付き合い始めて変わったことなんてほんの些細なことでしかなかった。ただ誰よりも優先して彼女と一緒に下校すること。最初は自宅まで送った方が良いのかなんて思ったけれど、拓人の疑問は初日からそういう気遣いはいずれ負担になってしまうからと微笑んだ茜に、釘を刺されて縫い付けられた。俺が心配だから送りたいんだとでも言えば良かったのか。場面ごとの正解例はいつだって全て過ぎ去って自室のベッドに潜ってからしか浮かんでこない。後悔と呼べば大袈裟だけれど、全く意に介さず朝を迎える大雑把さも拓人は持ち合わせていなかったから、散々反省して、翌日になって茜に伝わりもしない謝罪を口にしたこともある。

「変なシン様」

 きっと、付き合い始めてから茜が苦笑しながら寄越した言葉のダントツ一位はこれだろう。それでもすぐに下がった眉を解いて天気だとか部活の予定に話題を切り換えてくれる彼女の優しさに甘えられることが自分たちのらしさなのだと拓人は心底信じきっていた。
 だから昼休みに、一緒に昼食を取っていた蘭丸からの疑問が、否定すれば非難される類の言葉だとは拓人は露にも思わなかったのだ。

「神童はもう山菜と手くらい繋いだだろ?」

 だって付き合ってだいぶ経つのだから。だって毎日一緒に帰っているのだから。省略された前提ははたしてどちらだったか。何であるにせよ、そういえばまだだなと首を振った拓人に、蘭丸は信じられないと言いたげに驚いて見せた。奥手過ぎても相手を不安にさせるだろうにと説教手前のアドバイスを寄越してくる蘭丸の言葉を遮るつもりはなかったけれど、拓人は手を繋いでいないという自分たちのお付き合いの形のどこかそんなにいけないのかよく分かっていなかった。
 それに、蘭丸に対する言い訳だって一応はあるのだ。二人きりの帰り道、茜は必ずと言っていいほどカメラを手にしたまま歩いている。それも、両手で抱えるようにして。仕舞わないのかと問えば緊張するからといまいちピンと来ない返事を貰ったことを覚えている。しかしカメラが一種の安定剤の役割をはたしているのならばそれ以上気に留めることもないと思っていた。昨日の帰り道はどうだったかと思い起こせば、やはり彼女はピンクのカメラを手にしていた。まだ自分との帰り道は緊張するのかと疑問の足を延ばせば、少しばかりやるせないが仕方ないといえば仕方ない。目に見えた進展を迎えるようなきっかけがまずないのだから。
 思考と傍聴の両立は上手くいかなくて、結局拓人は蘭丸の言葉の大半を右から左へと流してしまった。最終的に激励の言葉を贈られ、まあ程々にと頷けば若干納得いかないような顔をされたけれど、それ以上の追及をしてこない辺り彼は出来た人間だと、拓人はこっそり感心してから感謝の意を述べた。礼は手くらい繋いでから言ってくれと手厳しく返されたけれど、まあ気にしない。


 その日の部活もいつも通り終了した。部室の鍵は規模が規模な為顧問が管理してくれている。よって部長だからといって拓人がいつまでも部室に残っている必要はない。素早く着替えを済まして帰りの挨拶を口にすれば、拓人がひとり部室を先に出て行く光景にも慣れ切った部員たちは流れ作業宜しく挨拶を返してくる。もっとも、蘭丸だけは今日に限ってしっかりしろよなんて余計な一言を添えてくるものだから拓人はすっかり忘れていた昼間のやり取りを掘り起こされてしまう。片手を振って了承なのか拒否なのかはっきりしない返事を残して扉を出れば、そのすぐ隣ですでに帰り支度を整えた茜がやはりカメラを両手で抱えながら立っていた。

「すまない、遅くなったな」
「ううん、ちょっとしか待ってない」

 言葉を交わすと同時に歩き出し、時折の沈黙を挟みながらあっという間に校門をくぐる。さて、ここから通学路の分岐点に立つまでの時間を考えても手を繋いでいられる時間なんてそう長くない。今から必死にそこに至る手段を考えだすのだから尚更。
 そもそも自分の気持ちを整理して見ると、別に手を繋ぎたいという欲求に焦っている訳でもない。どちらかといえば、手を繋ぐ以前にわずかに触れることにすら躊躇する気持ちが強い。何故かと探れば、きっと大事に思うからだ。初めて抱く感情は恋と一言で表せば如何にも簡単そうに響くけれど、実際何をどうすれば良いのか。想いを抱くまでと届いた後の境界はいつだって曖昧なまま二人を取り巻いて、片思いだった頃と何が違うのだと答えを出すにはきっと明確なものはない。ただ、相手も同じなのだという一時の安心があって。でも想い続ける上での言葉も行動も、結局自分が勇気を出さなければ何も変わりはしないのだ。想いを伝え会った時と同様に。

「――山菜」
「……?」
「手を繋がないか」
「へ、」

 立ち止まって紡いだのは淡白な声音と言葉。しかし振り絞った勇気は意外と膨大。きょとんと瞬く茜の手にはカメラ。答えを待たずそれを抱える茜の手の上に自身の手を重ねれば一瞬で彼女の全身が強張る気配が伝わってくる。拒絶などではないと信じたい。だけどどちらにせよ答えが欲しい。そう願いじっと黙して待てばやがて拓人の触れていたのとは反対の片手でカメラをぎゅっと抱え直した茜が応えるように手を握り返してくる。
 恥ずかしそうに俯く茜に、やはり自分たちには手を繋ぐことすら重労働だと苦笑せずにはいられない。もしこの先を望もうとしたらどれくらいの勇気が必要になるのか見当もつかない。

「シン様がこういうこと言ってくるって思わなかった」
「……ちょっとせっつかれたんだ」
「霧野君?」
「ああ、よくわかったな」
「今日部活終りに頑張れよって言われたから」
「…あいつ」

 だけど嬉しいから、明日霧野君に会ったらお礼を言わなくちゃと顔を上げた茜の表情に浮かぶ笑みは言葉通り嬉しそうで。それが自分と手を繋いだからというならば拓人も当然嬉しい。きっかけが蘭丸の後押しというのは若干情けない物のそれは感謝の念に置き換えて誤魔化しておいても良いだろう。
 達成してみればあっけないような目標。いつもと変わらない道を歩きながら伝わってくる熱が心地よい。だが内心で拓人は困ったものだとも思い始めている。触れたいとすらまだ思っていなかった筈なのだ。ほんの数分前までは。それなのに、触れてしまった今となっては離したくないなんて真逆の執着が早くも芽生え始めてしまった。後数分、たった数分でお互いの自宅への岐路に差し掛かってしまうというのに。未練がましく立ち止まるなんて出来ない。
 それならば。巣食い始めた欲に忠実になって今日こそは言ってみようか。

「今日は家まで送ってく」

 断らないで。今はまだこの手を離したいなんて微塵も思えないのだから。そんな拓人の願いが通じたからなのか。本日二度目の拓人からの意外な言葉に瞬いていた茜は、幸せな色を浮かべながらありがとうと微笑んだ。


―――――――――――

神様の吊り橋
Title by『ダボスへ』


「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -