例えば、同い年の男の子じゃないとして、せめて一日を同じ校舎の中で過ごす程度の差ならまだ幾分心穏やかな恋だったと思う。廊下と教室の窓越しに行う談笑も、偶然の擦れ違いざまに交わす昼食の約束も、教科書やジャージの貸し借りも、同じ制服に身を包みながら街を歩けば当たり前のように恋人と思われる放課後も、憧れないと言えば嘘になる。近付いて声を上げなければ気付かれない距離感がもどかしくて、同級生の友人に相談しようと何度も思った。けれど好きな人がいるとは言えてもそれ以上のことがどうしても言えなかった。身内が関わっている状況がややこしいからだとか、アドバイスを貰ってもその通りに出来る見込みもないなら端から相談するだけ無駄だとか様々な理由が夕香の脳裏を駆け巡る。
 初めて会ったのは、兄のサッカーの試合を応援しに行ったとき。憧れも恋も知らずただ兄を慕っていた時期だったから、会ったというよりも見た、最悪視界に入っていたと表現しても差し支えない。そしてその印象は兄に憧れている人で、尚且つ小さかった。観客席で見る遠くの姿も、近付いて見上げる姿も、大体隣に兄がいた所為だろう、あまり大きいなんて思わなかったし、それほど遠いとも感じなかったのだ。そして、そんな彼に、宇都宮虎丸に恋をする日が来るだなんて、夢にも思っていなかった。


 放課後、兄の元を訪れないときは大体一緒に帰っている友人が、用事があって一緒に帰れないと両手を合わせて詫びて来たので気にしないでと送り出してやった。なんでも、昨日から一つ上の先輩と付き合い始めたらしく、今日は早速放課後デートらしい。頑張っての声援とおめでとうの祝辞を揃えて贈ってあげればはにかんでお礼を言う友人が、なんだかとても可愛らしく思えた。恋をすると女の子は綺麗になると言うけれど、恋が実ってからの方がずっと綺麗なのねと夕香は初めて思った。初恋を、父親と結婚したがる娘と同じレベルで兄に捧げたとするならばそれが実ることは当然ありえない。いつの間にか家族愛に落ち着く感情だ。そして二度目の現在進行形の恋を実らせていない夕香には未だ知りえない場所。髪形を変えても、スカートを短くしても、化粧を頑張って可愛い服を身にまとっても、貰える感想はいつも「そのままで十分可愛いのに」なんて、家族にしか通じないお世辞。それが夕香にはひどく無関心な反応に思えて不満なのだ。だから最近では見た目で虎丸の気を惹こうとするのは無駄だと諦め始めている。それでも、ひとり着いた帰路の途中に立ち寄ったショップで購入する化粧品を選ぶ基準はいつも使っているかどうかではなく虎丸だったらこういうのが好きなんじゃないかという気持ちなのだから恋とはなかなかに己の行動を御し難くさせるものだ。
 女の子同士で遊ぶだけならつけまつげも全く不自然ではないのに、兄や虎丸の前だとあまり好印象を頂けないので気合いを入れて選別はせずに自分が良いなと思ったものを購入する。シャドウやラインも控えめの色で揃えたりと、自分の好みと実際購入する物がずれ込んでいく。極端な話、虎丸の前ではすっぴんで出向いても相手の印象は変わらないのだろう。だからといってそれを実行できるほど恋する乙女は果敢ではない。ありのままを受け入れてくれる相手と言えば聞こえはいいが、虎丸が受け入れているのはきっと豪炎寺修也の妹なのだ。そうではなく、彼の為に背伸びをしてでも一番になりたいと願う今の自分を知ってほしい。
 ――私はもう、無邪気に貴方に抱き着く子どもではないし、頭を撫でられて喜ぶ子どもでもないの。
 女の子は恋をして少女になった、では次は。それは、恋するだけでは辿り着けない、王子様からの愛を鍵にして開く扉の向こう側。その肝心の王子様は、夕香よりもずっと先を歩いていていつの間にか大人になってしまっていた。立場や仕事、建前と方便を使い回して遠ざけられては困る。フィフスセクターが行っていることを思えばいつでも遊びにおいでなんて気軽に人を招き入れられる場所でないことは重々承知しているけれど。そんなことに怯むほど、夕香が抱く恋はちっぽけではないのだ。


