※拓茜要素有 水鳥のクラスが本日家庭科で調理実習を行うことを、蘭丸は今朝の朝練後部室で交わされていたマネージャー同士の会話で初めて知った。調理実習はどのクラスも昼休み前の二時間分を使用して行う。蘭丸のクラスは来週だ。因みに水鳥と会話していた茜のクラスは先週既に調理を終えているらしい。 今日は調理実習で親子丼を作るから昼飯を持ってこなかったと蘭丸の耳に届く声量で話している水鳥は彼の存在など微塵も感じ取っていない。一応、蘭丸と水鳥は付き合っているのだけれど。それでも、恋人同士という事実は彼女の中にある蘭丸への恋を認めるという作業であり、友情と恋情を天秤に乗せるのとはまた違うのだろう。現に今日一日だけで見るならば、蘭丸は朝の挨拶をするだけしか水鳥とは言葉を交わしていないのだから。 「霧野もそう思うっしょ?」 露骨な視線を送るのは避けたものの、意識は全て水鳥の方に向いていた。その為、隣で浜野と速水が盛り上がっていた話題をすっかり聞き落としていた。正直に聞いていなかったと返せば、浜野は不満そうに口を尖らせながらもまた説明してくれた。どうやら此方も話題は調理実習に関してのようだ。 「好きな子に調理実習で作ったもの差し入れされたら嬉しいよなって話!」 「俺は親子丼を差し入れする女子は嫌だぞ」 「今回は!親子丼だけど!クッキーとかおにぎりとかなら嬉しいだろ!」 「まあ、そういうのなら…」 「そんなこと言って霧野君は瀬戸さんが作ったのならなんでも良いんじゃないですか」 「速水!?」 「あー、そっかあ、愛妻お手製なら親子丼でも構わないか!」 「うるさいぞ浜野!」 思ってもいなかった速水からの攻撃に、蘭丸は上手く対応することが出来ずに気恥ずかしさで声を荒げるしか出来なかった。そうして最終的には水鳥に何騒いでるんだと胡乱げな目で見られ、神童からは早く着替えて教室に行けと怒られた。納得行かないと原因である浜野と速水を睨めば二人は乾いた笑いを返してそそくさと自分のクラスへと逃げ帰って行った。 結局今日は水鳥と一度しか会話していない。それもおはようの一言。水鳥が調理実習ならば昼ご飯は調理室でそのまま食べるだろうから昼休みを一緒に過ごすのも無理そうだ。となるともう放課後の部活まで会えないのだろう。調理室や美術室のある実習棟は普段の授業を受ける教室とは建物が違うし、蘭丸のクラスに本日移動クラスはない。 普段から彼女との接触を意識している訳ではないが、実際会う可能性はないのだと思うと気張る必要もないのか。普段は生真面目な幼馴染の影響もあってかしゃんと伸ばされている背筋がだらしなく折れて、教科書は机に立てて手は頬杖をしてシャープペンなど握りもしない。窓から見える空の青さにぼんやりと意識を奪われたり。 そんな蘭丸の姿を、先日の席替えにより彼の斜め後ろに座っている神童はやや呆れた顔をしながら見守っていた。あれで一応勉強は出来ているし、毎度のことでもないので注意する必要もない。そんなに水鳥に会えない数時間が無価値なものかとも思うが、自分の価値観に照らし合わせて見てもどうにもピンと来ない。何せ神童の恋人は、離れている間にあったことを持ち歩いているカメラに収めて時折彼にこんなことがあったのだと報告してくれるから。ならば神童もなるべく彼女に自分のことを話そうと心掛けるから、彼女との接触の有無を理由に気を抜いたりすることはなかった。その点、水鳥は積極的に自分のことを蘭丸に話し聞かせはしないのだろう。印象に残ったことを話題にしても、それは蘭丸だけに聞かせたい話ではないから、仲の良い茜や他の部員でも聞けば話してくれるだろう。 