女子アナが好きだということに関して、葵は特別何かを思ったりしなかった。妬く、という対象にしては次元が違うと思う。葵だって、好きなアイドルや俳優が目の前に居たらサインの一つや二つ求めたくもなるだろうから。だからこれは「じゅんじゅん」への嫉妬では断じてない。純粋に、狩屋マサキへの怒りだと葵は宣言する。
 一緒に帰ろうねと約束していたわけではなく、ただ自分とマサキの関係を考えたら仮にも恋人という枠に収まっているのだから、同じ場所に同じ目的で集合したのなら解散するのも同時だ。ならば一緒に帰れないかと気に掛けるくらい当たり前だと思いたかった。普段マサキから声を掛けてくれることは少なく、葵から歩み寄らなければ接触すら消極的なのだ。かといってぐいぐい行けば何を臆したのか恥じらう様に逃げ回るマサキに、葵はいつだって片想いの延長みたいな付き合い方だと一人肩を落としている。それでも迂闊に零した好意を本音だとマサキが肯定したからこそ自分たちは恋人として付き合っている。だから自分には一緒にいることを当然と思い上がるだけの権利があるのだと葵は信じていたかった。だが実際は一緒に帰る所か、持参した色紙に大好きな女子アナに宛名まで添えられたサインを入手したマサキのテンションがおかしな方向にぶちきれた為に別れの挨拶すら忘れて弾む足取りで帰宅の途に着く彼を、葵は唖然と見送るしか出来なかった。
 ――何それ何それ何それ何それ何それ!
 憤慨する葵の形相を鬼のようだと素直に称してしまった天馬は足を踏まれ、宥めようとした信助は頭を乱雑に撫で回され、慌てふためくだけの輝はほっぺをぐにぐにと引っ張られた。あれ、これ普段通りじゃれてるだけじゃね?何て思えなくもないけれど、これは葵の精一杯の我慢なのだと三人は直ぐに理解した。葵がマサキの行動によって揺らした感情は彼と一対一で向き合ってこその恋愛の部分で、それ故に気遣う他人に声を荒げるなんてひどい八つ当たりだと知っている。幼馴染の天馬には多少の実害、部活仲間の友人にはじゃれあいレベルの発散を。自分勝手なようでいて不器用な葵の態度にマサキを責めたくもなるけれど、それこそ部外者の域を出ない自分たちの出る幕ではないからと三人はささやかな報復として、葵の怒りを大袈裟に脚色してマサキにメールすることにした。これで喧嘩になったらどうしようと慌てる輝の隣で、天馬は「俺は葵の味方をするよ」と言い切ったので、信助だけはちゃんと葵に謝るよう解決策を示して送信ボタンを押した。三人共に本文末尾に「返信不要」の文字を打ち込んでやった所為か、マサキからの返信は来なかった。女子アナのサインに浮かれて気付いていないのか、それとも己の過失に気付いて焦りや恐怖に打ちひしがれているか。どちらにせよ多少の覚悟をして明日は登校することだ。これで葵が泣いていたりしたらもっとひどいことになっていたに違いないのだから。


 そんな三人からの友情プラスお節介と報復の入り混じったメールが功を奏したのかどうなのか。マサキは朝練の前に部室に駆け込んで来たかと思うと一目散に葵に駆け寄って彼女を抱き締めた。突然のことに、葵はぎょっとして抱えていたタオルをすべて床に落としてしまった。何やってるのと拾うのを手伝う影など当然近寄れない。その時部室にいたのが一年生だけだったというのもある意味幸運だ。剣城は意味が分からないと眉を顰めているが、他の面子は昨日の謝罪のつもりなんだろうなあと生温い目で二人を見つめるだけだ。
 思春期なのか単なる格好つけなのか、マサキは葵の前では殊更硬派ぶる傾向がある。正直、周囲の人間は素がとっくにばれているのだから意味がないと思っている。葵も当然の様にマサキの素を知っていて、それすら好きだから付き合っているのにと内心首を傾げている。硬派ぶりたいとはまた違うかもしれないが、幼児の男の子がある時期を迎えるとやたら男らしく振舞いたがる光景に似ているなんて思ってしまう。尤も、それをマサキ本人に言ったら凄まじく機嫌を損ねるだろうから、葵はいつも苦笑に含ませた冗談を言葉にしたことはない。
 たどたどしいといえば徐々に打ち解けていく今後を期待することも出来ただろう。しかし自分から駆け寄らなければ触れることすら覚束ないマサキが本当にそれを望んでいるか。昨日の一軒で微かな不信感と不安に駆られていた葵の心を察したかのように抱き締めてくるマサキは前日のハイテンションから一転して落ち込んでいるのか元気がない様子で。これでは抱き締めるというよりも縋り付いているという方が相応しいかもしれない。

「――狩屋君?」
「………」
「朝練の準備しないの?」
「………する」
「じゃあ急がないと」
「やだ」
「んんー?」

 駄々っ子じゃないかとあやす様にマサキの背中をさすってやればぐりぐりと肩に頭を押し付けられる。どうしたものかと助けを求めるように視線を廻らせれば他の一年組が揃って部室から出ていこうとしていた。呼び止めようと口を開きかけるが、葵と目が合った天馬が両手を合わせてごめんと無音で口を動かしたことでなんとなく事情を察した。
 ――何か言ったな…。
 きっと、昨日の自分の態度が原因だろう。お節介と突っぱねることも出来るけれど、みんな純粋に優しいから葵は嬉しくなってしまって、マサキの肩に自分の頭を預けた。お礼はきっと、ちゃんとマサキと仲直りすること。結局また自分から歩み寄らなくてはといつものパターンに痛む気持ちも、だってマサキが言葉を上手く手繰れないことなんて知っていたじゃないと思い直すことにする。

「天馬たちに何て言われたの?」
「女子アナが好きならじゅんじゅんと付き合えばいいじゃないって葵が怒ってたよ、とか」
「とか?」
「……別れてやるって言ってたとか」
「信じたの?」
「違うけど…。想像したら怖くなっただけ」
「狩屋君は私と別れたくないんだ」
「当たり前だろ!」

 その別れたくないということは、私のことが好きだってことだよね。葵は敢えて聞き返さなかったけれど。具体的な言葉にすると照れてしまう恋人には、少々酷かもしれないから。愛されてる実感に頬が緩むと同時に、随分飛躍した伝言をしてくれたものだと幼馴染と友人等に呆れてしまう。
 ――あんまり苛めないであげてよ。
 自分の所為でもあるけれど。棚上げだって今は気にしない。マサキを安心させる言葉を持っているのが、自分であることが堪らなく嬉しくて、彼の背に腕を回して思い切り抱き締め返してやった。

「そういえば、狩屋君から私に触れたのって初めてだね!」

 そんな一言で、途端に動揺した気配を漂わせるマサキに葵は益々笑みを深くする。触れたかったのなら、もっと気楽に触れてくれて良かったのに。何て告げても、予想以上に初心なマサキのことだから、今回のように追い詰められないと手を伸ばせないだろう。それでも、本当に少しずつで良いから、今よりもっと自分を欲しがってくれたら良いなあと葵は思っていたりする。自分たちは、れっきとした恋人同士なのだから。
 ――だって、女子アナのサインを貰うよりずっと簡単でしょ?


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悲しいことなどなんにもなかった
Title by『ダボスへ』





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