※パラレル

 根が真面目だからとか、そんな理由ではなかった。本命は別にあったのだけれど、単純にじゃんけんで負けてしまったから余りものに回されてしまったというだけのこと。葵が風紀委員に籍を置いている理由なんてその程度のものだった。それでもやるべき仕事はしっかりとこなすのが筋だと思っているし、拒否するような業務内容を求められている訳でもないから、一週間くらい校門前で生徒の服装チェックを行うくらい苦でもなんでもなかった。数十分いつもより早く登校しなければならないことをぼやく委員も何名かいたものの、葵はさほど早起きを苦痛に思わなかったし、ただそれによって早くなる朝食の時間を思うと、服装チェックを行う間はいつもより沢山お菓子を鞄に忍ばせておかなくてはと呑気に構えていたくらいだ。
 しかしそんな悠長な心地も、前日の委員会で段取りを聞かされた瞬間に吹き飛んでしまう。葵としては、てっきり違反者を呼び止めて注意するくらいだと思っていた。だが実際は自分のクラスの人間だけで良いから全員の服装をチェックしなければならないらしい。そんな登校時間帯もまちまちなのに面倒なことをさせるものだと、葵の眉はここで初めて苛立ちで歪んだ。そう広い校門でもないから、場を離れない限りクラスメイトの姿を見落とすことはしないだろう。思い起こしても普段からそれほど乱れた服装をしている人間もいないから、パッと見でひどくなければ通してしまって構わないからと委員長も言っていた。最悪見落としても大丈夫だったはずと曖昧な記憶で見過ごして平気というわけだ。

「あ、でもそれって無理だ」

 委員長の解散の号令直後、ざわめき始めた教室で葵は思わず声に出して呟いていた。彼女のクラスには、たぶん大丈夫だった筈と見落とすには日常的に制服をきっちり来ていない人間が一人だけいるのを忘れていた。不良というほど素行が悪い訳でもないのに、何故か学校指定の制服を全く着ようとしない問題児。

「剣城君、明日来るのかなあ……」

 剣城京介。一度も話したことはないけれど、どこか近寄りがたい空気を醸し出していて、学校にいる時は大抵ひとりで行動している。授業をさぼることはままあって、だが成績は良く見た目もまあまあ格好いい方だ。ただ目つきがきついから女子からはどうも怖いという印象が先立ってしまっている。喧嘩をしているとか、教師に反抗するとか目に見えて悪評を連ねるような行いをしている訳でもないから逆に葵は困ってしまう。根っからの不良だったら、女の子の自分では怖くて近づけないなんて言い分も通じるというのに。問題点は服装だけだから、風紀委員の自分が注意しなければならない。一気に明日の服装チェックが憂鬱になってしまって、葵はもう人気のなくなった教室で思いきり机にうなだれた。人当たりも良く、明るいと評されるばかりの葵ではあるがどうにも気が重い。初対面の人に話しかけることは苦手ではないけれど、それは用件が相手にとって不都合だとは微塵も思っていない場合に限る。だってそういう場合相手も自分をすげなく扱うことはないとだろうから。今回は、そんな他愛ない会話では終われない気がする。睨まれたらどうしようと遠巻きにしか見たことのない剣城の瞳を思い出して今から既に泣きそうだ。明日なんて来るなと念じる傍らで鳴り響く時計の秒針が憎たらしくて、葵は逃げるように教室を出て下校したのであった。
 そして翌朝。

「つつつつ剣城君!ちょっと良いかな!?」
「……は?」
「えっと初めまして?」
「誰?」

 決戦の時間はあっさりと訪れた。授業に真面目に出ないくせに何故他の生徒と同じように真面目に登校してくるのだろう。まだ朝練のある生徒しか来ないような、人通りがまばらで剣城のように一人だけ違う格好をしていれば否が応でも目についてしまう時間帯に彼はだるそうに歩きながら校門を潜ろうとした。それを、既に校門で風紀委員の腕章をつけながら待機していた葵は慌てて呼び止めたものの、予想通りの冷たい返しに背中を悪寒が走り抜けていくのを感じた。
 ――やっぱり怖い!
 同じクラスになってはや数か月、名前以前に顔すら覚えられていなかった。悲しくはないけれど淡い期待が裏切られたような複雑な気持ちだ。せめて腕の腕章を見て察してくれたら良いのにと縋るような想いも剣城には全く届く気配がない。

「剣城君と同じクラスの…風紀委員なんだけど…」
「ああ、そう言われると見たことあるような気がするな」
「…どうも。それで今日は服装チェックの日でね、あまりに制服の着方がまずい人には後日ダメだった所を直して再チェックを受けて貰わなくちゃいけないんだけど…」
「めんどい」
「だろうけども!」

