人の家の冷蔵庫を勝手に開けるというのはやっぱり良くない事だろう。だけど喉が渇いたし、秋は突然自宅を訪れた俺の為にお菓子を買いに出かけてしまったから、馴染みのよしみで許してもらおう。アイスコーヒーを取り出して、こちらも棚から勝手に拝借したグラスに注ぐ。ミルクも冷蔵庫の中に発見して少しだけ混ぜる。グラスを手に取ると思いの外生温くて、氷を足そうかと考えるけれど結構グラスぎりぎりまで注いでしまったから、それは無理のようだ。せめて少し飲んで分量を減らしてからでないといけない。そうその場で少しアイスコーヒーを口に含めば、微かな違和感にあれ、と首を傾げる。

「あれ、一之瀬君何してるの?」
「…、飲み物貰ってるよ」
「別にいいよ、リビングで飲めばいいのに」
「ねえ秋、これ無糖?」
「そうだけど?」
「うわー、俺微糖派なんだよ」

 絶妙なタイミングで帰宅した秋は、ついでにおばさんに頼まれていたのか、お菓子を買って来たにしては大きい袋を台所のテーブルの上に置く。その中から僅かに覗く新しいアイスコーヒーのラベルには無糖の文字。もう一度グラスに口を着ければ、やはり舌が感知するのは普段よりも強めな苦味。砂糖が僅かに入っていないだけでこんなにも違うのか、それとも俺の舌が群を抜いて幼稚なのか。出来れば前者であって欲しい。
 秋は俺が微糖派だという情報を得てもこの家の冷蔵庫には関係ないことと思ったのか、買ってきた品々を机に出してレジ袋を綺麗に畳んでしまっている。エコバックを使おうよ、と以前言ったらスタンプカードのあるお店に行くとあらかじめ決めている時はそうしていると言われた。主婦みたいなこと言わないでよ、と茶化せばじゃあ一之瀬君は生意気盛りのわんぱく坊やかしら、なんて言うから、そこは旦那さんってことにしておいてよという軽口すら挟むタイミングを逸したのを覚えている。今もそう、グラスの半分以下まで飲んでしまったアイスコーヒーに砂糖を入れるタイミングを、俺は完璧に逸してしまっているのだ。

「秋ってコーヒーブラックだっけ?」
「?そんなことないよ。一之瀬君ほど甘くもしないけど」
「俺だってそんなに甘くはしないよ」
「砂糖とミルクの消費が激しい癖に」

 俺は結構口数が多いのだけれど、最近では秋には口で勝つことはなかなか難しい。秋はそれほどやかましい性格ではないけれど、含みを持たせるのがうまい。そんな物言いをさせるような挙動をしているのは、まあ俺自身で、無意識に甘え切ってしまっているのだと言い負かされた後に気付くのだ。
 例えば、秋の家族はあまりコーヒーに砂糖とミルクの両方を混入させる人はいない。どちらかを少しずつ。だからアイスコーヒーだって無糖なのだろう。だけど、食器棚の片隅に置かれているスティックシュガーの量はいつだって過疎化することなく充実している。それは、きっと俺の所為なんだろう。しょっちゅう秋の家にやって来てはコーヒーやら紅茶に砂糖やミルクを要求しているのだから。甘党ではないのだが、どうも舌に強烈に残る味は苦手だ。秋はコーヒーも紅茶もそんな後味は酷くないだろうと言うが、一度気になりだすとなかなか止まらない。結果として、俺は秋の家の砂糖とミルクをやたらと消費しているのである。

「持ち込みして置こうかな」
「…?何の話?」
「微糖のアイスコーヒー置いといちゃだめ?」
「ダメ、冷蔵庫にそんな余裕ないもの」

 冷蔵庫に買ってきた品を詰め、整理しながら秋はそっけなく俺の意見に却下を出す。段々と俺のあしらい方がうまくなって来たと土門は感心していたけれど、俺からすればこれは由々しき事態だ。とはいえ俺と秋の関係が初々しかった頃などあったっけ?幼い頃から傍にいたから、当り前と化した日常はやけに俺達の鼓動を落ち着けてしまったのかもしれない。

「今日の夕飯何なの?」
「食べていくの?」
「聞いただけだよ」
「オムレツだって。…食べていけばいいのに」

 秋の言葉の匙加減はなかなか絶妙だ。甘やかさないけど、優しいんだと思う。グラスに残った僅かなアイスコーヒーを一気に飲み干して、もう一度無糖のそれをグラスに注ぐ。今度は氷も入れたいから、丁度いい量で止める。さっきよりも少しミルクを多めに入れてかき混ぜながら、やっぱりこれでもまだ苦いだろうかと思い食器棚のスティックシュガーを見る。

「アイスコーヒーに砂糖って入れていいのかな?」
「んー、溶けないんじゃない?」
「そうかな」

 ならもう少しミルクを足そう。スプーンでグラスをかき混ぜていると秋がちらりと俺の手元を見て「薄い」と呟いた。俺は「濃いよ」と返したら色の話だと呆れた顔で言われた。成程、当初黒かった液体はミルクの影響を受けて見事に薄い茶色に変貌を遂げていた。いいじゃないか、こちらの方が美味しそうだ。
 隣で秋が俺と同じようにアイスコーヒーをグラスに注ぐ。ミルクいる?と差し出せば大丈夫、と微笑んでそのままブラックで飲む。世の中にはこうしてアイスコーヒーを飲む人間なんてごまんといるだろう。それでもまさか俺の隣で俺の一番大切な彼女がそうするとは少し予想の範囲外だった。なんだろう、見た目はいつも通り可愛い秋なのに、コーヒーをブラックで飲むというだけで妙にかっこよく見えてしまうというのは俺の幼稚さだろうか。
 男として、やっぱり悔しいので、明日からコーヒーや紅茶に入れる砂糖とミルクを少しずつ減らして行こう。突然ブラックを飲むのはやはり難しい。苦いのは好きじゃない。だけど、そんな俺の横で、俺の好きな彼女は平然とした顔でブラックコーヒーを飲むのだろう。何だかちょっと、ミルクだらけのアイスコーヒーが苦くなった気がした。



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コーヒーとシュガー
Title by『joy』





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