「好きな奴に割く時間って増やせないもんだな」 いつか蘭丸が神童の前で呟いた言葉が、彼の意外な独占欲の表れだったのだと、今になって神童には理解出来た。変わらない水鳥の姿が好ましくもあり、寂しくもあるのだろう。 ――まあ頑張れ。 授業中であるが故声にすることの出来ない声援を蘭丸の背中に送り、神童は少し遅れ始めていた板書の書き写しに集中することにした。 「霧野!昼飯一緒に食おうぜ!」 「瀬戸?」 「あたし以外の誰に見えてんだよ」 「いや、調理実習だったろ?」 「あれ?あたし霧野に言ってたっけ?」 「朝山菜と話してるのが聞こえてた。たぶん部室にいた連中みんなに」 「うわー、マジかよ」 声デカいのかと片手で口元を覆う水鳥に、蘭丸は上手い切り返しを出来ずに黙り込んでしまった。約束もなく彼女から蘭丸の下を訪れたことに、多少動揺している所為もある。 昼休みに入った途端、教室を覗き込んで蘭丸を呼び出す水鳥に、彼のクラスメイトはもう慣れきっていた。一緒に昼食を食べようとしていた神童も苦笑ひとつで早く行ってこいよと送り出してくれた。 連れてこられたのは水鳥の教室で、調理実習後そのまま昼食になだれ込んでいるそこにはひとりも生徒はいなかった。ただ、水鳥の机の上に置かれた丼だけがやけに存在を主張していた。 「これあたしが作ったんだ」 「それが昼飯だろ」 「そ、霧野の弁当と交換しようと思って」 「何で」 「だって霧野、あたしが作った奴食べたいんだろ?」 「はあ?そんなこと言ったか」 「言ってたじゃん、朝、部室で浜野とかと話してた」 「……あ、あれは――」 蘭丸が話していたというより、からかわれていたという方が正しい。その上水鳥本人に「瀬戸さんが作ったものなんでも良い」という速水の言葉を蘭丸の意見だと思われているようだから恥ずかしいったらない。間違ってはいないけれど。直接彼女への希望や気持ちを打ち明けてもいないのに気を回されるのは、ちっぽけな蘭丸の男としての自尊心を刺激して落ち込ませる。 だが意地を張って水鳥の好意と手料理を突っぱねるのも虚しい。大人しく手にしていた自分の弁当を彼女に手渡して、蘭丸は彼女の椅子に座った。 「あんまり部室ででかい声で話さないようにしないとな」 「…?霧野は普段から声でかくないじゃん」 「でも今朝の会話は山菜と話してたお前にまで聞こえてたんだろ」 「ああ、だってあたし聞き耳立ててたし」 「は?」 「彼女がいるくせに、女の子から差し入れされたら嬉しいなんて聞き捨てならない話題で盛り上がってたみたいだからさ」 「なっ、盛り上がってない!」 思わず声を上げても水鳥はさして気にもせず蘭丸の弁当を食している。脱力して、蘭丸も大人しく水鳥お手製の親子丼に手を着ける。少し冷めているそれは、普通に美味しかったのだが食事中にお互いべらべらと喋るタイプではないのではっきりと褒められず、蘭丸は黙々と箸を進めた。水鳥は、蘭丸宅の唐揚げがお気に召したらしい。 「ごちそうさま」 「ごちそうさま!どうだった?」 「ああ、美味かった。ありがとう」 「ん、霧野は来週だろ?そん時はあたしに差し入れてな!」 「…はいはい」 運動部の中学生男子の為に作られた弁当を綺麗にたいらげて、水鳥は笑う。 今日は珍しいこともあったと、満たされた腹で鈍った意識で水鳥を見つめる。部室での話を聞かれていたこともそうだけれど。 ――俺、結構気にされてるんだなあ。 そう思えば、何だか凄く幸せな気がしてくる。初めての彼女からの手料理が親子丼なんて色気は全くないけれど。誰かさんの言う通り、蘭丸は水鳥の作ったものなら何でも喜んで食べるだろう。それが、自分だけの特権と知っているから。 ――――――――――― みどりの星に焦がれ悩みて Title by『ダボスへ』 |