※パラレル

 よく聞いて。黄昏時を過ぎたなら、決してお外に出てはいけないよ。ましてや村の外に出るなんて以ての外。ほら、村を出た小道の傍に小さな祠があるでしょう?それより向こうのお山、夜の時間のあちら側。引きずり込まれたら最後、決して戻っては来れないからね。父と母の言うことをよく聞いて、月明かりが眩しくともきつく目を閉じて眠ってしまうが良いでしょう。
 ――そらおいで、そらおいで、こちらはまだまだ遊べるよ。
 夕闇が急かす家路を幼い声が誘っても、決してつられて踵を返してはいけないよ。その幼い声は子どものものでも、そもそも人のものですらないのだから。神様かしら、獣かしら、それとも別の何か?その答えは誰も知らない、だって連れていかれたら最後、だあれも戻ってこないんだもの。


 村に昔から伝わる伝承は、村と外の境界で遊び戯れる子ども等をさっさと家路に着かせる為の脅し文句。京介くらいの年頃になるとそれくらいのことは安易に知れる。幼い子どもは親の真剣な顔に騙され恐怖を抱いてその言葉に従うし、村で生まれ育ち大人になった者は既に信仰の類として怪談を操り子どもに語り聞かせる。内容の真偽でなく、語り継ぐ伝統がそこにあり、その子等もいずれ同じ様に自らの子に教え諭すのだと思っている。
 だが成長して反抗期を迎え始めた京介には、大人の諭すような物言いに意味もなく噛み付きたくなる時があって、それが友人等と遊んでいたのを、誰かの母親が遠くから早く帰らないと連れて行かれてしまうわよと呼びかけた瞬間に芽生えたのだ。次々と散って行く友人たちとは反対方向へと歩き出し、村の出口へと向かっていく。境界の祠はすぐ近く。此処に元来祀られていた筈の神はどこへいってしまったのか。石像らしき物が安置されていた土台の形跡はあれどそこにはもう何もいない。まさか神すらお山の奥に連れ去られてしまったというのだろうか。宵闇が迫る中、京介の足元には僅かばかりの夕陽と伸びる影。ぽつんと立ち竦むだけで、もういい加減帰ろうと足を踏み出そうとした、その刹那。
 ――悪い子だ、悪い子だ。お父さんの言いつけを聞かなかったの?お母さんの言いつけを聞かなかったの?もう誰も貴方の顔を見れない誰そ彼時に至ったというのに、貴方はお家に帰らなかった!悪い子ね、悪い子ね、ならばもう良い子には戻れまい。さあさ、此方で遊びましょう、言いつけを守らなかった悪い子をきっと貴方のご両親は許しはしないけれど、こちらの神様はきっと許してくれるから。ね?ほら、さあ――!
 足もとの影がぶわっと広がって京介を飲み込む。咄嗟の恐怖よりも歓迎するように纏わりつく幼子の様な笑い声の木霊が耳触り。その騒音に似た笑い声に飲まれずに京介をそちら側に引きずり込もうとしている声の主こそが神なのだろうか。泣き喚いて家に帰してくれと懇願すれば今なら間に合うだろうか。しかし理解の範疇を超えた出来事に実感が追い付かない京介はそんな心算すら立てられずに迫りくる暗闇にきつく目を閉じる。瞬間、怖がらなくていいよと何者かによって繋がれた手は、日差しの熱を溜め込んでいたかのように温かく、この場にえらく不釣り合いだと、京介は訝しげに瞳を開く。するとそこには既に闇はなく、どこか知らない森の中と思しき光景が広がっていて驚きで言葉を無くす。握られたまま、伝わり続ける熱を怪しんで慌てて顔を向ければ、そこには自分と同年代らしき少女がにっこりと微笑みながら嬉しそうに見上げてくる。もし此処が言い付けどおり境界を越えた夜の森ならば、村から一番近いお山の中ということになるのだが、こんな少女は近辺の村でも見たことはない。

「お前、誰だ」
「私は葵!貴方は?」
「……剣城京介」
「ふうん、京介かあ。京介は私と同じ村から来たんでしょう?嬉しいな、此処にいる子たちは違う村から来た子達だし、もう全然形すら保ってないから一緒に出来る遊びがどんどん減っちゃって寂しかったの!」
「…待て、俺は村でお前を見たことなんてない」
「うん!こちらと向こうは流れる時間が違うからね。こっちはとってもゆっくり時間が進むからね、きっと私があの村で生まれてからもう沢山の時間が過ぎちゃったから、京介は知らないだけだよ。もしかしたら、私のことを知っている人はもういないのかもしれないなあ」
「時間の流れが違う?」
「うん!此処ではね、もっと遊びたいと思った子どもたちの願いを神様が叶えてくれているの。私はこっちに来てどれくらい経ったかなあ。でも十日と少しくらいしか経っていないのよ」