 ――あれ、夕香さんだ。
 仕事で外に出ていた帰り、時間があるからと久しぶりに実家に寄った為、徒歩で本部に帰ろうとしていた虎丸の視界に、見慣れたピンクのおさげを揺らしながら歩く夕香が映り込んだ。見たところひとりきりの様で、どこか浮かない顔をしている。普段は友だちと帰っていると聞いていたのだが、どうしたのか。喧嘩でもしたのかと歩み寄って声を掛けようかとも思ったがそれでは本当に過剰な世話を焼く人になってしまうので止めておく。年頃の女の子には、何かと悩みもあるのだろう。その辺りは、大人と呼ばれる年齢に至った虎丸でも未だに理解が及ばない。だからか、一度は自分も同年齢だった時期があるというのに、現在高校生の夕香とどう接していいのかわからなくなる時がある。まるで虎丸の隣に立つに相応しい格好をしたいと言っているかのように、化粧を覚えおしゃれをして自分に感想を求めてくる少女の瞳に籠る感情の色は、出会った当初に自分を見上げていた頃の物とは確実に違っていて。
 ――でも勘違いだったら恥ずかしいし。
 大人だし、優位でいたいと思うのは保身だろうか。もし夕香に虎丸の本音がバレたら格好悪いと罵られるか、そんな小さなことを気にしてと呆れられるだろうか。大人はそういうものだと盾を構えるのは容易いけれど、それで距離が広まればもう自分から迎えに行くしか道が残されないからやはり本音を隠しておくのが一番得策だと思える。目指している未来を思えば、悪事を働いているつもりはない。見ず知らずの子どもたちへの罪悪感はふとした瞬間に生まれるけれどきっともう直ぐそれも終わると信じている。それでも、より安全な場所にいて欲しいと思いそれを言葉にしてしまうことは、彼女からすれば突き放しているように思えるのだろうか。愛情ではなく過保護だと映るのだろうか。確認するということは、自分の彼女へ向ける恋の提示を前提にして尋ねることになるからやはり出来ない。
 ひどく窮屈な恋だと思う。憧れの人の妹が相手だからとか、大人と子どもという埋めがたい年齢差だとか、社会人と学生という生活リズムの違いだとか、全部窮屈だ。駆け出して、捕まえて、浚ってしまえばそれで良いじゃないか。なんて思うだけは昔のように強気のまま。いつの間にか考え込みすぎて顰めっ面になっていたことに気付き、大きく息を吐き出して何とか表情を解す。相変わらず視界に捉えたままの夕香は虎丸の存在には気付かないまま彼の方に向かって歩いてくる。顔は俯きがちで夕方の日差しを受けて前髪が影を落としている。そんなことが、一々虎丸を焦らせるのだ。干渉できない学生の時間に起こること全てが夕香に都合よく働く訳ではないから、心配したくもなる。異性との関係なんか、特に。それを言わせれば夕香だって虎丸に全く同じことを思っているのだが、二人して弁えるべき立場やみっともない姿を見せるべきでないと体裁ばかりを整えるからいつまで立っても距離が埋まらない。
 飾り立てるくらいなら、幼い子どものふりをして抱き着いてしまえば良い。偽りの余裕で交わすくらいなら、迂闊に間合いに入り込んだ少女を掴まえてしまうのが正しい。そんなこと、虎丸が名前を呼んだ瞬間弾かれたように顔を上げた夕香の嬉しそうな顔だとか、道行く女性たちが頬を染めながらちらちらと寄越す視線や言葉を全く意にも解さない虎丸の態度だとか、傍目に見てしまえば簡単に察してしまえそうなことばかり。だけどそんな冷静な見識を述べてくれる第三者などこの場にはいるはずもなく、当事者の二人だけが作る世界の中心で、膨大な気持ちを持て余しながらもいつか叶うであろう、そんな恋をしていた。


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かわらないことを恐れるの
Title by『ダボスへ』





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