※大学生パラレル


 身を縮こまらせるだけだった風に、少しずつ春の気配が芽吹き始めた三月半ば。外套に手袋、ニット帽にマフラーで完全防御を強いられた日々もそろそろお終いかと、クローゼットを物色しながら秋は掃除ついでにこの冬一度も着用しなかった冬服を処分してしまおうとゴミ袋に容赦なく衣類を放り込んでいく。季節が移ろう毎に同じことをしている気がする。それなのに毎度袋いっぱいに発生する、洋服から可燃ゴミへと成り代わる現象が減る気配を見せないのは何故か、秋には不思議で仕方ない。それほど買い物好きという訳でもないというのに。
 かといって物で埋まらないクローゼットをそのままにしておけばいつの間にか母親の手によって秋自身とは何の関係もないものが押し込まれていたりするから、それなりに妥協しながら取捨選択をする。
 ――あのワンピースはもうサイズが合わないけれど一番のお気に入りだったから。
 ――ぬいぐるみを捨てるのは何だか心が痛むから。
 ――去年の授業プリントはもしかしたら今年の授業で資料として使えるかも。
 思い入れを作れば手も止まる。媒体がなくとも夜を語り明かせるくらいの思い出は秋だって持っている。何ならサッカーボールひとつで幾らでも感慨に耽っていられるのだと、自慢にもならない自負をひとつ。だけどこれから秋の一番近くで思い出話に耽るであろう人物はそうではないのだろう。彼にとってサッカーボールは思い出ではなく未来へ繋がる現在だ。彼にはサッカーばかり。円堂守とは出会った頃からずっとそういう人間だった。
 新しい季節になったら一緒に暮らすことを決めて、引っ越しの日も段々と近付いている。こうして持ち込む荷物を減らそうと大掃除を始めている秋とは裏腹に円堂は今頃河川敷辺りで子どもたちとサッカーをしているのかもしれない。想像したら、自然と笑みが零れた。はっとして表情を戻した後、好きだなあなんて惚けてみたりして。
 だけど。
 そんな大好きな人と踏み出す新しい一歩に消極的になってしまう自分がいることに、秋は気付いていて、今度は溜息を吐いてしまう。ずっと過ごしてきたこの部屋に、全てを残しておきたい。クローゼットを空にすることも、あまり使用しなくなった学習机も、その引き出しの中身も何もかもを。帰る場所を保存しておきたいのかしらと真実を探しても臆病な心はさあどうかしらととぼけるばかり。
 若い二人の新生活に、持ち込める家具があるならそれを使用した方が家計的には助かると頭で理解しながらも、自分の住み慣れた部屋を切り崩すイメージを抱けない秋を見つめながら、じゃあ家具は全部買おうとあっさり即決したのが円堂だ。慌て出した秋に昔より大人びた笑顔で大丈夫だと頷いてくれた彼は、今になって尻込みをする自分の弱さに最初から気付いていたのだろうか。尋ねる勇気はない。

「秋ー、円堂君よ?」
「え?」

 突然思考の中にいた人物の訪問を告げられ、秋は咄嗟に動き出すことが出来なかった。ぱちぱちと何度か瞬いて、次いではっとして部屋を慌てて飛び出した。玄関まで向かえばそこには確かに円堂がいて、何か予定を入れていたかと思い返しても今日は一緒に出掛ける予定などなかった気がする。

「円堂君、どうしたの?」
「ん、暇だったからさ。秋メール見た?」
「メール?」
「今から秋んち行っても平気かって一応メールしたんだけど」
「ごめんなさい、充電器に挿したまま見てないわ」
「そっか、今平気?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ散歩行かないか」
「わかった、上着取ってくるね」
「今日は暖かいからマフラーはいらないぞ」
「ふふ、円堂君の格好見ればわかるよ」

 もう一度部屋に戻り上着を羽織る。衣類を整理していて出したばかりのそれは、確か去年も円堂の隣を歩きながら着ていた気がするのだが、果たして彼は覚えているだろうか。
 そんな秋の疑問は、階段を下りた彼女の姿を見た円堂が早々に「一年ぶりに見るなそれ」と口にしたことであっさりと解消された。覚えていられるとそれはそれでむず痒い。そのむず痒さを誤魔化すために顔を埋めるマフラーは生憎装着していない。なんとか微笑んで円堂を促し家を出る。瞬間包まれた温度は確かに春に近くて、外套など着て歩き回っては汗をかいてしまうだろう。