 引け腰になりながら、名簿を挟んだバインダーで顔を隠しながらも自分に要件を伝えてくる葵を剣城はじっと見る。睨んでいるつもりはないが、びくびくと効果音が付きそうな体勢を崩さない彼女に思わず溜息を吐きたくなる。女子と関わるといつもこうだ。勝手に怯えて、まるでこちらが威嚇したかのように吹聴するから面倒くさい。
 だから態度が悪くとも行き着く印象が変わらないなら突き放してしまった方がだいぶ楽だ。自分の服装が問題なのはわかっているが更正する気もさらさらないのだ。勝手にしてくれと葵の横を通り抜けようとすれば僅かながらも後ろにひっぱられる感覚。訝しみながら振り向けば、葵が剣城の学ランの裾を掴んでいた。予想外の行動に、意味が分からないと今度は完璧睨みつけているなと自覚しながらも視線を送ればまたも予想外、今度の彼女は真正面から剣城の眼光を受け止めて見せた。心なしか、表情に怒りの色が滲んでいる気がする。

「もう!もう!何で指定の制服着ないの!?個性のつもりなの!?そんなの私服で追求すればいいじゃん!こんな所で悪目立ちするような格好しても注意してくれって言ってるようなものなんだよ!?私だって好きで注意してるんじゃないし、委員会の仕事だからだし、剣城君の制服が余所の学校の物だろうが女子のブレザーだろうがセーラーだろうが一向に構わないよ!構わないけど他人に迷惑掛けないでよ学校は協調性を学ぶ所だと銘打ってるんだから!」

 「人が下手に出てると思って調子乗るんじゃないわよー!」そう高らかに叫びながら、突然の豹変ぶりに放心している剣城の顔面めがけて手にしていたバインダーを投げつけて葵は踵を返し走り去ってしまった。人はこれを敵前逃亡という。支離滅裂だった葵の主張を頭の中で反芻して、何だか泣きそうだったなと剣城は妙に申し訳ない気持ちになってきてしまう。勝手な被害妄想で泣き出す女子はこれまで何人かいたけれど、真正面から怒りをぶつけて来たのは性別問わず珍しかった。だからほんの気紛れに、剣城は葵が途中放棄ともいえる形で寄越したバインダーの名簿を確認するとあと数人でチェックは完了することがわかったので、適当に問題なしと書き込んで近くにいた他の風紀委員に手渡してやった。勿論、男子の委員を選んで。
 一方、剣城の横暴な態度に思わず怒りを爆発させてしまった葵は、彼の前から走り去った後、一目散に委員会の担当教員である音無春奈に泣きついていた。「もう駄目です殺されます校舎裏でリンチだ!」と泣きながら繰り返す葵に、春奈は呑気に「剣城君はそういう不良とは違うから大丈夫だと思うわよ!授業態度と服装だけが難ありだけどそれ以外はバッチグーだもの!」と少し古臭い言い回しで励ましにもならない言葉をくれるが葵の気分は晴れなかった。
 結果、どんな因果が働いたというのか。葵の仕事を剣城が引き継いでやってくれたと彼にバインダーを託された委員から聞いた春奈がそれを彼等の担任に話してしまった所為か。葵は担任から剣城がもう少しクラスに馴染めるように気にかけてやってくれと肩を叩かれることになる。青褪めて首を振ろうにも理解が追い付かず硬直してしまった葵の態度を肯定と取った担任はその直後から剣城の捜索やプリントの受け渡しの中継に葵を指名するようになり、そのことは数時間のうちにクラス中に浸透してしまう。あの剣城君と仲良くなったのと葵を取り囲む友人らの前で、葵は引き攣った笑みを浮かべるしか出来なかった。

「仲良くないっつ――の!!」

 屋上へと逃げ出して、思いっきり叫ぶ。手には頼まれた剣城へのプリント。座りながらフェンスに寄り掛かって携帯を弄る剣城は、葵の憤慨に歪む表情を横目に捉えて薄く笑ってやる。途端に「笑うな!」と投げつけられたプリントが届く前に風に浚われていく。慌ててそれを追いかける葵の姿を目で追いながら、剣城は小さく「悪くない」と呟いた。
 これから始まる腐れ縁など素知らぬふりで、空は青く澄みきって二人の上に広がっていた。


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20万打企画/碧様リクエスト

なんだかそしたらどうでもよくなくない
Title by『ダボスへ』




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