※高校生設定で木春が同じクラス


 春奈が職員室から配布物を受け取って教室に戻って来ると、何やら後ろの方が騒然としていたので、近くにいた級友に事情を尋ねれば「いつもの」と手短に答えられた。春奈も成程と頷いて、手にしていたプリントの束を数えながら一番前の席の人の机の上に置いて行く。次の授業で使うプリントなので、休み時間終了のチャイムが鳴ってしまう前に配っておくようにと言われていた。回すのは席の生徒が戻ってからでも問題ないからと人仕事を終えて、未だ騒ぎが収まっていない教室の後ろに向かって歩いて行く。単に春奈の席がそちら側だったというのもある。自ら率先して問題ごとに首を突っ込んでいく無鉄砲さは中学卒業を機に卒業したつもりである。
 だが、ことの次第を見守っていた生徒が春奈の接近に気付いて助かったと言いたげな表情を浮かべた瞬間、春奈はああ巻き込まれるのだと即座に腹を括った。それこそいつものという単語を聞いた時点で春奈の習慣ともなった行動は予期されていたのだから。

「木暮君!」
「うわっ、なんだよいきなり怒鳴るなよ!」
「これ、没収だから」

 騒ぎの中心にいながら春奈に背を向けていた木暮の後ろに立って思いっきり怒鳴りつけてやればその気配を全く気付けていなかった彼は大袈裟なほどに肩を揺らして驚いて見せた。無防備になったその隙をついて、春奈は木暮が手にしていたおもちゃを奪い取った。中学生の頃は春奈も随分と餌食になった蛙のおもちゃである。
 手癖が悪いのか、木暮は高校生になった今でも時折級友にこうして悪戯をけしかけては今回の様にちょっとした騒ぎを起こす。出会ったばかりの頃とは違い誰彼構わずという訳ではない。つまるところ、彼がそれだけこのクラスに馴染んで心を許しているが故の行動であるのだが、そんな木暮の心境の変化を察しているのは付き合いの長い春奈だけである。よってクラスの主に女子からであるが木暮のあだ名は悪戯小僧となっている。
 今回木暮の悪戯の犠牲になった女子生徒は散々木暮に食ってかかっていたようだが、春奈が彼の玩具を没収したことで幾分気が晴れたらしく、次はないわよと物騒な台詞を残して自分の席に戻って行った。

「なあ、返してよそれ」
「ダメよ、少なくとも今日一日は私が預かるから」
「なんだよ先生みたいなこと言っちゃってさ」
「大体木暮君、女子は爬虫類とか本当に駄目で泣きだす子だっているのよ?」
「蛙は両生類だけどね」
「揚げ足取らない!」
「大丈夫だよ。俺こないだアイツが掃除中蛙を叫びながら箒で追い払ってるとこ見たもん」
「それは苦手ってことでしょ?」
「泣きはしないってことだよ」
「そういう問題?」
「お前がそこを問題にしたんじゃんか」

 級友等に夫婦喧嘩と称される、二人にとってはいつも通りの言い合いをしながら席に着く。窓際から一列目に列目の一番後ろという隣同士の席である木暮と春奈は顔を見ずに次の授業の教科書を机から取り出しながらじゃれあうように会話に興じている。本人に言っても決して認めないだろうから誰もが口を噤んでいるけれど、二人とも表情からして優しいというか、楽しいというか、相手が相手だからこその顔をしているから会話に割り込むなんてことは出来ないのだ。
 春奈は木暮から没収した蛙のおもちゃをまじまじと観察する。悪戯用の玩具にしては妙なリアリティのあるそれに、思えば春奈も昔は散々な目に合わされてきたものだ。今では耐性が付いたのか、単に木暮の悪戯の標的から春奈が外されてしまったのか、この蛙をいきなり手に乗せられても昔のように絶叫することはないだろう。それが、この教室内ないし学校内で誰よりも彼女が木暮との付き合いが長いという証明でもあった。

「……そういえば木暮君、高校に入ってから私には全然悪戯してこないよね」
「それが?」
「別に…。ただ何でかなって思っただけ」
「理由なんて別にないよ。他の連中のほうが良いリアクションするしね」
「ふうん、」

