休日に親戚の結婚式に出席してきたのだと瞳を輝かせながら語る葵に、天馬は若干乾いた笑みを返すくらいしか出来ない。放課後、期限ぎりぎりの課題プリントを終わらせる為に居残っている天馬の手はここ数分止まったまま。普段なら早く早くとせっつく葵が心此処に在らずな夢見心地だから、天馬は解けない問題のヒントすら得られない。
 朝、通学路で顔を合わせてからずっと葵なこんな調子だから、天馬はウェディングケーキは美味しかったか尋ねるくらいしか口の挟む余地がなかった。とても素晴らしい式だったのよ、とまるで自分の式だったかの如く褒める葵に、天馬はそうなんだと頷く。まだまだ子どもで、結婚どころか恋人すらいない天馬には、結婚式の素晴らしさを測る尺度その物が持ち合わせのないもの。チャペルの荘厳さも、柔らかな白いウェディングドレスも、天馬にはグラウンドとユニフォーム以上の価値を持つことはないのだから噛み合わない。だけどこれが、葵が女の子だからはしゃげるのだということはわかる。
 数々に挙がる結婚式についての話の末尾が、省略されているだけで全てが「いつか私もあんな風に結婚式を挙げたいな」という願望に帰結している。女子は十六歳になれば法律上結婚可能だが実際は年齢をクリアしたから直ぐに結婚する人間はそうはいない。高校生として過ごす人間が大半だ。だから天馬も、どうせ葵はまだ結婚できないよと、もうこんな広がらない話題はやめようよの意も込めて言ってやっても良かったのだ。ただ意を決して見つめた葵の横顔がやけに楽しそうで、水を差すなんて野暮だと開きかけた天馬の口を閉ざさせてしまった。
 水を差すのは止めるけれど、それでも。ごめんね、タキシードとスーツの違いも解らないから、やっぱり男は結婚式にはなかなか憧れないよと天馬は心の内で呟いた。いつか葵が花嫁として純白のドレスを着る姿を描いても、じゃあ自分はどうしているかなんて想像すら追いつかない。目の前の数学の問題すら解けないのに、未来の疑問なんて解決出来る筈がないのだ。

「葵さあ、何でそんなに結婚式の話ばっかりするの?」
「だって本当に素敵だったんだよ!花嫁さんが家の親戚だったんだけどね!花婿さんとは幼馴染で中学からの恋愛結婚だったんだよ凄いよね!」
「んー?」
「だって私達くらいの時にはもう将来の旦那さんと付き合ってたんだよ?運命だったんだろうなあ…」

 うっとり、とまた瞳を輝かせて葵は自分の世界に浸る。天馬はまた置いてけぼりで面白くない。幼馴染が結婚することが凄いのか、中学からの恋愛が途絶えなかったことが凄いのか。結婚したから運命なのか。現在進行形で中学生の天馬には、それはいつかずっと年を食ってから振り返って初めてその価値が理解出来るもののように思える。
 だってこれからの歩み方次第では、自分と葵だって似た道を歩む可能性がない訳ではない。もしも、自分と葵が幼馴染の枠を出て恋人になって結婚に漕ぎ着けたとして。浮かぶイメージ映像の礼装の新郎新婦の顔はやはり現在の自分たちのままで違和感しかない。ちぐはぐな妄想を有り得ないからだと切り捨てるならば、自分はいつか花嫁になる彼女に夢にまで見た結婚式だねと祝福を贈るのだろうか。葵の一番近くにいるのは自分だという現在を失って、今はまだ知らない誰かを幼馴染の自分より大事だと定める葵に微笑まなければならなくなる日が来るのだろうか。
 それならばいつか、こんな風に放課後教室に残る天馬の傍に当たり前の様に葵が侍る日すらもなくすのだろう。たった一人共に歩く未来を望む誰かに向かって駆けていく葵を見送りながら、解けない問題に頭を抱えて助けを求める様に名を呼んでもそこには誰もいないのだ。
 ――何か、変だ。
 葵と一緒にいられない自分がこの先に待ちかまえているだなんて。嫌だ、とはまだ必死に留めて言わないようにする。違和感を執着に変えてしまえば、そこに宿るのはもはや幼馴染への友情ではなく葵という女の子への恋情に変わってしまうと無意識が恐怖を訴える。

「…葵が結婚したいのはよく分かったよ」
「何でそんな呆れたみたいに言うかなー」
「だって俺はまだ結婚したいとか思ってないもん」
「それは天馬が男の子だからだよ。女の子にはやっぱり結婚は勿論結婚式だって特別な憧れがあると思うな。ウェディングドレスもバージンロードも一度きりだし、何より名字も変わるんだよ!」
「空野以外の名字になるってこと?」
「そうだよ!好きな人の名字を貰って、家族だよって証になるの!」
「ふーん」

 段々と、葵の言葉に対する飽きが苛立ちへと変わっていく。天馬が必死に押し留めようとしている本音を刺激するような未来への憧れ。溢れてしまえば葵だって無関係ではいられないのになんて糾弾が届く筈もない。空欄の目立つプリントに押し付けたシャープペンを持つ手に無意識に力が籠もりパキッと芯が折れる。それは、同時に天馬が我慢の限界を超えたことを意味していた。
 ガタッと派手な音を立てて立ち上がる。机に着いた両手はプリントを押し曲げて皺を作った。突然の天馬の挙動にきょとんと瞬いている葵にはやはり彼の気持ちは察せない。幼馴染だから一緒にいられるよねと微睡んでいた意識を、幼馴染には恋愛結婚という結末もありそれは素敵なことだわと叩き起こされた、その衝撃も。

「…葵はまだ結婚出来ないでしょ」
「知ってるよ?」
「なら…!」
「天馬?」

 申し訳ないからと禁じていた言葉さえあっさりと紡いで、それでも憧れを断てない葵の口を封じる為に、天馬は大股で教卓に向かいチョークを手に取るとでかでかと白い文字を書き連ねた。記された文字に、葵は天馬の意図通りそれ以上の言葉を噤んだ。天馬の書いた文字が、あまりに予想外だったから。

「はい、今から葵の名字は松風!松風葵!もう葵は結婚するまでこれで結婚気分味わえるからこの話はお終い!」
「な、何言ってるの!?」
「だって俺ほんとに課題やばいんだからね!?」
「そっちじゃない!」

 これじゃあ私が天馬のお嫁さんになったみたいじゃないと怒鳴る葵に、天馬はそれがどうしたとふんぞり返る。自分たちに適用したらこうなることを素敵だと散々褒めちぎっていたのは葵の方だ。今はまだ友情でしかなかった自分の気持ちを蹴飛ばして急かしたのは葵の方だ。だから今更恥ずかしがったって取り消してなんかやらないよ。嫌ならもっと不快そうに拒絶するべきだ。恥じらうだけなら慣れるまで待てばいい話だ。
 日直が綺麗にして帰った黒板に記された松風葵の文字を見つけるのは、当然この場にいる二人だけ。しかし思いっきり強く書いてやったから、濡れ雑巾で拭かないと跡が残って誰かにばれてしまうかもしれない。そんなこと、顔を赤くして立ち尽くしている葵には到底気付けない。そして天馬はばれてもいいやと開き直っている。
 だって、この文字通りの未来をいつか迎えたとしたら、それはとても素敵なことで二人が運命で結ばれていた証拠になりうるのだから。ならば証人がいた方が良いじゃないか。そんな風に考えながら、天馬は初めて葵の結婚への憧れを僅かながらも理解したのだった。


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人生なんて磨けば光る一生もん
Title by『にやり』




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