これと同軸の転生パラレル

 ――神隠しが流行っているんですって。ほら、ここから帝都を抜ける辺りに村落があるでしょう?あそこで長い間伝わっていた伝承らしいのだけれど、元は遅くまで遊んでいる子どもを早く返す為の語り文句だったのに、数日前に子どもがひとり帰って来なくなって、昨日も又ひとり帰って来なかったんですって。え?人攫いの仕業じゃないかって?そうね、そうかもしれない。だけどそうだとも言い切れないわ。だってねえ、その子と一緒に遊んでいた子どもたちが可笑しなことを言うんだそうよ。消えちゃった子はね、どちらも呼ばれているからいかなくちゃって行って、帰ろうって言ってるみんなの声をそっちのけにして村の外に出てしまったんですって。気味が悪いわよね。この文明開化のご時世に、何だって神隠しなんてものが騒がれるのかしら。


 勝手口で話しこむ使用人同士の会話を盗み聞きながら、葵は確かにこのご時世に神隠しとは珍しいとぱちぱちと瞬いた。忍びこんでこっそり頂戴しようと思っていたカステラをその場で頬張りながら未だに声のトーンを抑えることない会話に聞き入る。こんな所、誰かに見つかったらはしたないと怒られるに決まっているから、葵は戸棚の影に隠れて彼女等からは見えないように気を配っていた。
 すると、玄関の方がばたばたと慌ただしくなり、次いで別の使用人が誰かが来たことを告げる声を張り上げる。それを聞いた葵は、それまでの関心も追いやって玄関へと駆け足で向かう。無駄に広い自宅の構造に嫌気がさしてしまうくらい、心は一気に逸る。今日一番待ち望んでいた客人がやって来たのだから、真偽の知れない噂話に足を止めてはいられない。床板を軋ませながら駆ける葵とすれ違う使用人たちはみんな苦笑して、旦那さまに怒られますよと声を掛けて来るから大丈夫と返して一気にそのまま玄関へ辿り着く。腰掛けて靴を脱いでいたらしき客人の背中に飛び着けば直ぐに呆れたように溜息を吐かれたけれど、いつものことだから気にしない。

「いらっしゃい剣城!」
「ああ、お邪魔します」
「ねえ剣城さっき、面白い話を聞いたのだけれど――」

 そう、仕入れたばかりの話題を喋ろうして、何も玄関で話しこむことはないだろうと剣城の手を取って自分の部屋に向かって歩き出す。勢いに任せて喋り出すと思っていた剣城は一瞬呆気に取られた様子で引っ張られていたが直ぐに態勢を整えて葵と手を繋いでいる状態になる。どうせ今回も、広がらないささやかな話題を楽しそうに話しだすのだろう。深窓の令嬢として、貴族の屋敷内で蝶よ花よと育てられた彼女は、外からやってくる物全てを感動の対象として受け取る。活発な性格に見合わない生活を窮屈と感じるようになり反抗を覚える日も、このままでは近いのではないかと剣城は思っている。
 剣城と葵は、父親同士のよしみで生まれた時から定められた許婚だった。違和感を覚えるよりも先に情が芽生えて、お互い異性の一番を相手に差し出したからいつかこのまま結納も済ませて夫婦になるのだと思っている。少なくとも、剣城はそうだった。外の世界を知らないが故の幼さが幾分残っている為、婚儀について深く考えたことはないのかもしれない。だが剣城が訪ねてくる度に笑って飛びついてくる癖が治らない内は嫌われてはいないのだから良いだろうと安堵する。
 葵の部屋に入ると、以前来た時と変わりない家具の配置、カーテン、絨毯が目に映る。剣城から上着を預かりちゃんと掛けてからベッドに腰掛け未だ立ちっぱなしの彼を招くように隣りをぽんぽんと叩く。色気のないことだと思いながら、だが葵らしさだと慣れ切って彼女の誘いに応じて隣に座る。それだけで、葵は満足そうに微笑むから。

「で、面白い話ってなんだ?」
「そうそう、あのね、神隠しが流行ってるんだって」
「ああ、ここからちょっと行った所の村の話だろ」
「剣城知ってるの?」
「ああ、大分噂が広がってて面倒だ」
「ふうん、剣城はそこに行ったことある?」
「餓鬼の頃に遊びながらそっちの方まで行ったことはあるかもな」
「うわ、良かったね神隠しに遭わなくて」