 何でもないことのように、葵はとんでもないことを京介にご丁寧に教えてくれる。十日前の記憶を手繰っても、やはり葵なんて少女は京介の村にはいない。
 この数分の間に起こった出来事を夢だと片付けず、処理の追い付かない頭を叱咤して推察するならば、葵はきっと村で語り伝える言いつけを生みそれに現実味を付与してきた、村から消えた子どもなのだろう。そうだとするともう何十年、最悪何百年も過ぎていることになる。つまり、今京介が葵と話している間にも村では何日もの時間が過ぎて行方不明となった自分を探しているということだ。帰らなくては、両親に、兄に、余計な心配を掛けたくてあの日の言いつけに噛み付いた訳ではないのだ。ただ、有り得ない神隠し等というものに急かされて楽しい時間を邪魔されるのが嫌だっただけ。あともう少しだけ遊びたいと願っただけ。
 ――うん、だから、遊ぼう?
 京介の心の声に呼応するように、葵は微笑んで彼にいつの間にか取り出していた鞠を差し出す。断らなくてはと思う。こんな所で遊んでいる場合ではない。どうにかして帰る方法を探さなければならないのだ。

「無理だよ」
「な…」
「神様は絶対に私達を此処から出してはくれないよ」
「誰だよその神様って」
「さあ…神様は神様だよ。姿を見たことはないけれど、私に外のことを教えてくれたのも神様なんだよ。外ではもう私のことを諦めちゃったから、私はずうっとここで遊んでていいんだよって言ってくれたの」
「お前…本当にそれで良いのか?」
「だって仕方ないでしょ?私があの村で生きた時間は終わっちゃってるんだもの。今更帰っても化け物扱いだよね?だからね、私はここで遊ぶしかないの。だけど一人ぼっちって凄く寂しいんだよ。京介にはわかる?わかるよね、今京介は家族に会えないかもって思って凄く寂しい筈だよ」
「………」
「でも京介の家族はひとりじゃないから今は寂しくて必死に京介を探すけどその内京介がいないことに慣れちゃうよ。ね、だから京介は私とここで遊ぼうよ!ね、ね?お願い!」

 これまでの笑顔から一転、涙を湛えて自分に縋る葵を間違っても可哀相だとか、可愛いだなんて思ってはいけないのに。突き付けられた言葉はこのまま流されれば確実に訪れる未来だ。抗うならば今しかない。だけど、抗ったとして果たしてその成果として自分は元いた場所に戻れるのだろうか。何年も捕らわれ続けた生き証人が目の前にいるというのに。自分だけはここから抜け出して帰れるなどと楽観的に思えるだけの希望が、特別今の京介に宿っている訳でもない。ならば寧ろ、右も左も分からず異質な世界に放り出された自分こそ、彼女に縋るべきなのではないかとすら思えてくる。それが既に、此方側の気に犯されている証なのだが、そんなこと京介に理解出来る筈がなく。
 鞠を差し出す葵の手に自らの手を重ねて受け取ってしまった瞬間、京介の選択は行われてしまった。喜色満面、笑顔で抱きついて来た葵を、ふらつきながらもしっかりと受け止める。

「ずっと一緒に遊ぼうね!」
「……ああ、」

 京介の素直な反応に、葵はこれでもう一人じゃないと安堵した様子で京介の胸に頬を擦り寄せる。久方ぶりのぬくもりに包まれて、うっすらと開いた瞳の端に映った蠢く黒い影の醜さに気分を害すこともない。それ程に、葵は上機嫌だった。恨めしそうに、しかし縛り付けられたかの如く這いつくばるようにしか動けない影。それこそが、かつて人の子どもとして招かれ葵の遊びの誘いを断ったが故にその形を維持することすら出来ず崩れ去って行った子どもらの成れの果て。親の言いつけを破った子どもは帰れない。神様の誘いを断った子どもは遊べない。
 かつては確かに人の子であった筈の葵は、この異界という遊び場に於いて決まりを支配する。神様のお気に入り。それだけのことで彼女は二度と帰れない。だから、帰れないのならばこちらに呼ぶしかなかった。ひとりは寂しいから、子どもは無邪気に友達を作ろうと遊びたがる子どもを招く。
 ――そらおいで、そらおいで、こちらはまだまだ遊べるよ。
 ――そう、ずっとね!
 だけどもう、葵は呼ばない。誰も呼んではあげない。だって京介が来てくれた。彼は絶対裏切らない。何故か、そんな気がした。
 二人きり、二人ぼっちでずっと遊ぼう。飽きてしまったら、そうねもしもそんな時が来たのなら。必死になって帰り道を探すのも良いかもしれない。見つかるなんて思ってはいないけれど。万が一にも帰り道が見つかったとしても、京介が自分を残していくことなど出来ない。だって、二人ぼっちは時間の中ですら取り残された二人のこと。葵のことを知っているのは京介だけ、京介のことを知っているのは葵だけ。そうやって四六時中遊び続けてお互いだけが大切になれば良い。いつの間にか、背中にまわされていた京介の腕にしっかりと抱き締められて、二人きりだねと微笑みながら、葵は小さくごめんねと呟いて少しだけ泣いた。


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もはや夜です
Title by『ダボスへ』





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