「秋は何してたんだ?」
「掃除と荷物の整理。いらない服とかは処分しようと思って」
「へえ、俺持ってく物纏めただけで後はそのまんまほったらかしだ」
「円堂君らしいわ」

 河川敷を並んで歩きながら、いつもよりゆっくりとした歩調。時折対向からやってくる自転車を端によって避けたり、すれ違う子どもに手を振られたりしながらのんびりと歩く。
 ――ああ、春が来るんだ。
 日に日に増す気配が風に乗って秋の髪を揺らした。隣を歩く円堂の機嫌が良く感じられるのも、陽気な季節の到来に感化されてのことか。まさか秋がひとり自室で春と共に向かう新しい世界に怯えていたなどとは思うまい。それでも、怯えとは見抜けずとも長年寄り添えばそれなりに相手の変化を察するくらいの機敏さは養えるのだ。

「秋、何かあった?」
「どうして?」
「あんま楽しそうに笑ってないから」
「………」

 そんなことないよと誤魔化されてはくれない。長い時間を掛けて築いた関係は時に外へ外へと秋を引っ張っていく。背中を見つめず隣を歩くと決めたのに、いつの間にかずれ込んで、そんな誤差をあっさり埋めるように手を握ってくれる円堂に、下手な嘘を重ねるつもりはない。


 進む度に後ろに出来る道が長くなる。過去の自分と現在の自分の心が別々なんじゃないかと不安になる。だから今が幸せなら良いじゃないなんて近頃めっきり思えないもの。抱えきれずに取捨選択して厳選した荷物に取りこぼしはないかしら。置き去りにした荷物と空間は直ぐに私を忘れてしまうに違いないから。袋に詰めて集積所で回収されて炉に放られ燃やされたのはゴミかしら、それとも私の名残?間違えたらどこからやり直せば良いのかって考えたら何も捨てられないし動けない。怖い、なんて望んだ未来を前に一番には抱きたくはない気持ちが幅を利かせて邪魔なの。


 秋が歩きながら漏らす言葉は風を連れて円堂の耳に届く。優しい声音の意味は、円堂には理解出来るが難しい。秋と一緒にどこまでも。そんな一念で物件選びも書類のサインも迷わず済ませる己の単純さは、秋には少々急きすぎたかと今になって反省する。
 好きだから、好きだけど、好きならば。言葉は複雑に曲がりくねるから、円堂は大人になっても上手く喋れないと不便を感じることがある。だから想像する。こうして河川敷を歩く自分たちのその先。何も変わらず繋いだ手が小さくしわくちゃになってもそうあれたら、自分の胸の中心はいつだって春みたいに暖かく満たされるのだろう。だから一緒にいようよ、一緒にいてよ。勧誘と懇願の差は果たして。手放す気など端からないなら言葉にする必要もない気がするけれど、それは自分の思い込みなのだと円堂は知っている。
 だからせめてと口にする言葉には、ありったけの気持ちを込めるのだ。

「なあ、秋」
「ん?」
「荷物整理とか、しなくていいよ。持ってけないなら置きっぱなしにしとけばいい」
「でも、」
「それで昔の秋の居場所がなくなるならその時に丸ごと俺たちんとこに持ち込もう」
「……、」
「荷物とか思い出とか、存在とか、それが秋のなら俺が全部背負ってやる。自分じゃ持てないからって何かを捨てたりしなくてもいいんだ」

 いつの間にか立ち止まっていた秋に釣られて円堂も足を止める。「な?」と同意を求めた笑顔は、秋には諭すような優しさを届けていた。「そうだね」と「ありがとう」が喉の奥でぶつかって、結局頷くしか出来なかったけれど。
 じゃあ行くかと秋の手を取って繋いだ円堂の言葉は、この散歩道の続きへか。それとも新しい二人の始まりへか。
 そのどちらだとしても、私は貴方の隣を歩くよ。そんな気持ちを込めて、秋は繋がれた手をそっと握り返した。


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ゆくゆくは溶けて混ざってひとつになる
Title by『joy』



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