もう何時間、無言を貫く背中に視線を送り続けたのだろう。夏未は自分を自転車の後部座席に座らせたまま黙々とペダルを漕ぎ続ける豪炎寺の意図が掴めずにそっと息を吐いた。冬の寒さによって白く色付いた息。バランスを崩さないように豪炎寺の手元を背中を反らして覗き込めば彼の手は容赦ない冬の外気に曝されて赤くなっていた。手袋をすれば良いのにという呆れは、自分の手に装着されている手袋が豪炎寺のものだと思い出すことによって消えた。

「――危ないぞ」
「平気よ」
「自転車に二人乗りしたことないんだろう。無茶はするな」
「何処へ行くかも教えてくれない、そんな人の後ろにただ座っているだけなんてそれこそ無茶だわ」
「…もう直ぐ着く」

 勿論、相手が豪炎寺というだけで幾分無条件に信頼してしまう自分を夏未はとっくに自覚していた。
 冬休みの年末年始、三が日まで部活すらに休みの学校に呼び出されたと思ったら、唐突に自転車に乗って現れて後ろに乗れと要求された挙げ句沈黙されても、その信頼が微塵も揺らがないことに夏未自身苦笑するしかなかった。長時間の移動と、端から夏未が自転車の荷台に乗ったことなどないと見越してなのか準備されていた座布団や、待っている間に冷えきってしまった手を見てそっと寄越された手袋だってとても嬉しかったのだ。行き先が見えない不安に邪魔されて、素直に礼を述べることは出来なかったが。
 運動部とはいえ、休みなしに二人分の重さを乗せた自転車を漕ぎ続ける豪炎寺が、夏未は段々と心配になってくる。普段車でばかり移動している夏未には、自転車の荷台に横向きに腰掛けながら見る景色は新鮮だった。一定のペースを保ちながら進む自転車に合わせて、目の前の景色が右から左へと流れていく。なかなか進まない車の横をすり抜けていく時は少し得をした気にもなった。
 安全の為に掴んでおくようにと言われた豪炎寺のジャケットに籠もる力が、夏未が視界に入り込む何かに魅入られる度に強くなる。豪炎寺に後ろに座る夏未の顔は見えない。だが微かに伝わってくる気配の数々が、彼女がそれなりに今を満喫していることを教えてくれる。だから豪炎寺は意識してペダルを漕ぐ速度を速まらないようにと調節する。遅すぎては自分が辛い。速すぎてはきっと夏未が色々と見落としてしまうだろう。

「…ねえ豪炎寺君」
「何だ、」
「やっぱり行き先は教えて貰えないの?」
「……」

 投げられた当然の言葉に不満の色はない。ただ生真面目な夏未のことだから、残り時間の予想も持たずに豪炎寺に全ての労働を任せておくことに申し訳なさを覚えるのだろう。きっと夏未には今自分たちがどこを走っているのかは解らない筈だった。それでも現在地より目的地を尋ねてくる夏未に、豪炎寺はそこに在る一緒に行くという意思を感じ取って自然と頬が緩む。隣町の更に隣町だなんて打ち明けたら、流石に憤慨されるかもしれないが。

「目的地は――、」
「これといってないんでしょう?」
「…!」
「やっぱりね」
「…すまない」
「一緒にいたいなら、最初からそう言ってくれれば良いのに。私は逃げたりはしないわよ」

 夏未に自分の意図が悉く見破られていると知って、豪炎寺は漸く自転車を漕ぐ足を止めて彼女の方を振り向いた。自転車の停止によって傾いた車体にバランスを取るのが難しかったのか、夏未は荷台から降りて豪炎寺と向き合う形を取る。
 小さく微笑んで、手袋に守られた右手を豪炎寺の頬に添えればゆっくりと彼の左手が重ねられる。どこか情けなく映る豪炎寺の笑みに、夏未は苦笑してしまう。そういえば、こんな至近距離で豪炎寺を見つめるのは随分と久しいと気付く。寂しさを押し止める堤防が決壊してしまったのは豪炎寺の方が早かったようだが、自分だって相当堪えていたらしいと夏未は冷静に自らの本音を受け止めた。もっと触れていたいだなんて、普段の夏未なら恥ずかしくて思考内であろうと素直には認められない。
 夏未の冷静さとは裏腹に、豪炎寺の内側は混乱や情けなさや羞恥心がぐちゃぐちゃに混ざり合って言葉を発することが出来ないほど騒がしかった。気持ちの乱れが顔に出るタイプではなくて本当に良かったと思う。
 一緒にいたいなら言えと夏未は言う。逃げはしないからと。では唐突に夏未を浚いたくなってしまったのならば、一体どうすれば良かったのだろう。閉じ込めたいとまではいかないけれど、夏未を見つめるのが自分だけであれば良いのにだなんて、長らく愛しい人に触れられなかっただけで抱く感情なのだろうか。初めての感情に戸惑うばかりで、上手く自己完結する方法も解らないままに夏未を連れ出したのは、ちょっとした検証と、最悪の場合の予行演習だったのかもしれない。何を検証したかったのかはやはり上手く言えない。だが夏未が自分の意図を見抜くまで、何やかんやと無抵抗に着いてきてくれたことは豪炎寺の薄暗い部分を確かに満たしてしまった。

「…たまに、夏未とだけ一緒に生きられればと思う時がある」
「………」
「子どもにしては大袈裟だろうし、大人だとしてもこういう考え方は良くないとは解るんだがな」
「それに不可能よね」
「そうだな…。比べるものでもないが、俺たちには大切な人が多すぎる」
「でも、私は豪炎寺君が好きよ」
「ああ、」
「だから、二人で一緒にいたいと思うことは、おかしなことではないでしょう?」
「そう思うよ」

 寄りかかるような関係は好まない。だが離れたくもないと心が叫ぶから、豪炎寺も夏未も、自分たちの口から零れる言葉がまるで依存の様だと思いながらも重ね合った手を解くことは出来ない。
 好きという理由があればそれだけで十分ではないかと夏未は思う。豪炎寺が抱き始めた暗さには気付けなくとも、今の夏未には自分の全てを彼に預ける覚悟がある。だって夏未は今自分がいる場所が何処かもわからないのだから、豪炎寺を信じきっているのが良いのだろう。
 また来た道を長い時間をかけて自転車のペダルを漕がなければならない豪炎寺の苦労を思うと、休憩という名を借りてまるで時間が止まったかのように見つめ合っていたいと願っているのは、実は連れ去られるようにやってきた夏未の方。
 もう夏未はとっくに浚われていたのだと気付かない豪炎寺は間違いなく幸せな愚か者だった。


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依存の口実
Title by ころ様/15万打企画




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