 不吉なことを言うなと眉を顰める剣城の肩に頭を預けながら、葵は眼を閉じる。彼の発した、餓鬼の頃に遊びながらという言葉が耳の奥で反芻される。葵にとって一番古い友人といえば剣城であり、またたった一人の友人と呼んでも差し支えなかった。だけど、葵はこの家の外に出て彼と遊んだことなど一度もない。幼い子ども二人で遊びにしたって広過ぎる庭はいつだって大人に格好の言い訳となって葵を閉じ込める檻となった。手にしていた自由を奪われたのとは違う、生まれた時からの束縛は当たり前となり葵に反抗するきっかけを与えなかった。それ以外では、両親も使用人たちもあまりに彼女に優しすぎたから。だが、剣城だけは違う。彼は常に葵の世界の外にいて、彼女に用があるときにふらりとやってくる異境人。そんな彼はやはり小さい頃から葵の知らない広い世界を走り回って遊んでいたらしい。

「……いいなあ、」
「――何が」
「剣城は外の世界で起こった出来事を、私よりずっと身近に知ることができるんだもの」
「神隠しなんて身近でもなんでもないぞ」
「うん、でもそれだけじゃなくて」
「……」

 初めから存在しない自由は確かに親に反抗する理由にはなりえなかった。しかし興味、憧れを抑える理由にもまたなりえない。年々成長し使用人の話、新聞、本などで知る外の情報が増えれば増えるだけ葵の心は今いる屋敷を離れてしまう。手の届かない窓の向こうへ羽ばたきたくなる。求めても、与えてはもらえないと知りながら。然るべき歳を迎えれば、葵を閉じ込める檻がこの屋敷から剣城の屋敷へ移るだけのこと。彼ならば、自分の我儘も多少は許してくれるかもしれないけれど。芽生え始めた自我は今すぐにでも飛び出したいと葵の内側から彼女を急かす。
 剣城が会いに来てくれなければ自分は友人すらいないまま。一人ぼっちという現実は思いの外身に迫って感じられて、葵は今更になって己の現状に抗いたいと願い始めている。

「……まるで罰が当たったみたいだと思う時があるの」
「……何故」
「きっと前世の私がすごく悪い子だったから、今の私はこうして閉じ込められているんだって」
「悪い子って?」
「親の言いつけを破ってどこか遠くに行っちゃったから、今度は逆に監視が厳しすぎるの。どこにも行かないようにってね」
「そんな因果は嫌だな」
「うん、そう思う。でももしそうなら神隠しにでもあって消えちゃいたいくらいだわ」
「―――!」
「……剣城?」

 最後の言葉は軽い冗談だった。神隠しなんて、結局は人攫いとも失踪とも同じことでいなくなった子どもが生きているなんて保証はない。それは自由とはまた別の次元だ。そんな簡単なこと、剣城だってわかっていると思ったのだが、彼女の言葉に彼はよほど驚いたのかそのまま黙り込んでしまう。見開かれた瞳が段々と怒りに細められて行くのを、葵は理由もわからないまま見ているしか出来ない。

「冗談だよ?」
「……当たり前だ」
「でも神隠しが本当に神様の仕業で、隠された場所で自由に過ごせるなら剣城と二人で神隠しにあってずっと一緒に遊ぶのも悪くないかな」
「――あまりそういうことを言うな」
「どうして?」
「昔から、俺はお前の遊びの誘いを上手く断れないんだ」
「……そうだっけ?」
「ああ、そうだ」

 お前は忘れてしまっているだろうけれどと、急に穏やかになった声も瞳も葵には違和感しか与えない。そんなに剣城を困らせるほど遊ぼうと強請ったことがあっただろうかと思い起こそうとしても心当たりはない。それが彼の言う忘れているということなのか。しかし遊んだという記憶ははっきりと残っているのに遊ぼうと誘った記憶だけごっそり抜けているなんてありえない。やはり剣城が誇張しているのではと胡乱げな瞳で見つめれば気づいた彼は珍しく柔らかく微笑んだ。安堵したようにも見えるそれに、葵はそれ以上彼を追及することも出来ずに黙り込む。上手く丸め込まれてしまった気もするけれど、これ以上不用意な言葉を続けるつもりはない。

――そらおいで、そらおいで、此方はまだまだ遊べるよ。

 そんな声が耳の奥で鳴り響いたとしても、剣城が望むのならその誘いに応じるのはやめておこう。だって剣城には、嘗てずっと一緒に遊ぼうという願いに応えて貰ったお礼をしなければならない。はて、そんなお願いをいつしたのかと聞かれればさっぱり記憶にないのだけれど。


――――――――――

もうあの山あじさいを思いだせない
Title by『ダボスへ』

剣城はいろいろ覚えてる。





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