幸せそうに軽い足取りで、真っ赤なパンプスを踊らせながら街路樹を歩くあの子はきっとこれからデートなんだわ。短すぎて制服ならば嫌悪感しか抱けないようなスカートを風に揺らして青空の下愛しい彼の腕の中に飛び込んでいくの。その瞬間の彼女は、きっと幸せの頂点にいて世界中の女の子から羨まれて然るべき存在なんでしょう。
 欲しいと思った服を金銭に糸目を着けずに購入出来る贅沢も、予約と行列待ち必須のスイーツ店の人気ケーキを労せず食せる幸運も、その幸せに比べたら取るに足らないものばかりなの。


 友人と休日に遊びに出掛けたことなどないわと夏未が呟いた時、鬼道は失礼ながらそうだろうなと頷いてしまった。余所に出掛けるといえば招かれたパーティー、演奏会、鑑賞会等エトセトラ。暇ではなくて時には多忙を極めることもある。だけどぎゅうぎゅう詰めのスケジュール帳はいつの間にか幅を広げた心の隙間を埋めてはくれないのだ。黒のボールペンで、綺麗な文字で埋め尽くされた夏未の今月の予定をぼんやりと目で追いながら、妹の手帳は随分とカラフルな色ペンで彩られていたことを思い出す。
 サッカー部のマネージャーになってから、理事長の手伝いを少しずつ減らしているのだと言う。根が真面目な夏未だから、マネージャーを始めた自分の都合で仕事に裂く時間を生み出せずに父や他人に迷惑を掛けるなど許せないだろうが、今まで父に引っ付いて大人の世界ばかり覗き込んでいた彼女が同年代の付き合いを始めたことを、他でもない彼女の父が喜んでのことだ。
 放課後や休日、理事長室にも自室にも籠もらず外に出て、お嬢様らしい服装もせずジャージに着替えて日傘もささずに動き回る様を、彼女の父は漸く子どもらしく、また彼女らしく生き始めたのだと思っているらしい。その、手放しの歓喜が少しばかり夏未には照れくさいのだが、嬉しそうな父に水を差すようなことは言えなかった。
 ぽつりぽつりと呟かれる夏未の言葉は、鬼道にとっては共感することもあり、そういうものかと感心することもある。夏未と同じお嬢さん、お坊ちゃんに自分が分類されていたとしても、地が違うから最初は酷く戸惑ったものだけれど、生粋のお嬢様である彼女は考え方から筋金入りなのだ。育ててくれた感謝と己の目的の為に与えられた義務を果たそうとする鬼道とは違う生き方。それが時折やけに不器用に映ってしまうから、近付いて何かを確かめなければ視線すら反らせない。
 憧れだろうか、それとも同情。どちらにせよ夏未に気付かれれば貴方の勝手と手痛く叩き落とされそうだ。ではもし恋ならば。それはそれでひらりと優雅にかわされてしまいそうだと苦笑する。そんな鬼道の表情の変化を訝しげに見つめてくる夏未から逃げるように机に置かれて今月の予定を開いている手帳を捲り翌月の頁を見ればそこはまだ白紙のままだった。

「来月の予定はまだひとつも決まっていないのか」
「ええ、さっき木野さんとサッカー部の練習予定を相談して、いくつか休日も暇が出来るから、そこで何かお手伝い出来ることがないかお父様に今メールで聞いているの」
「じゃあこの頁も直ぐにびっしり埋まる訳だ」
「そうかもしれないわね。鬼道君は?手帳とか持ち歩かないの?」
「俺は基本的にサッカーばかりだからな。出掛ける機会も少ないし、わざわざ手帳に書き込むほどのスケジュールは滅多に立たん」
「男の子ね」
「雷門の働きぶりは素直に尊敬する」
「あら、ありがとう」

 お世辞ではないと伝わる言葉は心地良いのか。ふわりと微笑んだ夏未に、鬼道は一瞬ぎくりと胸が痛んだ。何故かはわからない。ただ痛くて恥ずかしくて、逃げたいような、しかし動くことも出来ない奇妙な感覚だった。
 一方夏未は鬼道によって開かれた頁を丁度良いと既に決まっている予定を書き込み始める。赤のボールペンで、休日のサッカー部の練習試合の旨と相手校、集合時間。地域の行事で雷門中の校庭が使えない日には河川敷集合と青い文字。黒のボールペンでばかり記入されていた先月とはえらい違いだ。
 疑問が腹につっかえては気になって仕方ない性分なので、鬼道はすぐに夏未に先月に比べて随分カラフルに文字を書くのだなと尋ねた。すると彼女は恥ずかしそうに頬を染めながらも教えてくれた。

「この間音無さんの手帳を見たの」
「春奈の?」
「とても可愛くて、友達と遊ぶ日なんてハートマークまで書き込まれてて、ちょっと真似してみたくなったの」
「そうか」
「似合わないかしら?」
「いや、可愛いんじゃないか」
「…!」

 鬼道の可愛いという言葉に、夏未は本当にそう思うかと伺うように目線を寄越す。それを受け取りながら、ゴーグル越しでは自分がいかに彼女の少女らしい変化を微笑ましく見つめているか伝わらないのだなと難儀に思う。
 もう一度夏未の手帳に目線を落とす。練習試合の文字の隣の日付は未だ空白のまま。父親からのメールの返信を待つ今ならば、そこは彼女の時間も空席だ。人差し指でとんとんと手帳を示せば、夏未は鬼道が指差す日付を覗き込み、その日がどうかしたのと首を傾げる。

「俺と遊びに行かないか」
「鬼道君と?」
「ああ」
「どこに?」
「どこにでも。歩きや電車で行ける範囲で。招待状も贈り物もない。行きたい所を気儘にぶらつくだけだ」
「…行くわ!」
「そうか」
「待ち合わせとかするんでしょう?」

 瞳を輝かせながら語る夏未は、外の世界に飛び出す機会をやっと得たかの如く喜んでいる。流石の鬼道もここまで反応されるとは思わなかった。送迎の車もなく隣に付き纏って言葉を募る晩餐会の主催者なんて以ての外。二人きりでありふれた子どもとして誰かの目に映りながら時間を過ごすのだ。だけど子どもだとしてもこれはきっとれっきとした。

「これはデートよね?」
「ぶっ!?雷門、手帳にまで書くのか!?」
「ええ、良いでしょう?ハートマークだって不自然じゃないわ、だってとっても楽しみだもの」
「…そうか」
「でも音無さんには内緒にしとくわね」
「雷門!」
「ふふふ、何を着ていこうかしら」
「まだ先の話だぞ」
「あら、きっと直ぐよ」

 赤いペンで鬼道君とデートと刻まれた箇所を、不器用なハートマークが飾っている。来月の話だと呆れる鬼道だが実際夏未の言う通り直ぐにその日を迎えることだろう。楽しい毎日はあっという間に過ぎるから。その先に一大イベントが構えているならば準備期間はいくらあっても足りはしない。
 未だ迎えない月の頁を愛おしげに見つめ華やかに作り上げていく夏未を、やはり愛おしげに見つめる鬼道が共に出掛けるならばそれがデートでなければなんなのだと諭してくれる人は生憎この場にいないけれど。
 だけどその日がくればきっと本人達も気付くだろう。幸せそうに軽い足取りで、真っ赤なパンプスを踊らせながら街路樹を歩き、お気に入りのワンピースを風に揺らして青空の下、愛しい彼の腕の中に飛び込んだ女の子は、世界中の女の子から羨まれて然るべき幸せの頂点にいるのだから。


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いつか恋になる
title by『≠エーテル』




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