※天←葵

 初めて会ったのは偶然と呼ぶよりも蚊帳の外でただ眺めるだけの位置からだった。
 いつも通り病室でボールを抱えて退屈にうなだれていた太陽を見舞いに訪れた天馬と、サッカーは絶対にしないという条件の下、最後まで冬花の心配だなあという視線を受けながら中庭への外出許可を得た。勿論普段なら許可などいらないのだが天馬と一緒だと高確率で運動の許容範囲を飛び越えてサッカーをしてしまう太陽からの、一番目が厳しい冬花への誓約である。
 中庭のベンチで、天馬の話に耳を傾ける。太陽との会話という時点で話題はサッカー一択だ。和やかな空気、快晴の空。それが一変して雷が落ちたような幻覚を見たのは一瞬かつ突然のことだった。

「天馬今日は日直だったのに先に帰っちゃ駄目でしょ!」

 背後からの怒声に、びくりと天馬の肩が跳ねた。そろりとひきつり笑いを浮かべながら振り向く彼は後ろに立つ人物を知っているのだろう。一方名前を呼ばれていない太陽は素知らぬ顔で、怯える必要もなくあっさりと背後に立つ人物を確認する。そこにいたのは、当然見知らぬ藍色のショートヘアの女の子。制服マニアではないから断言は出来ないが恐らく天馬と同じ雷門中の生徒だろう。両手を腰に当てて怒っている姿はまるで彼のお母さんと言わんばかり。その様が自分が病室を抜け出した際の冬花の姿とも重なってつい上体を後方に逸らして距離を取ろうとしてしまった。そんな太陽の挙動を見つけた少女は、後ろ姿だけでは彼が病人だとは気付かなかったらしい。慌てて驚かせてごめんなさいと頭を下げる姿に、またしても彼女は天馬の保護者だろうかと、少々頓痴気な印象を抱いてしまった。
 その後、天馬によって「幼なじみでマネージャーの葵だよ!」と彼女を紹介され、今度は謝罪ではなく挨拶として頭を下げられたので太陽も名乗り頭を下げた。
 さて、ここまでは良かったのだ。ただの知り合いの知り合いと知り合った際の通常の通過儀礼だろう。予想外だったのは、日直の仕事を忘れて太陽の見舞いにやってきていた天馬が、太陽と葵を残して慌てて学校に戻ると駆け出してしまったことである。「天馬!?」と二人声を揃えて呼び止めてももう遅い。そよ風の如く走り去った彼が残していった余韻は沈黙となって場を支配する。同級生の女の子と二人きりになるなんて久しぶりだと浮かれるような思春期の中に太陽はいなかった。女子よりサッカー、断言出来る。何より葵は天馬を追って此処まで来たのだから、彼が去った今、彼女も直ぐにこの場を離れるのだと思っていたのだが。

「…太陽君って呼んで良い?」
「え?」
「やっぱり雨宮君の方が良かったかな?」
「いや…太陽で構わないよ」
「そう?ありがとう、私のことも好きに呼んでね!」

 にっこりと笑った葵は太陽の予想に反して直前まで天馬が座っていた場所に腰を下ろした。きょとんと瞬く太陽は、好きに呼べと言われても天馬は葵という名前しか教えてくれなかったので必然的に下の名前でしか呼びようがないことに気付く。

「葵さん?」

 そう呼ぶけど構わないかと確認の為に紡いだ言葉に、葵は「なあに?」と大きな瞳で真っ直ぐに太陽を見つめ返してきた。
 ――何これ照れる!
 長い入院生活の中で冬花を始め母親等年上の女性とばかりしか話してこなかった太陽には、目の前にいる葵の反応がいちいち瑞々しく映るのはいくらなんでも初すぎるだろうか。
 それから、二人は日が傾き始めるのも気にせずに話し続けた。天馬の話題がサッカー一択だったように、葵の話題は天馬一択だった。よくよく考えれば、葵は自分のことを天馬の友人とは思っていてもサッカー少年だとは知らないのかもしれない。しかし天馬のマネージャーという単語はサッカー部のという言葉を省いてのことで、四六時中とは大袈裟だがそれに近く天馬と一緒にいるのだろう。天馬の話題となれば当然部活中サッカーをしている彼の話にもなり、太陽はちっとも退屈しないで済んだ。何より、自分の前では病人に無茶をさせないようにと落ち着きのない自分と天馬自身を律しようとすることもある彼が、葵の前では子どものように叱られているのかと思うと微笑ましい。
 そんな穏やかな心中は太陽専用とも言える鶴の一声によって打ち砕かれた。

