それなら最初から親に車出して貰うか公共の交通機関使った方が早いよね、と顔を見合わせる。ただの計算ミスを会話の種にしてくだらないと知りながら笑いあえる一時の楽しみ方も、真面目な拓人とだったら単に間違いを修正して終わってしまうんだろうなあと思ってみたり。俺だったらなあという想像は四六時中浜野の脳裏を離れることはないのだけれど。取りあえず今は数学を教わる為にこっそり椅子を彼女の方にずらして間合いを詰めても良いかなあと、浜野は割と真剣に考えている。


―――――――――――

20万打企画/ゆうみん様リクエスト

波がかえしてくれたらいいのに
Title by『ダボスへ』




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -