※京葵←マサキ


 マサキが葵のことを好きだと自覚した時、彼女は既に剣城と人目を憚らずに恋人として付き合っていた。それまでは、葵が幼馴染以外を大切ないし異性として認識しているのかすら疑っていたマサキにはなかなか衝撃的な事実だった。そんなマサキが受けた衝撃など知る由もない当人達はといえばいたって幸せそうに日々を過ごしているものだから、それが正しいのだという固定観念を彼の内側に芽生えさせ始めた。葵が剣城と恋人であることが一番正しい関係の在り方で、それ以外は成り立たないのだと。ならば散って然るべき自分の恋だって多少の肯定を得るだろう。それは想いを抱いた事実ではなく、結ばれない現実だけを是とする歪な考え方。
 だけどもマサキにはわからない。手に入らない物の方が圧倒的に多いこの世界で執着すべき物とその価値が。ほんの僅かな衝撃で崩れ去る幸せに被われて生きてきた。ならば目の前で至福にまみれて笑っている葵の幸せはどうだろう。自分が横槍を入れた程度で揺らぐ程度ならば浚ってしまいたい。だけどそれは。
 ――微塵も望まれちゃいないんだ。
 探せば言い訳なんて沢山あった。拒まれる未来しか見つからなかった。ならばこんな恋は無かったことにするのが一番良いに決まっている。何の一番かなんてマサキ自身が傷付かないで済む選択肢の中。
 未だに部活中に届く葵の声の方を辿ってしまうこと。クラスで猫を被って他人に接すると不満そうに抓ってくること。一緒に移動教室で歩けること。笑顔で名前を呼んでくれること。好きだということ。マサキの願いに反して芽吹いた恋はなかなか根深く心の底を陣取った。溢れてしまいやしないかと、切なさに目を細めそれでも葵から外せない視線に、剣城が物言いたげにしながら気付いていたことを、マサキも気付いていた。それでも一言も発しない剣城の優しさを、どうしてかマサキは厭う。同情ならばお門違い。憐憫ならばさっさとトドメをさして欲しい。もしも共感等とほざくなら、マサキは葵の目の前であっても剣城を殴るだろう。だって葵を手に入れたのは他でもない剣城京介、たった一人なのだから。


 お揃いなんて柄じゃないと思っていた。そういうのは寧ろ彼女とその幼馴染が友情の証として喜びそうなものだと思っていた。部室で剣城が携帯を弄る姿を横目に捉えながら、マサキは己の目敏さに嫌気がさしてしまう。 さて、これは思った以上に入り込む隙間がないのかもしれない。人知れず抱く恋心を表に顕現させぬようにと気を配りながら、マサキは小さく溜息を吐いた。飛び込む度胸もないくせになんて惨い現実を突きつける人間がいない所が秘めやかな恋の長所だろうか。相談出来ないという短所もあるがマサキはそうそう誰かに相談事を持ち込むタイプではないので問題なかった。
 思考が脱線しかけた所でもう一度剣城の携帯を見やる。正確には、その携帯に付属しているストラップを。サッカーボールの飾りと赤と橙を基調に黒や白も織り込まれた短いミサンガの着いたストラップは、厳密な日数までは思い出せないもののつい最近までは存在していなかった。何より特別目を引くデザインでもない。それまで剣城の携帯に何も付いていなかったからとはいえ一々反応するようなことでもない。だがそこまで断言しながら尚目を反らせないのは、そのストラップに葵の影がチラつくからだろう。
 剣城とは反対に常日頃大量のストラップをぶら下げている葵の携帯には何の目新しさもない。だがその日に限ってポーチが見つからないと机上に鞄の中身をひっくり返していた葵の様子をすぐ傍で見ていたからいけない。かつんと音を立てて跳ねた何かが床に落ちた。それを拾えばどうやら自宅の鍵だそうで、葵はありがとうとマサキに手を伸ばし彼もどういたしましてとその上に鍵を乗せて返した。そしてその鍵には、今マサキが見つめている物と同じストラップが付けられていた。
 似ているだけの別物だと笑い飛ばせれば良かったのだろう。だがそんな楽観的な希望に縋れるほど、マサキは剣城と葵の関係を浅く見積もってはいないのだ。何より鍵を手渡した後、鍵本体よりもそのストラップに傷が付いていないか案じていた態度を思い出せばもう都合の良い抜け道はない。
 ――しんどい。
 心の悲鳴を押し殺して、逃げるように目線を剣城のストラップから外して俯く。やはり剣城は気付いているのだろうか。こんな惨めな気持ちを味わってまで捨てられない恋心を、自分の恋人に抱かれる気持ちとはどんなものだろうか。優越に浸る嫌な人間だったのならば遠慮なく攻撃出来たのに、恐らくそうではないのだろう。

「剣城ー、一緒に帰ろ…って狩屋どうしたの?具合悪いの?」
「…違う」
「空野、帰るぞ」
「でも狩屋が…」
「ホントに大丈夫だから。あんまり人をお邪魔虫に仕立て上げないでよ」
「む!そんなんじゃないよ!」
「えー?冗談に決まってるじゃん、そんな怒んないでよ」
「人が心配してるのに茶化すからでしょ!」
「…空野」
「あ、待ってよ剣城、じゃあね狩屋また明日!」
「うん、バイバ…あ、葵ちゃん」
「何?」

 部室の扉で待つ剣城の下へ駆け出そうとした葵を呼び止めて腕を掴み顔を近付ける。彼女越しに表情を険しくした剣城が見えるがどうか勘違いしないで欲しい。踏み荒らす気なんてないのだ。
 ――お揃い、良かったね。
 小声で囁いた精一杯のお世辞は、いとも容易く葵を破顔させた。羞恥よりも喜びに頬を赤くしてありがとうなんて無邪気に感謝しないで欲しい。祝福なんて微塵も出来てはいないのだから。
 この間合いはキツいやと腕を離して一歩下がる。それを合図にもう一度ばいばいと手を振ってから、葵は剣城の下へと駆けより今し方マサキに言われたお世辞を疑いもせず彼に報告しているのだろう。だってほら、マサキに寄越された剣城の瞳は何やら複雑な色を浮かべているのだ。
 葵ではなく、恋敵の剣城の方がよっぽど今のマサキの心情を汲み取っているに違いない。それはやはり共感なんて呼んで欲しくはない。理解出来るならば、もっと警戒して欲しいくらいだ。あんな簡単に自分を彼女に触れさせるなんて。阻む隙もなく距離があるからこそ実行したのは自分だがそれでも。

「…柔らかかったな」

 近付けた顔に触れた吐息も、力仕事すら積極的にこなしている腕も。何もかもが恋し愛しい女の子でしかなかった。
 そんな当たり前に胸を締め付けられてしまうから、マサキはやはりこの捨てられない恋を肯定してやることが出来ない。相手が誰であろうと奪いたいなんて危ない橋を渡る自分を冷静に戒める自信が、何故だかめっきり消え失せてしまう。視界の片隅に在るはずのないストラップが過ぎったのは、きっと止められない恋心が示したせめてもの罪悪感か。だがそれすらも打ち消して、マサキは葵を好きなまま、一人取り残されていた部室から去る為に歩き出した。


―――――――――――

20万打企画/神桜様リクエスト


君を嫌いになれない男の話
Title by『告別』





「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -