※高校卒業



 ――春は私の季節なのよ!
 そうおどけて見せた少女の弾む声を思い出す。その名が冠する季節がやって来たことを、少女はとても喜んでいた。別れと出会いの季節に、先に訪れた別れに涙をこぼしながら。それでもまた先で果たされる約束を胸に、彼女はしっかりと前に歩き出している。
 立向居が歩く街路樹に、穏やかな風に揺らされた桜の花弁がひらひらと舞う。美しい桜色は、今し方から彼の思考を占領している春の少女とはあまり結びつかない。その桜色は寧ろ彼女の濃い藍色の髪を彩り映える存在のように思えた。
 桜舞う春に、緑茂る夏に、木枯れる秋に、雪積もる冬に。春夏秋冬、一年のどこで彼女を想ったとして、結局は何も変わらないということは立向居自身よく解ってはいたけれど。尚焦がれるように彼女を想い出してしまうのは、周囲の景色が宿す季節が、直ぐに彼女の名前を運んでくる所為なのだと思う。
 音無春奈。携帯の通話記録、メールの送受信履歴のどこを見ても、一番にその名を連ねて欲しい人。そして実際数十分前に通話した形跡として、立向居の着信履歴の一番上には音無春奈と表示されている。うっかり発信ボタンを押してしまわないようにと気を付けながら、それでもしつこく見つめてしまう名前。

『卒業おめでとう!』

 受話器越しに彼女も受け取って然るべき言葉を貰ったのはほんの数時間前のことだった。ありがとうと答えるより先に、春奈の背後から聞こえる雑音の中から鮮明に「写真」だの「集合」と呼んでいる声が聞こえてきて、彼方もまだ卒業式でみんな盛り上がりながら別れを惜しんでいる最中だということがありありと伺えた。ならば長話はするまいと、ありがとうとおめでとうを伝えて、二言三言の世間話とまた今度ゆっくり話そうとちゃっかり次回の約束を得て通話を終了した。
 電話を切った途端にテンション高々なクラスメイトに肩を組まれて「彼女か!?」なんて詰め寄られていつ彼女が出来たなんて言ったんだよと苦笑して違うよとするり腕からも話題からも抜け出した。
 ――片想いなんだ。
 なんて、卒業式に打ち明けたら学校中に漂う笑顔と涙のセンチメンタルの渦に巻き込まれて悲しく思われちゃったりして。春の来ない恋は別に冬のように凍てつく寒さに晒されている訳じゃない。見ようによっては幸せな風景もそれなりに多い。だってさ、出逢えたこと自体有り得ないくらい壮大な奇跡が働いたとしか思えないんだ。抱えた恋を打ち明けた相手もいないから、こんな言い訳をする相手もまたいなかったけれど。
 クラス会は夕方から予約したファミレス集合だからと一時解散。着替えの為にと帰宅の途についた道すがら思い悩むのが、高校三年間の部活仲間や友人等との思い出ではないことに、何だか自分が凄く薄情な人間に思えるけれど、本当に薄情ならばこんなにも他人を想い悩むこともないだろうにと羨ましくもある。
 あと数日もすれば立向居も上京し、今よりずっと近しい距離に行ける。教師になるのだと中学時代から抱いた夢を叶える為に春奈が選んだ学部は当然教育学部で、生憎そこまで彼女を追いかけることは立向居には出来ない。彼には彼の夢があり、個々の夢だけを並べればそれはあまりにかけ離れた位置にあるのだから。
 プロになると決めたのは、春奈の夢の決意からはずっと後ろ。ずっとサッカーを続けたいという曖昧な希望に、具体的な肉付けを迫られた時に浮かんできた将来への観測は自分でも驚くくらい一直線だった。そして無責任でもなく心底その実現を確信して立向居の背を押す人間が、彼の周りには多過ぎた。春奈も当然そのひとりで、携帯越しに打ち明けた夢をすんなりと「大丈夫、叶えられるよ」と優しく微笑むような声音で包んでくれた。
 だから、躊躇いなく走って、歩いて、走った。
 遠距離の片想いは、もしかしたら凄く簡単だったのかもしれない。想うだけの、届けようなんて全く思わない、ささやかな日常を綴るメールのやり取りを繰り返して、好きだと気持ちは募るけれど。
『明日からテストなの』
『今日は同じ野良猫に三回も遭遇したの』
『久しぶりに雷門中に顔を出してきたわ!』
 どれもこれも、ありありとその光景が浮かぶ。しかし結局想像でしかない景色の中で動き回る春奈の姿は、果たして正しい姿を映しているのだろうか。背丈も、髪も、表情も。少しずつ人は移ろい変わる。髪を切ったよなんてメールの文字を追うだけじゃあ結局何もわからなかった。だからやっぱり傍に行きたい。
 夢と恋、どちらを選ぶ?そんな馬鹿げた問いに、今の立向居は平然とどちらも選ぶよと居直るだろう。何かを捨てて悔やむ自分を誇れない。
 格好つけたいだけなんだ。後ろ指をさされても立向居は首を振る。格好など今更春奈につけても仕方ない。そんな上辺を伺う浅い付き合いでもなかった。ただほんの少し、心配を掛けずに気に掛けて貰いたい。振り向いて貰いたい。出来ればこの恋を叶えて貰いたい。
 ぼんやりと、卒業とは違う回想に耽る立向居を、着信を知らせる携帯の振動が強引に連れ戻す。しんとしていた心には悪い突然の衝撃に、立向居は相手を確認する間もなく反射的に通話ボタンを押して携帯を耳に当てた。

