※剣→←葵+天馬


 バレンタインという恋の為に用意されている日に、一対の男女が仲睦まじく向き合っている光景など普段より目に着こうとも珍しくはない。羨望や嫉妬よりも真新しい組み合わせならば祝福を、見慣れたものなら喝采を。なあんて積極的に肯定してやる必要なんて、恋とか友情にかこつけて贈り物を渡し合うのが楽しいだけの子等はしなくとも良いのだけれど。かといってわざわざバレンタイン当日に喧嘩しているような男女がいれば、いくら好奇の目に晒されようとも仕方ない気もする。だって大声を張り上げながら昼休みにずっと追い駆けっこをしていたのだ。目にした誰もが喧嘩した恋人同士の姿だと思う。普段、その二人が仲良く連れ立って歩く姿は日常として目撃されているのだから。
 だが、そんな好奇の目の網の中。当事者の知り合いだけは真実の目でのみで事態を見つめ、あれは痴話喧嘩に似てもただの幼馴染の言い合いに過ぎないと息を吐く。松風天馬と空野葵は断じて恋人なんて関係ではないのだ。

「天馬の馬鹿!もう知らないからね!嫌い!」
「だからごめんって何度も謝ってるじゃんか!葵の分からず屋!」
「分からず屋は天馬だもん!天馬は女の子のこと何にも分かってない!」
「男の俺がそんなこと分かってたら変だろ!」

 昼休みの前半を追い駆けっこに費やした天馬と葵の喧嘩は、今や葵が女子トイレに立て籠もるという籠城戦に突入していた。流石に踏み込めない天馬だが入口から声を張って葵に謝っているのだか罵っているのだか解らない言葉を吐き続ける。結果的に天馬の所為でその辺り一帯の女子生徒は別のトイレを利用しなくてはならなくなっている。だから一刻も早く葵を連れ出して仲直りしたいとは思っているのだけれど、今回ばかりはどう事態が転ぶか幼馴染という経験からは予測出来なかった。
 喧嘩の発端は何だったか。天馬が思い出そうとすれば最終的にはバレンタインが良くないのだという結論に至る。
 葵に好きな人がいる。天馬はそれを知っていて深く詮索はしなかった。見ていれば相手なんて直ぐに解ったからだ。剣城京介、葵の視線を辿れば大概彼がいて、単純な天馬はそれを彼女の恋として結び付けて結果理解した。大事な幼馴染が恋をした。ならば見守るしか役目がなくとも応援するのが幼馴染というものだと天馬は思っていた。実際周囲に葵の彼氏と思われているのは自分だなんて思いもしない。
 恋を知らない天馬にとって葵は女の子という存在の基準だった。単純に、母や姉のような秋を除外して彼女は天馬の中で一番の女の子だ。だからそれ以上の子がいるだなんて疑わない天馬は勝手に剣城が葵を好きにならないはずがないと思い込んでいる節があった。
 それは全く根拠のない話ではなくて、葵が剣城を見ていない時に限って、彼もまた葵を見ているのだと、彼女の恋を遠巻きに観察している内に気付いたから。そうして天馬の目には、剣城と葵が結ばれるのは時間の問題なのだと纏まった。そんな思い込みが段々と凝り固まって、いつしか二人は付き合っていないだけで両想いなのだという偏見に移り変わっていた。
 だから天馬は最初、自分の過失に一切気付けなかった。

