日本人の不思議な所は欧米諸国にやたらとへりくだる割には自国民が大好きというところだと秋は思う。日本人が、仮に国籍を持たずとも日本人の血が流れていれば同胞として世界の舞台で活躍する姿を誇らしげにニュースで紹介して見せるのだ。それは、毎月お金を払って見る衛星チャンネルの中継よりは確かにお手軽だけれど、自分が労力を割いてでも姿を確かめたい姿をこうも簡単に地上波にさらされると些か妬けてしまうものだわと秋は対象の分からない嫉妬に胸を焦がしてしまう。
 一之瀬がアメリカのプロリーグで年間MVPを獲得したことなど、秋は本人の口から直接聞いている。シーズン最後の試合を終えた直後、スタジアムの歓声すら鳴り止まない彼の電話口から届けられる弾む声音が、まるで彼が未だ少年なのではと錯覚するほど無邪気で秋は一瞬言葉に詰まってしまうほど。声しか聞こえないのに、彼の様が酷く眩しい。それでもおめでとうと本心から言祝げば、一之瀬はありがとうと返した後これから日本に帰るからねと信じられない言葉を言ってのけた。

「これから表彰とかあるんじゃないの?」
『ん?大丈夫、もうトロフィーは貰ったから!』
「でも会場まだ凄く賑やかじゃない。こっちまで聞こえてるわ。インタビューとかもあるでしょう?」
『大丈夫!今日の試合でシーズン終了だから、暫く秋の所でゆっくり出来るよ!』
「それは嬉しいけど…、あのね一之瀬君そうじゃなくて…!」
『あ、ごめん秋、急がないと飛行機に間に合わないや、それじゃあまた後で!』
「え?ちょっ、一之瀬君!?」

 こんな会話を交わしてから、恐らくまだ二十四時間は経過していないだろう。人の家に世話になるというのにまともな連絡を入れないなんてとんでもないとただの友人ならば秋も非常識だわと憤慨するだろうが相手が恋人である一之瀬であるからそう文句を言うこともできない。心はいつだって正直に、一年の大半を離れて過ごす恋人の来訪を歓迎してしまう。寂しくないと言えば嘘になる。それでも離れ離れでも私達はきっと大丈夫なんて確信してしまう関係をいつからか築いていた。木枯らし荘の管理人として誰かの面倒を見ながら、傍からは穏やかに日々を過ごしているように映るだろう。それでも、秋の心は遠く離れたアメリカの地にいる一之瀬によっていつだって忙しなくざわめいている。
 そんな秋の心を振り回してやまない恋人は、流石に試合直後に飛行機に飛び乗った所為で疲労と時差ボケによる眠気がひどいと秋の部屋にあるソファに倒れ込んだまま動かない。呆れたと溜息を吐きながらもベッドから毛布を持って来て掛けてやる。つけっ放しのテレビで流されるニュースは冒頭で一之瀬のMVP獲得のニュースに触れて以降は進展のない政治問題について論議している。スポーツコーナーはまだ先だろうとは思いつつも秋はテレビの電源を切った。話題の本人が目の前にいるのに、本人の口以外から情報収集をする必要はない。
 何より、秋はあまり試合中継以外のテレビ番組で一之瀬の姿を見るのが好きではなかった。最初は日本から一之瀬の姿が確認出来るならどんな些細なことでもよかったのだ。だが一度、海外で活躍する日本人について街頭インタビューする企画を見ていた際、若い女性が一之瀬のことをカッコいいと騒いでいるのを見た瞬間、秋の心は確かに音を立てて軋んでいた。相手が軽いノリで言っていることなど理解している。だからこそ心が叫ぶのだ。「やめて」と。そんな軽い気持ちで私の大切な人を形容しないでと。それが独占欲だとは直ぐに気付いたし、恋人なのだから抱いてはいけない感情だとは否定しない。だけどそれまで感じたことのない仄暗い気持ちに、秋は自分が醜く思えて俯くしか出来なかった。
 ソファで眠りこける一之瀬の顔を覗き込む。本当は、少しだけ期待していた。無計画に日本に帰ってやって来たことには呆れるけれど、どうせやって来るのならば、再会したその時はまっさきに自分を抱きしめてキスをして構い倒してくれるのではないかと。失望とまではいかない。だって秋の顔を見て安心しきったように瞼を閉じた彼が、若いとはいえ無理をして自分の元へ来てくれたことは彼女にとっても安堵以外の何物でもなかったから。