『もしもし、立向居君?今平気?』
「音無さん?」
『さっきまた後でって言ったんだけど大丈夫だった?私これからクラス会始まっちゃうから今のうちにって電話したんだけど』
「うん、大丈夫だよ」
『立向居君、こっちにはいつ出て来るの?』
「え…、あ、5日後かな」
『じゃあそれから暫くしたらこっちのサッカー仲間で歓迎会するからね!』
「…サプライズとかじゃないんだね」
『そういうの大好きだけど、前もって言っとかないと立向居君全然期待してくれないから寂しいんだもの』
「そっかな。でも、じゃあ…ありがとう」
『まだ早い気もするけど…。どういたしまして!要件だけで悪いんだけどもう切るね!会えるの楽しみにしてる!』
「うん、それじゃあ」

 口早に喋り通して、春奈はばいばいと電話を切った。社交辞令とも取られかねないありきたりな言葉が、どれだけ立向居を喜ばせたかなんて知りもしないで。
 ――会うの楽しみにしてる!
 立向居の抱く気持ちと同じことを春奈も思っていてくれたのならば、それはとても嬉しい。そこに恋情が伴わずとも、それはこの先挽回しようのあることだから今は気にしない。

「楽しみ、…うん、楽しみだ」

 会ったら話したいことが沢山あるんだ。メールや電話だと、どうしても返事や反応を期待して、くだらなすぎるかなとか、無駄な料金が嵩むかなとか考え込まずにはいられないから。
 なんて打ち明けたら、春奈は首を傾げるだろう。彼女から提供される話題だって、日常のささやかな一部分で、くだらないねと笑ってしまうようなことばかりだった。そんなズレすらももう直ぐ気にしなくて済むようになる。顔を合わせて、目を見て二転三転する話題だって時間を気にせず語らえるようになる。勿論、距離を縮めれば全てが解決する訳じゃないことも知っている。
 だから尚のこと、聞いて欲しいことが沢山あるんだ。
 ――例えば俺が、君をずっと好きだってこと。
 言えるだろうか。言わなくては。疑問も使命も意味はなく、本音はただいい加減待ちくたびれたよと怒り始めた恋心が自然と溢れ出すだけ。話したい、伝えたい、それだけのこと。
 ひらひらとまた桜の花弁が立向居の視界を横切って落ちていく。東京にも同じく桜は咲き誇っていることだろう。
 桜の命は短い。だけど今年の花が散るその前には、きっとこの恋を届けてみせよう。叶うならば、どうか散らずに。


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最期のはじまり
Title by『joy』






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