一緒に暮らし始めてから知ったことだけれど、吹雪は家事が下手だと紺子は思う。下手というよりは雑という方が正しいか。出来ることには出来るのだ。けれど、これまでの一人暮らしが仇になっているのか自分だけのペースというものが完成し染み着いてしまっているから、紺子がその間を縫って吹雪の隣に落ち着くにはそれなりの労力を必要とした。料理洗濯掃除。一人分の遣り繰りというものは意外と難しいと紺子は思っていたが、それに慣れきった人間からすればもう一人分を増やすことの方が難しいことのようだ。だから出来るだけ、家事は自分がしようと紺子は決めた。吹雪が家事に対する意識を薄れさせてしまうくらいに自分を当たり前に頼るようになれば良い。紺子にしては珍しく傲慢にも取れる願いを、吹雪と同棲を始めたばかりの彼女は心の底から叶えたいと祈った。
 恋人として向かい合って手を握り、見つめ合うだけならきっとこんなささやかな悩みとは出会えなかった。いつか家族になることを願いながら踏み出した一歩の重みを、紺子はふとした瞬間に思い知らされる。畳んだばかりの洗濯物を衣装ケースに仕舞いもせず明日着るからとぞんざいにベッドの上に放り投げてしまった吹雪を叱りつけた日のことを思い出す。それじゃあ着た切り雀と同じじゃないか。紺子の言葉に、吹雪は今までだってこうして来たんだよと目に見えて肩を落としてしまったから、その時はもうそれ以上言い募ることが出来なかった。
 子どもの頃から一緒だった吹雪のことを、紺子は他人よりずっと理解していると思っていたし自信もあった。だからこそ彼と恋人という関係に至ったし同棲だって始めたのだ。それでも、ひとりの人間が誰かに見せる面というものは結局僅かばかりでしかなかった。吹雪は外の世界で気楽に生きていく為の立ち回りに長けていたのだと改めて実感する。激しい落差とも言い難い、だが笑顔の裏にある臆病さ。抜けきらなかった信頼する一握りへの安堵の色は一度向けられれば忘れられるものではない。吹雪から向けられる信頼に気付いた時、紺子は彼の傍にいようと決めたのだ。
 成人しても、平均身長を上回ることのなかった紺子の体躯は吹雪と出会った頃と変わらずに小柄で。見つめる掌もいつの間にか彼のより一回り以上小さくて測るように手を合わせればすっぽりと包まれ握られてしまう。同級生の男子よりずっと小さかった吹雪士郎という少年はいつの間にかいなくなっていた。
 過去の傷に怯えてうずくまれば簡単に抱き締められた身体は、紺子の関われない場所で壁を乗り越えどんどん逞しく成長してしまった。寂しくはなかった。体格の開きは心の距離には一切比例しない。吹雪はいつだって人混みに簡単に埋もれてしまう紺子を見つけ出して、微笑みながら手を繋いでくれていたから。真冬の雪景色の中、微かな温もりを分け合いながら歩いた帰り道を紺子は今でも鮮明に思い出せる。日常の内で無意識に察し享受していた吹雪からの好意をはっきりと言葉にして渡されたのも、しんしんと雪が降る部活の帰り道だったから。
 舞う雪が地面に落ちる速度よりも緩やかに紺子は吹雪の言葉を咀嚼した。そうして返した反応は言葉ではなくこくりと頷くこと。隣を歩きながらも目線だけは彼女に向けていた吹雪は、その頷きにありがとうと柔らかく破顔した。
 あの瞬間の自分は世界で一番幸せだったんじゃないか。二人分の洗濯物を畳みながら紺子は回想に耽る。お使いを頼んだ吹雪が帰ってくるまでには余裕で終わらせられる筈の作業が全く捗らない。年々振り返る記憶が増える一方だから仕方ない。ぼんやりとバスタオルを膝に乗せたままでいると玄関の鍵を開ける音に次いで扉が開く音。そして今では聞き慣れたただいまという言葉が届く。

「おかえり吹雪君」
「うん、あ、頼まれてた醤油冷蔵庫に入れとけば良い?夕飯で使うなら出しとくけど」
「んー、冷蔵庫に入れといて。あと何か余計な物買ってない?」
「………」
「自主申告」
「ごめんなさい鯛焼き買ってきました」

 千里眼かと、吹雪の無駄遣いを見抜いた紺子に窘められるままスーパーの袋からまだ温かい紙包みを取り出す。ちゃんと二人分買ったんだけどなと首を傾げる吹雪に紺子は苦笑する。言われなくてもそんなことは知っている。一度だって、吹雪が自分だけの為に買い物をしたことなどないのだ。鯛焼きだってケーキだって、紺子があまり得意でないお酒だって彼は一緒に食べようと笑って差し出してくる。そんな当たり前に隣り合っている事実が嬉しくて、見咎めながらも苦笑するだけで毎度許してしまうからいけないのかもしれない。

「…外、寒かった?」
「ちょっと風が冷たかったかな。手袋忘れちゃったし」
「――じゃあ、温かい鯛焼きが食べたくなっても仕方ないべ」
「…!紺子ちゃん!」

 今回も結局、受け入れるのは紺子の方。そして彼女の許しを得た吹雪はお咎めムードから一転、一緒に鯛焼きを食べることに意識を走らせていて、お茶を煎れてくるねと慌ただしく台所に入っていった。
 零さなければ良いけれど、そこまで抜けてはいないか。飛ばす心配の意識を断ち切って、自分も早々に仕事を終わらせてしまおうと長い間止まってしまっていた手を動かし始める。タオル類を畳み終えて、洗面所の棚に仕舞いに行こうと立ち上がる。その途中通り抜ける吹雪の後ろ姿。二人分のお湯を沸かす、その分量の違いにも戸惑わなくなった彼の姿が嬉しい。そんな背中に気を取られて足を止めないようにと若干足早に洗面所にタオルを仕舞い、残りの洗濯物を片付ける為にリビングに戻る。今度は吹雪の背中を見ないように注意しながら。
 手渡しても放られて畳んだ意味を成さない吹雪の洗濯物は、今では紺子の手によってタンスに収納されている。世話を焼いているつもりはないが、奥さんみたいだねと喜ぶ吹雪にそうだねと笑って頷くことは出来なかった。我儘だとしても、奥さんと呼ばれるのならやはりちゃんとした言葉を貰ってからが良い。あの冬の帰り道、当たり前だった二人きりに甘んじないで好きだと告げてくれた時のように。
 今度は、紺子の方が先に仕事を終えてリビングで吹雪が来るのを待つ。お湯が湧くのを、コンロの前でずっと待つ必要はないだろうに。退屈と呼ぶには短い待機の後、お盆に二つのマグと皿に移した鯛焼きを乗せた吹雪が戻ってくる。テレビ前のローテーブルに全てを置き終わるのを待ってから、紺子は自分寄りに置かれたマグを手に取った。まだ熱すぎる中の紅茶に息を吹きかけながらマグを両手で包んで暖をとる。スーパーで購入した安っぽい紅茶の香りが鼻に馴染んで、何だか自分たちが凄く所帯じみている様な気がして自然と笑みが零れる。

「紺子ちゃんも鯛焼き、あーん」
「吹雪君の分千切って寄越しちゃ二つ買った意味ないべ」
「えー、そう?」
「そうだよ」

 今はまだ、一つの物を二人で当然に分け合うには隔てている物が多すぎる。鯛焼きのひとつまみくらい、大袈裟に捉えるべきではないのだろうが。
 こうして同じ部屋に暮らして隣り合えばそれだけ募る寂しさに似た何かがあるということを、吹雪は気付いているだろうか。

「…ねえ紺子ちゃん、やっぱりこれ、あーん」
「吹雪君?」
「紺子ちゃんはもっと僕の物我が物顔で奪って良いんだよ?それこそ、気軽にタンスの引き出しを開けるみたいにさ」
「……それってどういう…?」
「僕の持ってる物も与える物も、有り難みなんてないからさ、気楽に受け取って欲しいんだ」
「……ふぶ、」
「僕の名字いりませんか?」
「―――!」

 嗚呼、この人は。気楽に受け取ってなんて言ったくせに肝心な所は敬語になってしまうのだから、直前の言葉は嘘ばかりだ。確かに有り難みなんてものはないかもしれない。だけど今吹雪が紺子に差し出している物は決して無価値なんかじゃないのだ。呼ぼうとした名を遮られて寄越された言葉に瞳を見開いて、瞬間ぼろぼろと溢れ始めた涙に、今度は吹雪が驚きに固まる。

「吹雪君は、馬鹿だべ」
「そうかな?」
「鯛焼き食べながらそんなこという人、きっといないよ」
「…うん、でもどうしても今言いたくなったんだ…。……嫌だった?」
「ううん、嫌じゃない。ちっとも嫌じゃない、嬉しい」
「じゃあ、」
「貴方の名字を、私に下さい、士郎君」
「――!…うん、ありがとう」

 お礼を言うのは此方の方。だけど止まらない涙が邪魔をして言葉にならないから、紺子は吹雪に抱き付くことでせめてもの喜びを伝えた。彼女を受け止めて抱き締める吹雪の身体はもう大人の男性でしかなくて、包まれる感触に心底安堵する。どれだけ時が流れて成長という変化を過ぎたとしても吹雪士郎という人間は変わらずに自分の傍にいたのだと、紺子はそんな当前のことに漸く気が付いた。そしてその当然が、今この瞬間永遠になったということにも。
 ――幸せで、暖かい。
 ローテーブルに置き去りにされた紅茶と鯛焼きはもうぬるくなってしまったろう。だけど全然構わない。手にした幸せと包まれた温もりを前にすれば、僅かな冷たさなど取るに足らない些末なこと。漂う甘い空気の余韻に浸るように、紺子はそっと目を閉じた。


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ふたり夫婦星になろう
Title by『Largo』




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