 木暮の尤もらしい言葉に、春奈は正直面白くないという感想を抱いた。床を滑りやすいように細工したり、食事にタバスコを大量に投下されたり、人の席に音の鳴るクッションを仕込んだり、はたまた蛙の玩具で驚かされたり。春奈が見てきた、被害にあって来た木暮の悪戯を思い起こした所で、別に感慨深い個所などひとつもありはしない。寧ろあそこでああしておけば回避できたのではないだろうかというもしもばかりを思っては、自分の迂闊さに歯を噛むことすらあるというのに。
 自分よりも他の人が良い。そんな木暮の言葉に、寂しさを覚えてしまうのは、きっと無関係な人を木暮の悪戯の餌食にする訳にはいかないなんてお姉さんぶった義務感の所為ではないのだろう。
 では、何故。
 そんなことは、周囲が自分と木暮に抱くイメージを心得てさえいれば、直ぐに想像がつく。夫婦みたいなんて言われて、そんなことはないと言いながらも相手が木暮だからなんてことを理由には絶対しなかった。それは、ほんの少し、周囲の言葉通りの未来を期待して、せめて現在を共に在れたらという無意識な願望がそうさせた。付き合いの長さという言い訳はとても心地の良い隠れ蓑として春奈の心を覆っていたのだ。
 それって、つまり。

「私って、木暮君のことが好きってこと…?」
「――?何か言った?」
「…!言ってない!なんにも言ってないわ!」
「何焦ってんの?」

 うっかり声にしてしまった答えは、幸か不幸か木暮ははっきりと聞き取ることが出来なかったらしい。思わず動揺して、春奈は何でもないと机の上の蛙を木暮に向かって投げつける。至近距離だったが、見事な反射神経でもって蛙をキャッチした木暮は、突然の春奈の暴挙に驚いて目を見張る。怒っている気配はしないものの慌てた様子で声を上げている春奈の言動に、つい直前まで会話をしていた木暮には何の心当たりもないのだ。
――まあ、昔からころころ表情の変わる奴だったしな。
 そういう所が、割と好ましかったのだと、木暮は自分の机と睨みあったまま俯いている春奈に追い打ちは掛けまいと前を向いて椅子に座りなおす。横目で見る春奈の頬は紅潮していて、やはり木暮にはその理由は分からなかったけれど、一先ず、事情を尋ねるのは止めておいた。
 そんな木暮の気遣いを知ってか知らずか、春奈は今更自覚した己の恋心に膨大な羞恥心が湧いて来て堪えるのに精一杯になっている。今までの木暮との時間の中で、好きな相手に女としてどうだろうかと思われる言動がなかっただろうかとか、あんなことがあったのに好きだと自覚できなかっただなんて等々、一度真実に辿りついてしまうと、過去における様々な点がまるで現在への回収できなかった伏線の様に明るく理解できるようになるらしい。
 隣の席の木暮をちらりと盗み見れば、彼はもう前を向いて座っていて、春奈の様子を伺ってはいなかった。それにほっとして、春奈もしっかりと上体を起こして前を向く。もうとっくに休み時間終了のチャイムは鳴っていて、みんな席に着いて教師が来るのを待っていた。
――もう少しだけ、仕舞っておこう。
 静かに落ち着き始めた教室の雰囲気に合わせるように、春奈も混乱しきっていた心を落ち着けようと一度大きく息を吐いた。漸く見つけ出した恋心には申し訳ないが、もう少しだけ胸の内に仕舞って、眠らせておきたいと思った。卵から孵るように産声を上げたそれは、まだ弱々しくて柔らかくて、少しの衝撃にも泣き出しそうなくらい脆いものだから。相手に伝えるには、まだまだ覚悟が足りな過ぎる。
 だけどいつかは必ず伝えよう。殻を割って孵った気持ちを無かったことにするだけは絶対に出来ないことだから。
――覚悟しておいてね、木暮君。
 心の内で念じた言葉は、ぼんやりと前を見ている木暮には届かない。それでも、いつか自分が好きだと言ったらきっと彼は驚くのだろうと思うと、まるで悪戯が成功した子どもの様にわくわくと胸が弾んで、春奈は一人微笑んで、緩く上がる口角を見つからないようにと隠したのだった。


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かえるのきもち
Title by チノ様/15万打企画




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