綺麗なものはいつだって写真に残しておきたかった。汚いものはいつだって自然と心に残っているものだから。
 空、海、建物、人物と様々な写真が収められたアルバムを丹念に眺めながら、蘭丸はどれも自分の知らない景色ばかりだとしみじみ納得してしまった。だってこの写真を撮ったのは自分ではないのだから。
 ――ねえ、空の向こうに何があるか知ってる?
 空を指差しながら尋ねてきた茜に、宇宙だろうと迷いなく答えてしまった自分は短慮だったと、今ならば思う。こうして彼女が撮り溜めた写真を見る度にその念は強くなる。
 茜の、どこか遠くに憧れる癖を蘭丸が理解した時。それは自分の感性が一切彼女と寄り添わないと理解したのと同時だった。神童拓人という、蘭丸にとってもかけがえのない存在に憧れていた茜が、この気持ちは決して恋ではないと蘭丸に言い切った時、彼女は同時に忘れられない言葉を寄越した。
 ――綺麗なものは写真に残しておくの。汚いものはそんなことしなくても消えないから。
 それからも、微妙に細部やニュアンスを変えながら茜は度々この言葉を口にした。そして蘭丸がこの言葉の意味を理解したのは、少なくとも初めてこの言葉を聞いた時、彼女の言う綺麗なものとは神童のことであったのだと気付くには、かなりの時間が過ぎた後だった。
 綺麗なものと称された神童と、茜よりも多くの時間を過ごして来た蘭丸には、彼の長所も短所も知っている。一時は硝子みたいに脆くて、今以上に緩い涙腺をあっさりと崩壊させて泣いていた。いつからか彼は逞しくなった。蘭丸に励まされることはあっても、慰められることはなくなる程に。そんな変化を迎え始めた頃、茜とも出会ったのだ。
 彼女の目には、どんな風に映っていたのだろう。それ以前の神童と、変わっていく神童。そしてそんな彼のそばに居続けた自分は。尋ねれば、茜はきっときっぱりと自分の記憶を手繰って教えてくれるのだろう。いつしか神童ばかりを写していたカメラに、彼以外の存在が入り込んだのも同時期だ。

「霧野君、今日はあの頃の写真ばかり見てるね」
「――、ああ」

 茜の部屋に転がり込んで、写真を見せてくれないかと頼んだのは蘭丸だ。お好きにどうぞと示された本棚にきっちりと並べられているアルバムの背には写真が撮られた年月日のシールが貼られていて、初めて見たときは彼女は意外に几帳面なのかと驚いたものである。
 その中の、割と前半のアルバムを手に取って開いて眺めていると、思った以上に時間が過ぎていたらしい。お茶を淹れてやってきた茜は蘭丸の手元を覗き込んで懐かしそうに破顔してみせた。
 蘭丸が見ていた、中学時代に撮られた写真が納められたアルバムにあるのは大半がサッカー部で撮ったものだった。だから、蘭丸にとっても懐かしい。物によっては当時写真を撮った際の状況まで思い出されるのだ。
 今より少し幼い自分と、仲間たち。どれをどう見ても懐かしいとしか言えなくて、蘭丸は一度たりとも彼女に写真の感想を述べたことはない。他にも、ちらほらとサッカー部以外の風景写真も見受けられた。見覚えのないそれらは茜がサッカー部以外で触れた日常で、蘭丸が知りたいとも思わなかった他人としての距離がある。
 神童ばかりを見ていると思っていた彼女が投げた視線の先には、実際彼以外のものが存在している時間の方が多いなんて単純なことにすら気付けなかった蘭丸が、このアルバムを通して浮き彫りになって来る。馬鹿だなあと諫めるには、今の自分はあの頃の願いを十分に叶え過ぎている。だからそっと、お前はそのままで良いよと写真の自分に触れた。
 空の向こうには夢がある。茜が言った数々の言葉が、決して寄り添えないと思った蘭丸と彼女を繋ぎ止めた。茜が夢と指差した人は、神童だったり、松風だったり。あの頃の仲間の何人か。眩しいねと構えたカメラのシャッターを切る彼女の横に佇みながら、蘭丸は違いないと頷いた。
 凡人だった。少なくとも蘭丸は自分のことをそう評価した。比重はサッカーによる所が大きい。誰かは違うと言うだろう。あのサッカーの名門校である雷門のレギュラーであったのだからと。確かに、一般がどこからか弾き出した平均とやらは上手かったろう。しかしそれを超えていて初めてスタートラインに立つ。気後れしたことはない。自惚れでもなく、足を引っ張ったつもりもない。リーダーシップとはいかずとも視野は広い方だったし、面倒見も良かった。不満も悔いもない。ただそれ以上を目指せなかったことが、蘭丸の限界だったのだろう。
 高校卒業を機にサッカーを辞めると決めた蘭丸に周囲は様々な反応を示した。疑問もあれば惜しむ声もある。そんな声に、蘭丸はもう満足したからとしか返せなかった。だが微笑みながら何も言わずにカメラを構えて見せた茜に、蘭丸は思わず「凡人だから」と自虐的な言葉を漏らしていた。

「霧野君は普通だよ。私と一緒」
「山菜と?」
「シン様やみんなを、綺麗な物を見つめ続けるには少し離れなきゃ眩しくて仕方ないでしょう?」
「――ああ、そうかもしれない」

 妙に納得した瞬間に鳴ったシャッター音。目の前で「これでお終い」と微笑む茜。今までのサッカーをしていた間の記憶がぽつりぽつりと浮かび上がって、まるで走馬灯のようだと思った。
 そうして全てを振り返り終えた時、やはり目の前で微笑んでいる茜に蘭丸は好きだと告げた。今思えばどんな告白だと思うのだが、その告白を受け入れた茜自身が何も言ってこないのだから問題あるまい。

「…神童ばっかりだな」
「ヤキモチ?」
「いや、神童にだけは妬かない」
「ふふっ、凄い自信」
「そうか?それにしても、この棚にあるアルバムは何度か見たけど、当然だが山菜は全然写ってないし、俺もあんまり写ってないな」
「私が撮った写真しか入ってないから。それに言ったよ。綺麗なものは写真に残しておくんだって」
「俺たちは汚いのか」
「ちょっと違う」

 眉を顰めてしまった蘭丸に、茜はお茶の入ったカップを両手で持ちながら、どの言葉なら彼を納得させられるか思案する。
 綺麗なものは写真に残しておけばいい。手に入らなくとも、綺麗ならば鑑賞だけでそれなりに満足出来るから。だけどどうしても手に入れたいものは、写真などで満足してはいけないのだ。汚いとは言葉が悪いけれど。茜にしてみれば汚いと呼んだものの方にこそ執着がある。今、こうして一緒にいる蘭丸に対してもそう。

「霧野君とは、写真に残して置かなくてもいいことが多すぎるから、これからもあんまり撮らないと思う」
「………」
「写真はいらない。鑑賞用の霧野君なんて意味ない」
「そういうこと言うと喜ぶぞ」
「どうぞ?」

 今度は眉を顰めながらも照れる蘭丸に、茜はこそばゆい気持ちになる。執着はきっと綺麗なものではないだろう。曖昧にぼかしたとはいえしっかり伝わった筈の気持ちを霧野は喜ぶと言った。だから茜はこれからも霧野の隣で彼をレンズに映すことなくシャッターを切り続けるのだろう。
 綺麗なものは写真に残しておけばそれだけで良い。本当に大切なものだけが傍に在れば、一瞬心惹かれたものなど直ぐに無価値に変わる。
 蘭丸にとっては茜が。茜にとっては蘭丸が。たった一つ奪われたくないと知っているから、これからもこの部屋の写真は増え続けるのだろう。綺麗で眩しくて、どうでも良いものを二人で笑いあって眺める為に。


―――――――――――

奪われたくないもの
Title by 夏空様/15万打企画




「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -