珍しく部活のない放課後、秋は図書室に足を向けていた。普段は滅多に利用することのない場所に向かうのは、通い慣れた学び舎の一室とはいえ少しだけ秋の背に億劫さにも似た気持ちを齎している。
 図書室を私用で利用するにあたって割かれる時間は大概が昼休みや放課後だ。だが折角図書室まで足を運んでも図書委員がいなければ貸し出しは行えない。委員会内によって曜日毎に当番は割り振られている筈だが、うっかり忘れてしまったり、どうせ利用者などいないと素知らぬ顔をして当番をサボる人間も少なくなかった。そしてそんな時に限って本を借りようと勇んで図書室に出向いてしまい何も出来ないまますごすご教室に戻らなければならなくなるケースも少なくない。だから秋は、学校の図書室よりも公立の図書館の方を普段から利用している。あちらの方が、貸出期間も長いので焦って読む必要がないのだ。


 静かに戸を開けて踏み込んだ図書室には既に夕陽が差し込んでいる。秋の位置からは貸出カウンターは見えないのだが、窓から吹き込んだ風が揺らしたカーテンが、少なくともこの部屋に誰かしらが存在していることを教えてくれた。
 この学校内で、知り合いが都合良く図書室に来ているとも思えず、秋は人影を探すよりも先に自分の目当ての本を探すことにした。使い慣れてはいないけれど、確か文庫本が纏められている棚があった筈だと朧気な記憶を頼りに歩き出す。

「…秋?」
「……え?」

 突如名前を呼ばれて、驚いて声をした方に目を向ける。呼び掛ける声が場所の性質を考慮してか囁くようなものであったことがせめてもの幸いだった。
 声の主は円堂で、一番窓際の棚の端から顔を覗かせていた。両手には一冊ずつ本を携えている。察するにどちらも借りようとしているのではなく借りる本を探している最中なのだろう。ふとカウンターに目を向けてみると其処に人影はなかった。反射的に吐いてしまった溜息を、円堂は不思議そうな面持ちで見つめている。今ここにいることが無駄足であることに円堂はまだ気付いていないらしい。

「円堂君、本借りるの?」
「冬休みの課題で読書感想画か感想文出さなくちゃなんだろ?だから本借りておけって風丸に言われたんだ」
「そっか。でも今日は図書委員が来てないから本は借りられないよ」
「えっ、そうなのか!?」
「円堂君、授業以外では滅多に図書室に来ないでしょう?」
「あー、初めてかもしれない」

 図書室で本を借りることは初めてに違いない。両手に本を持ったまま落胆する円堂が、秋には不謹慎ながらも可愛らしく映る。今日だって、部活があれば図書室になど寄らなかったに違いない。円堂にとっての優先事項は数週間先の課題よりも目の前のサッカーなのだから。そしてそのまま図書のことなど頭の中からすっぽりと抜け落ちて、冬休みになってから幼馴染である風丸に泣きついては怒られるのだろう。それが秋の知る円堂のらしさでもある。

「じゃあどうすっかなあ…」
「あのね円堂君。今週中に借りた本は冬休み前までに返さないと駄目だよ」
「え、」
「冬休み中に読むなら来週後半に借りた方が良いよ」
「でも来週は部活休みないんだよなあ…」

 だったら昼休みに来れば大丈夫と諭しかけて止まる。円堂のことだから、昼休みにだってサッカーをしていることもある。昼食が足りなければ弁当を平らげた後に購買に走ることもあるのだ。それから稀に、午後の授業の課題を忘れてしまい友人を拝み倒して写させて貰っている。どれにせよ、騒がしく慌ただしく、だかある種の規則正しさを以て昼休みを過ごす円堂は、やはりまた図書のことなど直ぐに失念してしまうに違いなかった。

「円堂君、今度の休みに練習が終わったら図書館に行ってきたら?」
「――図書館?」
「そう、学校の図書室より蔵書も多いし、冬休み中まで借りられるよ」
「そっか、ありがとな秋!」
「どう致しまして」
「よし、じゃあ今日はもう帰るか。秋、一緒に帰ろうぜ」
「……良いの?」
「良いのって?」
「…ううん、何でもない。じゃあ帰ろっか」

 予想していなかった円堂の言葉に、秋はつい素で問うてしまった。
 お互い鞄を所持していたのでそのまま並んで昇降口へと向かう。途中、冬休みの課題や明日の部活のメニューなどについて話をしながら、秋は転々と自分の足元に落ちた小さな幸運について考える。
 秋が想い人である円堂と一緒に帰ることは実はそれ程困難なことではなかったし、これまでも帰路を共にしたことは何度もあった。それでも、言葉も交わさずに別れるはずだった放課後に偶然顔を合わせて、しかも相手から声をかけてくれたという事実は秋の心を充分に温めていた。
――円堂君は優しいね。  円堂はきっと、秋の恋心など知りもしない。だけどこんなにも恋に揺れる心を喜ばせてくれるのだから。人によっては、残酷とも思われかねない平然と寄越される平等な言葉や態度を一対一で受け止められることを、秋は素直に幸運と呼ぶのだ。
 傍にいられる幸せと、そこに潜ませた自分の恋がひどく卑しく思えて俯いてしまうこともある。その度に沈んだ秋の心を救ってくれるのは円堂だった。だから秋は、今は、もしかしたらこの先一生伝えることのないかもしれないこの恋を捨てることなく抱き締め続けている。

「なあなあ秋、図書館暇なら着いてきてくんない?」
「あれ?場所わからない?」
「わかるけど、あんま行ったことないから」
「うん、わかった。じゃあ私も図書館で借りようかな」

 当初、図書室で探そうとしていた本は単に秋の個人的な興味で求めていたものだが、この際円堂と同じように課題の図書を借りてしまおうか。誘いを受けて、直ぐにその日の見立てをしてしまう辺り相当嬉しいのだろう。秋はそれを認めながらも表面的には滲み出ないようにと努める。ここには特別なんでありはしないのだと、わざわざ自分を落ち込ませる言葉を脳内で重石のように恋に乗せる。
 だけども、いつかこの気持ちに円堂が気付いて掬いあげてくれたらいいのにだなんて夢にも似た希望は捨て去れないまま、秋は小さく楽しみだねと呟いた。



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その優しさで掬って欲しいの
Title by そね様/15万打企画




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