※拓←茜←蘭


 あまねく広がる星々を見上げながら指二本分繋がった温もりはひどく朧気なほど微かだった。夕暮れの空に見つけた一番星は。宵の明星は何処に紛れてしまったのだろう。見つかるはずもないね、輝きをひとつひとつ拾い上げて名付けるのが難しいから、人は形を定めて座標にしたんだ。真昼の空の下、箱詰めの部屋で学んだ知識はあまり上手に活かせそうにない。だってテスト用紙に名を記せと印刷された夜空に浮かんでいた星は片手で数えたりる程度だったから。
 幾千と散らばっても、その距離はひどく遠いのだと、情報としては知っている。だけどその距離を測ることは出来ない。頭の中に浮かべるちっぽけな宇宙はプラネタリウムより矮小なのだから。
 星と星の間に横たわる距離は光年で測った方がよっぽど解りやすいのだとか。ならば自分と隣に立つ少女との間に横たわる心の距離だってそれくらい途方もないのだ。ただ、此方は星とは違って測れない。だって繋がっていないから。辿り着けないから。冷えていく心が、僅かな温もりに縋ろうと繋がれた指先に神経を集中させて行く。引っかけるような状態は、立ち尽くしながらもだらりと腕を下げた彼女を支える為に掴んだ名残。決して握り返されない指先はいずれかじかんでしまうだろう。それは、蘭丸の心が凍えるのと同じこと。夜空を見上げながら星を数え掴めないと知るから手を伸ばす意気地もない。そう自嘲した彼女が、茜が振り絞った勇気を蘭丸は知っている。だから言えなかった。下手な慰めも、俺は山菜が好きだよなんて告白も。
 薄い水膜に揺れる藤色の瞳を綺麗だと思った。点にしか見えない白い輝きよりも、悲しみに耐える少女の方がずっと。惚れた欲目は、ちっとも茜の役には立たないのに。

「綺麗だね」
「ん?」
「お星さま、綺麗」
「ああ、そうだな」

 だが茜の綺麗という言葉が、彼女にとって如何に低価値かということを蘭丸は理解していた。彼の鴇羽色の髪を綺麗と褒めて指先で弾いて遊んでも、青磁色の瞳を綺麗と覗き込んでも。結局それはその場限りの感想に過ぎない。感情として心を揺さぶってはいないのだ。そんな彼女の基準を知るには解りやすいだけの指針としてカメラがあった。本当に心惹かれた物ならば、直ぐにでもカメラを構えて頭上に広がる星空に向かってシャッターをきっていただろう。それこそ、ただの友人でしかない蘭丸の指などあっさりと振り解いて。
 茜にとっては綺麗よりも好きという感情こそが心を揺らす衝動だった。お気に入りのカメラで追いかけていたのは鴇羽ではなく胡桃色。いつしかその色以外を写すようになったけれど、一番の座は永らく明け渡される気配がなかった。だから蘭丸は、いつだって彼女に想われる神童拓人が羨ましくて仕方がない。想い人になれないのなら、せめて友人として寄り添いたかった。もしかしたら、あわよくばの瞬間を誰より早く嗅ぎ付ける為だったのかもしれない。卑怯ではなく、やはりただの臆病者だ。悲しいね、そう己に呟けばだけど彼女もきっと悲しいよと答えが返る。告げられない想いと拒まれた想いを天秤の量皿に乗せたら一体どちらに傾くんだろうね。拒まれた瞬間、風船のように破裂してしまえば良いのに。

「シン様は、優しかったよ」
「……」
「ちゃんと受け止めてくれたの」
「だけどごめんって?」
「うん。今はサッカー以外に時間を裂けないからって」
「……」
「私のことは、恋人とか…そういう風には見れないけど大事な仲間だって言ってくれたの」
「神童らしいな」
「ちゃんと受け止めて、優しくして返してくれた。だから、私幸せなんだよ」
「――そんなの!」

 そんなの絶対嘘だろう?本当は受け止めて受け入れて欲しかったんだろう?でなきゃ好きだなんて本人に伝える必要なかったじゃないか。優しくしてくれたから?だから拒まれても神童のことが好きなままなのか?だったら俺だって山菜に優しくするさ。これからも、今までだってそうしてきたんだ!俺だったら受け止めて受け入れて大事な仲間としてだけじゃなくて大事な女の子として山菜を扱ってやれるのに!
 単純に優しさの数を比べるならば蘭丸の方が拓人よりもずっと茜に近かった。幾つもの下心の上に輝いたのは光年先の星々なんかじゃない、彼女の嬉しそうな笑顔だった。それだけで、確かに蘭丸は幸せだったのに。どうして満たされてはくれないのだろう。どうして心は、明確な大きさに定まってその容量を埋めてはくれないのだろう。悲しいよ、痛いよ、辛いよ、好きだよ。青磁の瞳に込めて訴える気持ちはいつまでも彼女には届かない。だから言葉にしなければいけなかった。受け入れては貰えないと端から決定している恋の通過点を、蘭丸は決まって無視をした。これ以上の傷は負えないよ。包帯も絆創膏も消毒液ももう尽きてしまった。心の傷はいつも風が当たらないから完治が遅い。
 結局吐き出せなかった気持ちを空気に変えて、蘭丸は夜空に向かって大きく吐き出した。咄嗟に荒げてしまった言葉は、茜には強がりを責めようとしたのだと都合良く解釈されたらしい。強ち間違いではない。ただ、茜はそれを蘭丸の優しさと思い込み、彼は弱さだと嘲笑う。
 どれだけ長時間見上げても、蘭丸には散らばる光を繋ぎ合わせて物語を見つけることは出来なかった。唯一茜に指をさされて初めて見つけた金星も夜になればもう見えない。そういえば、金星は五百八十四日毎に太陽と地球の間に割り込んで地球にキスするんだってさ。何かの本で読んだこと。もし太陽が拓人で地球が茜だったなら。自分は間違いなく金星で地球に横恋慕中に違いない。でも、想いを伝えることすらままならないくせにキスなんて出来るわけないだろう。そうごちて、蘭丸は夜空から隣に立つ茜へと視線をずらした。揺らめいていた膜は、蘭丸との会話の内に粒となって茜の頬を伝わり落ちていた。静かに嗚咽を伴わない涙は綺麗だった。だが蘭丸にとってそれはただ綺麗なだけだった。だって神童拓人を想って流される涙を好きになんてなれる筈がない。繋がれた指を解いて涙を拭うことを選べない蘭丸は、また慌てて夜空を見上げる。浮かんでいるだけの星がちかちかと自分を責め立てているような錯覚を得る。だが触れ合えない光年を挟む星々には解るまい。心は触れずとも温もりだけは分かち合える近さが、蘭丸にとってどれだけ価値あるものかを。

「綺麗だな」
「…うん」

 きっともう、どちらも星など見てはいなかった。


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この夜に死ねたら
Title by『告別』





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