「太陽君!もう面会時間は終わってるのよ!病室に戻らなきゃ駄目じゃない」
「げっ…冬花さん!?」
「え…もうそんな時間?ごめんね、長々と喋っちゃって…」
「良いよ!葵さんの所為じゃないから!」
「…あら?太陽君のガールフレンド?」
「ちっ、違うよ!天馬のガールフレンドだよ!」
「どっちも違う!」

 怒られると瞬時に身構えた太陽の予想に反して冬花の興味が一瞬でも葵に向いてしまってからの変化球に思わず慌てて言葉を返せば間髪入れずに葵に否定された。
 あれだけ詳しくかつ膨大な天馬との思い出を聞かせてくれた葵だったから、てっきり幼馴染以上の関係にあるか、それに通じる感情を抱いているとばかり思っていたのだが、違うのと目で問えば呆れたように溜息を吐かれた。まるでその問にはもう答え飽きたと言わんばかりで、億劫そうに伏せられた瞳に揺らめいた色に、太陽はどこか見覚えがあった。
 ――届かない。
 ――この命は届かない。あの輝かしいフィールドには決して。
 独りぼっちの夜に、太陽が幾度も沈みかけた暗闇に通じる色。それに気付いた太陽は、何故だかあっさりと葵の心に触れてしまったような気がした。
 ――届かない。
 葵が抱くその念はきっと、天馬に。ならば伸ばす手は親愛ではなく恋愛の情によるのだろう。
 ただの思い込みかもしれない。飛躍しすぎた妄想。だって葵は冬花と他愛ない会話に笑顔で興じていて、先ほど感じた影などどこにも見当たらないのだから。
 ぽつんと取り残されて思い耽る太陽をよそに、葵もそろそろ帰らなければとベンチから腰を上げた。はっとして彼女を見上げればやはり笑顔で見つめ返される。

「じゃあね、太陽君」
「うん、」
「…また来るね!」
「え…?」
「ばいばい!」

 思ってもみなかった葵からの次を仄めかす言葉に、太陽は虚を突かれ、ありふれた別れの挨拶を告げるこてすらままならない。そんな太陽を気にも留めず、葵は冬花にも頭を下げるとそのまま帰路に就く。最後に中庭から完全に見えなくなる手前で振り返り、手を振ってくれたのにも太陽はまともに反応出来なかった。そんな太陽の様子を、冬花は何を思ったのか「初々しいね」と微笑むから、今日の葵との出来事を思い出して今更頬に熱が集まってくる。今検温なんてしまら散々な結果になるだろう。

「…天馬と一緒に来るのかな」

 小さ過ぎる呟きは冬花には聞こえなかった。だから太陽はそのまま考える。天馬が好きだ。葵もたった一日しか付き合っていないが好ましい。ならばその二人が一緒に自分を訪ねてきてくれたらとても楽しい時間が過ごせるのだろう。狭い病室の中だとしても。
 それなのに何故、胸の奥がつきんと痛むのか。病気等では決してなく。答えを知るのは、何故だか少し怖い気もする。だけど葵がまた来ると言ってくれた時、確かに自分は喜んでしまった。ならばいずれ向き合うのだろう。
 取り敢えず、天馬と葵が二人でお見舞いに来てくれたその時は、間違っても並び立つ姿がお似合いだねなんて思わないようにしよう。それが葵にまたいらん否定をさせて明るい表情を曇らせない為か、はたまた今はまだはっきりとしない太陽自身の心の平穏の為か。
 答えはまだ、見つからない。



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思わず恋、図らずも恋
Title by『Largo』





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