「――秋?」
「……起きちゃった?」

 どれくらいそうしていたのか。きっとそれ程時間は経っていないだろう。ならば起こしてしまって申し訳ない。そうは思うけれど謝罪の言葉は口にしないでおいた。だって当の一之瀬は秋を目の前にして一瞬驚いたような顔をしたのだ。きっと寝ぼけて、アメリカにいる普段の目覚めとの違いに気付けなかったのだろう。当然と言えば当然だけれど、自分のいない目覚めが当たり前だなんて。それは秋とて同じこととは知りながらも、このままでは日に日に涌き出る独占欲は強まるのではないかしらと段々不安になって来てしまう。

「さっきニュースで一之瀬君がMVP取ったニュースがやってたのよ。見なかったけど」
「見なかったの?」
「だって一之瀬君がとっくに教えてくれたことじゃない」
「まあ…、それもそうだね。俺も秋に本物よりもテレビの中の俺の方がかっこいいとか言われたらへこむし」
「何それ、一之瀬君は一之瀬君じゃない」

 そうなんだけどさあ、と覇気のない言葉が尻すぼみになり消えていく。自分でも上手く説明できないのか、一之瀬はソファから上体を起こしてあくびを一つ。そのまま掛かっていた毛布の礼を述べると秋の肩に頭を押し付けてきた。ソファに座っている一之瀬と、床に座っている秋とでは元々の身長差も相俟って首が痛くなってしまいそうだが、そんな言い訳を楯に彼を引きはがそうとする野暮な輩は二人きりの部屋には存在しない。

「…ねえ、秋」
「なあに?」
「俺と離れてる間変な男に言い寄られたりしなかった?」
「……いきなり何言い出すの?」
「言い出したのはいきなりでも常々思ってることなんだよ」
「私ってそんなに信頼ないの?」
「違うよ。どんなに秋を信頼してても秋に向けられる外からの想いには意味がないだろう?」
「それはまあ、そうだけど…」
「日本とアメリカにいても俺は秋を想ってるし、秋だってそうだろうなって思う。でも俺の関われない時間と場所が確かにあってそこで俺の知らない誰かが秋に言い寄ったりしてたらどうしようって思うと本当もう、なんて言うか…うん、…ごめん、女々しいね」

 まだ疲れてて頭が上手く働かないんだと苦笑する一之瀬を前に、秋は何も言えなかった。否、言わなかった。咄嗟にせり上がって来た言葉をそのまま吐き出せば、自分はきっと声を荒げていたと思うから。
 ――私だってそんなに強くないわ!
 その本音は、決して怒りや不満から込み上げてきたものではない。自分では醜いとしか思えなかった感情を、他でもない一之瀬に肯定されたような気がして、安堵やら共感やら一言では形容しがたい想いの塊が飛び出そうとしているのだ。それをなんとか押し留めて、秋は一之瀬の首に腕を回すことで自分なりに彼の吐露した弱音にも近い本音を肯定して見せた。これだけで、きっと伝わると信じている。近付けた距離に、実際に触れた感触に、ここまで強気になれる自分に、秋は現金ねと微笑む。
 いつかを想像すれば、きっと焦がれず当たり前に触れ合える距離を望むだろう。それでも今はまだその時では無くて、また長過ぎる距離が二人の間に横たわる。それまでに、目一杯充電しておこうと余計なことを考える思考は眠らせて、抱き締める一之瀬だけに心の全てを傾けた。


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幸福なサスペンス
Title by『ダボスへ』

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