久しぶりに訪れた恋人の自宅、お土産に手渡した薔薇の花束に嬉しそうに顔を綻ばせた夏未は、直ぐに活けてくるわねと照美に背を向けて歩き出した。途中振り返って、お茶を持っていくからリビングで待っていてとの言葉に頷いて遠慮なく足を踏み入れる。既に馴染んだ香りと空気に張っていた気分も直ぐにほぐれる。自宅ではないのに図々しいかなと思いながらも迷うこともなく、勝手知ったる夏未の自宅のリビングまで辿り着いた。そして花瓶に活けた薔薇をダイニングテーブルに置いて、そこに用意してあったカップとソーサー、ティーポッドを乗せたトレイを持って夏未がリビングにやって来る。それが、ほんの数分前のこと。
珍しく休みが重なったものの、最近何かと忙しかったからと夏未の自宅で寛いでいたというのに肝心の彼女は照美が最近毛先に入れたばかりのメッシュがお気に召さないようで、彼に膝枕をしながらも毛先を掬っては唇を尖らせている。これには照美も苦笑する他なく、せめて夏未の気が済むまで髪を弄り倒して貰うしかないだろう。疲労回復の願いを込めて照美の為に用意されたカモミールティーにすら暫く手を伸ばせずに、座っているソファと並行して置かれているローテーブルを横目で眺めてはカップから立ち上る湯気があとどれくらい持つか考える。

「勿体ないわ、折角綺麗な髪なのにこんなことして」
「そうかな、この年齢になると髪にはあまり拘らないものだよ。僕は男だしね」
「その男性が女性も羨むような髪質だなんてずるいわ」
「僕は君の柔らかい髪の方が好きだけどね?」
「不満があるわけではないけれど、時々貴方みたいな真っ直ぐな髪質も良いなあって思うわ」
「そう?」

 それなのに当の本人はどこまでも無頓着ね、と夏未は呆れたように照美の髪を手放したので、彼はそのタイミングを残さずに上体を起こして夏未の隣に座り直す。彼女の方を見れば視界に映り込む、出会った頃より短くなった髪。その所為か、昔はお姫様のようにウェーブを持っていた髪も今ではだいぶ纏まって落ち着いている。今の髪形も似合っているから何の違和感もないけれど、過去と現在を比較して一番変わったところはと問われれば髪の毛が真っ先に思いつく場所かもしれない。しかしそれは自分にも同じことが言えるかもしれない。男性にしては長い髪だということは相変わらずだけれど、そういえば、背中辺りまであった髪を肩辺りまでばっさり切った時も夏未は勿体ないと言っていたような気がする。挙句には失恋でもしたのと聞いてくるから照美も開いた口が塞がらなかった。だってその時、既に二人は付き合っていたのだからとんでもない誤解である。指摘すると、そうだったわねと恥ずかしそうに頬を赤くした姿が可愛らしかったからあっさり許したことも覚えている。
 昔は照美も当然子どもだったから、自分を神様のように力のある者だと思っていた時期もあったし、名前をもじって愛と美の女神の名を呼称に用いていたりもした。実際、男子に向けるよりは女子に褒め言葉として使う意味合いに近い綺麗という言葉を貰うことが多かった所為もあるだろう。それでも、こうして大人になって夏未と付き合っている現在では彼女の方がよっぽど美しかっただろうし、それは今でも何一つ損なわれていない事実なのだと思える。
 夏未が淹れてくれたお茶を飲みながら、まだ冷めきっていなくて良かったと安堵する。それから、同じようにカップを手にしている夏未をじっと見る。自分より、ずっと愛と美の女神の称号が相応しいと思える彼女。しかし大抵の場合女神と美しさを競った人間は神の制裁を受けることになるから敢えて照美は口にしない。尤も、この場合制裁を受けるのは照美で、鉄槌を下すのは神ではなく彼の歯の浮くような言葉に羞恥心の限界をあっさりと超えてしまう夏未の方だ。
 視線を巡らせて、テーブルの上に飾られた薔薇を見つける。今更愛の告白を改めて贈り合う付き合いの浅さではないのだから、薔薇なんて聊か仰々しい気もしたのだが、此処に向かう途中に花屋に立ち寄った際に照美は迷わず薔薇を購入していた。それはやはり夏未のイメージに沿っていると思ったから。何せ、花言葉に「愛」と「美」の両方を兼ねる花だ。考えに耽るあまり沈黙に落ちてしまった照美を不思議に思った夏未が、彼の視線を辿る。直ぐに照美の思考を独占している存在を見つけ、尋ねた。

「…どうしたの?あの薔薇が何か気になる?」
「――ギリシャ神話ではアフロディーテの誕生の際に薔薇が生まれたと言っている話があるんだよ」
「…へえ、」
「あとは恋人のアドニスの元に駆けたアフロディーテの傷ついた足から流れた血が薔薇を赤くしただとか、薔薇は割とアフロディーテと関わる話が多いんだ」
「それで?」
「だから薔薇は君に似合うなと思って」
「あなたがアフロディだから?」
「君が美しいからだよ」

 軽快なテンポで交わされる言葉の中に盛り込んだ本音は照れ屋な夏未には不意打ちに食らった爆弾にも等しかったらしく。一瞬で紅潮した頬を隠す様にぷいっと顔を背けてしまった夏未に、照美はやってしまったと反省しながらも彼女もなかなか大胆な発言をしてくれるものだと、夏未にばれないように頬が赤くなっていやしないかと手で触れて熱さを確認してしまう。アフロディと名乗っていたから、それを照美と結び付けて彼に自分が似合っていると無自覚に宣言してくれたのだから、この喜びは照美の中で密やかにしまっておくのが良いだろう。だって、確認の為にと指摘したら夏未はきっと更に恥ずかしさが高じて間髪入れずに「違う」と否定してくるだろうから。
 取り敢えず、機嫌を直して欲しいの意を込めて、向けられた夏未の背にそっと頭を預ける。一瞬、びくりと反応されて、それからゆっくりと此方の様子を伺うために向けられた瞳と照美の瞳とがかち合う。未だ照れたように揺れる瞳に微笑みながら、照美は眉を下げながら「ごめんね」と謝った。別に悪いことはしていないのだけれど、愛しい彼女を困らせるようなこと言うのは良くないことだろう。女神の様だから心惹かれた訳ではない。奔放な恋に走る女神よりも自分だけを見つめ愛してくれる夏未を、照美は心の底から愛しているのだ。


―――――――――――

20万打企画/楓様リクエスト

花の中から呼びます
Title by『ダボスへ』





「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -