※マクリカ+一之瀬


 心の整理をする時間が必要なのだとリカが言った。恋とは彼女の中でとても重要な位置を占めていて、それによって彩られた心を新たな恋で塗り直すならば、またまっさらな状態に心を戻すのが望ましいのだと。だが連続する記憶を日々更新しながら生きている人間にとって、一度根付いてしまった記憶を捨て去るのは難しい。仕舞っておくことは出来ても、捨て去ることはきっと出来ない。
 マークがなんやかんやと考え込んだ所で、リカは自分の言葉を撤回することなど有り得なかった。彼女は出来る出来ないよりも、やるかやらないかを重視する。勇ましいことこの上ないが、そんなだから叶わないとわかりきった恋に長い時間を費やしてしまったのだろうかとは、マークにだけは言えない真実だった。
 リカがマークに一度さよならをしようと告げた時、二人は友達以上、恋人未満という、一番心地よくて厄介な状態だった。一つ前の恋の傷を、リカが漸く瘡蓋にし始めた頃、マークは彼女に好意を伝えるのを憚るようになった。傷心からずるずると流れる時間に寄り添って想いを告げるのはつけ込むようで。叶わなくても良いから想わせてと、彼女が永遠の片思いとも呼べる恋をしていた頃に告げていたことも、見ようによっては卑怯だったかもしれない。ただ、マークを一切異性として認識していなかったリカを前にすることがあまりに苦痛だったことも相まってうっかり零れてしまったというのが正しい。
 結果として、マークの気持ちを知ってからのリカが、恋しい相手を追う視線を時折彼の方に向けてくれるようになったのだから、そこに喜びがない訳はなかった。
 時間が流れて、リカがわかりきっていた失恋をして。マークはただリカの傍にいた。それは彼の自己満足で、彼女がどう感じていたかなんて全く気にかけなかった。
 それがいけなかったと言われてしまえば、それまでだった。

「いきなり音信不通ってのは酷かったよ」
「せやなあ、まあ、ウチも大分ギリギリんとこで堪えとったから、極端ではあるとは思ったけど、間違っとるとは思わんかったんよ」
「マークったら凄く落ち込んじゃってね。おかげでサッカーしかすることないじゃない?以前にも増して上手くなったよ。皮肉ったらないよね」
「そう?それはそれでええことやん」

 今、リカの前に座っているのは一之瀬だ。彼女の恋を一気に咲かせて、そして緩やかに枯らしていった彼。
 マークの前から、リカが姿を消して連絡すら取れなくなってから過ぎた時間を、一之瀬は数えていない。それでも彼女を探して遠路はるばるやってきたのは、単にマークの為だった。あの落ちこみっぷりは見ていて辛い。何もないと表情を取り繕うことだけは達者だから、猶のこと。
 久しぶりの再会は、一之瀬が暮らしているアメリカでも、リカが暮らしていた大阪、ましてや日本ですらなかった。
 ――イギリス。日本から遥か遠くにあるそこにリカはいるのだと一之瀬に連絡をくれたのは、中学時代から彼女と親しかった塔子だった。予想だにしなかった言葉に、彼は思わず「ブリテン?英国?UK!?」などと取り乱して塔子の機嫌を損ねた。彼女としては、一之瀬にだけはリカの所在を言いたくなかったらしい。じゃあ誰なら良かったのだとは尋ねない。教えたくなかったことは、元来教えなくとも良かったこと。そして教えなければならなかったのならば、それを届けたい相手が、塔子の傍にではなく一之瀬の傍にいるからなのだろう。
 だから一之瀬は、塔子に何を言われなくとも大丈夫だと頷いた。ちゃんとマークに伝えておくからとは言葉にしなかったけれど、きっと十分に伝わったことだろう。
 一之瀬が一番苦労したことと言えば、如何にリカがいるからという動機を隠してマークをイギリスまで連れて行くかということだった。別に明らかにしても良いことだけれど、リカが姿を消してしまった理由も知らないまま勢いだけで突撃してしまえばまた同じことを繰り返すだけだと思えた。だから、マークを待たせて先にリカと話したかった。ただそれすらもマークに説明して納得して貰うには、自分という存在は清らかではないのだろうと一之瀬は自覚している。何せ、彼の恋の障害は自分だったのだから。
 塔子に頼んで事前に会う約束を取り付けて貰えば彼女からもリカからもあっさりと了承されて、やっぱり嫌われたから離れた訳ではないのだろうと一之瀬は安堵する。肝心のマークは口八丁手八丁に丸め込んだ。独身同士旅行に行こうだの昔のサッカー仲間から遊びに来いって言われただの、大英博物館に興味があって兎にも角にもイギリス行こうよと迫ればマークは気圧され気味に頷いた。金に不足はなかったので、都合さえ良ければ行けないはずもないので、一之瀬の熱には首を傾げる所もあったがぽんぽん進む話に水も差せずにイギリスまでやって来てしまった。サッカー以外で来るのは初めてだった。

「マークも来てるんだけど会ってくれないかな?」
「会うだけでええの?」
「………」
「一之瀬は変なとこで分かりやすいなあ」
「…一之瀬、ね」
「もうダーリンとは呼ばへんよ。整理は終わったし」
「その為に必要な距離だった?」
「そんなとこ」

 イギリスに着いた途端、マークをホテルに置き去りにして一之瀬はリカと待ち合わせをして会っている。ホテルからも近いカフェなので、今電話すれば土地勘がなくともホテルの従業員辺りに道を聞けば直ぐに来れるだろう。
 しかしマークを呼び出して良いものか。その判断を下すのは、一之瀬ではなくリカだった。以前より飄々として掴みどころがなくなったような印象を与えるリカに、女の子とは大概こんなものかもと思い直す。
 言葉の切欠を探すように黙り込む一之瀬を見つめながら、リカはではこちらからと口を開く。

「マークは何か勘違いしとるかもしれんけど、」
「ん?」
「ウチはこっち来る前からマークのこと好きやったよ」
「それなのにこんなとこまで来たの?」
「ウチの想いは距離如きじゃ揺らがんって知っとる?」
「ええ、はいそれはもう」
「墓穴…」

 テンションの儘に一之瀬の言葉を殺し続けたリカはもういない。だがこうして冷静に向かい合ったとしても自分は勝てないのだと一之瀬は苦笑する。その笑みに、リカらしいにんまりとした笑みで応えたリカは「ほな、そろそろ行こか」とテーブルに手を着いて立ち上がった。

「どこに?」
「マークに会いに。直ぐそこのホテルにおんのやろ?」
「えっ、会うの?」
「えっ、会わせに来たのと違うの?」

 予想だにしていなかったリカからの行動に、一之瀬は間抜けな言葉ばかりを尋ねてリカを呆れさせる。
 正直、嫌われてないとはいえ、長らく距離を置いた事実は拭えない。多少の気まずさがまって然るべきと、一之瀬としてはどうやってそれを拭ってあげるべきかばかりを考えていた。なので、彼女のあっけらかんとした態度と行動は意外としか言いようがなかった。

「今まではマークにばっかり傍に来て貰っとったから、たまにはウチから会いにいかんとな」
「怖くないの」
「ん?マークがもうウチのこと好きじゃないかもとか?」
「…うん」
「そんならまた好きになって貰えるよう頑張って恋するだけや!」

 迷いなど微塵もないと笑っているリカに、一之瀬は安堵すると共に一つ嘘を吐いた。マークがもうリカのことを好きじゃないかもしれないだなんて、億に一つも有り得ないと知っているのに。
 初めから、何の心配もいらなかったのだと、一之瀬は理解する。リカのこのマークへの想いの許容と審らかにする為に必要な距離があって、それ故の別れには、人それぞれに思うところがあって。マークが悲しんだという事実はやはり消えない。それでもこの先に待っている結末と始まりは悲しみよりも喜びに満ちている筈だから、一之瀬はもう何も言わない。
 リカに自分たちが泊まっているホテルの部屋の鍵を渡す。不思議そうにそれを受け取るリカに、今日はマークと自分は別行動だとの旨を伝えてそれじゃあと歩き出す。お幸せに、なんて言葉を贈るにはまだ早くて。だからおめでとうなんて気の早い言葉を残して、一之瀬は大して馴染みもないイギリスの街中をひとり歩き出した。


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ありふれた愛育
Title by『告別』



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