「葵、剣城には別にチョコあげたの?」

 昼休み。屋上でサッカー部の一年生に友チョコだと小さくラッピングされた袋を手渡している最中、天馬は疑問をそのまま葵に問うた。剣城にも同じ友チョコを渡しているけれど、彼には本命をあげるべきでしょう。剣城もまたその場にいたというのに。
 天馬の言葉を受けて、信助、マサキ、輝は数秒の間を置き「ああそうだったのか」と各々頷き合っていた。だが肝心の葵と剣城は凍り付いたかの如く微動だにしない。ここで漸く天馬は自分の思い込みによる過失に気付きはっとなるのだが、彼のその様子を見た途端、葵は勢い良く立ち上がり逃げ出した。だが天馬の反射神経もなかなかで、唖然としながらもすぐさま立ち上がり彼女の後を追って走り出した。残された友人等は一様に苦笑し此処で走り出すべきは幼馴染ではなく意中の彼であるべきだろうと思いつつも口には出さない。剣城は未だに混乱に固まっている。このまま出遅れれば、折角のチャンスも仲の良い幼馴染の喧嘩で終わってしまうというのに。だが人の恋路に余計な手出しは良くないと悪い例示をされたばかりの三人は大人しく葵からの友チョコを食すことにした。心の中でこっそりと発せられたエールははたして誰に宛てたものであったのか、本人達にも曖昧だ。

「葵と剣城がまだ付き合ってないって忘れてたんだよ!」
「まだって何!?そういうこと大声で言わないでよ!」
「だって葵がそっから出て来ないから…!」
「聞こえてるもん!」
「ああもう面倒だなあ!剣城が葵から本命チョコ貰って嬉しくないわけないじゃんか!だって剣城は…」
「松風!」
「剣城?」
「剣城君?」

 もう埒があかないからと、最後の地雷まで爆発させてしまおうと息を吸い込んだ天馬を制したのは今まで何をしていたんだと詰りたくなるくらいに不在だった剣城だった。聡い彼は、天馬の勢い任せの魂胆を察して慌てて声を荒げた。天馬と葵の怒鳴り声を拾って居場所を突き止めた剣城には彼の声量の煩さを実感したばかりだ。そんな大声で自分の恋心をバラされるなんてたまったものじゃない。
 天馬に黙っていろと指示して、普段ならば立ち止まることすらしない女子トイレの前から葵を呼べば彼の登場に沈黙していた彼女もおずおずと個室から顔を覗かせた。それに来い来いと手招きをすると、葵は一瞬戸惑って目線をさまよわせたが結局剣城の下に歩み寄って来て、それを見た天馬が拗ねたように頬を膨らませてしまう。こんな時まで幼馴染の独占欲を出すなと剣城が諫めると、天馬はべえっと舌を突き出して駆け出してしまう。

「剣城が葵にさっさと告白しないのが悪いんだ!」

 そう捨て残された言葉が、葵が剣城に、でなかったこともやはり天馬の贔屓目なのだが、剣城は何も言わなかった。これでは隣の葵に自分の気持ちが筒抜けな気がするが、彼女を手に入れるに当たり一番の障壁だった天馬がああ言ってくれたのだ。認めても良いだろう。

「空野」
「な、何?」
「俺はお前が好きだ」
「へ!?」
「だからさっき貰った友チョコじゃなくて本命チョコ狙いだ」
「………」
「無理か」
「む、無理じゃない!ただ…」
「ただ?」
「チョコ…お弁当とか友チョコとかの袋と一緒に置いたまま逃げ出しちゃったから…」
「屋上か」
「うん、」
「なら戻るか。まだ昼休みも残ってるしな」

 言い終えると同時に剣城は踵を返して歩き始める。後を追おうと踏み出した葵の手をとても自然な動作で掬ってみせて、恥ずかしさと嬉しさで何も言えない葵の抵抗など端から受け付けないつもりなのだ。このまま屋上に辿り着いて、まだ皆が残っていたら自分は彼等の前で本命チョコを渡すことになるのだろうか。それはそれで凄く恥ずかしい。だけどもう、繋いだ手を振り解いて逃げる気力も意思もない。
 それよりも。
 剣城がくれた告白への解りきった返答を、チョコと一緒に手渡す勇気を蓄える方が短い時間の有効な使い方だ。
 葵がその勇気を振り絞った時、降ってくるのは剣城の照れたぎこちない笑みと、大切な幼馴染と仲間からの祝福だ。



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伝える言葉はただひとつ
Titleby『Largo』



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