※パラレル


 拓人の部屋の郵便受けに懐かしい文字で書かれた絵葉書が届いたのは今から二週間ほど前のことになる。
『お久しぶりです。この葉書を書くために貴方と離れてどれくらい経ったかを数えたら実に三年も経っていたのね、本当に久しぶり!貴方は私を覚えているかしら?今度ニューヨークで個展を開くことになりました。もし良かったら観に来て頂けたら嬉しいのだけれどご都合の方如何でしょう?また詳細をお知らせするから、次は手紙を書きます。ただ手紙だとつい便箋を消費して余計なことばかり書いてしまうかもだから、やっぱり葉書の方が良いかしら?おかしな終わり方だけれど一先ず失礼します 山菜茜』
 本当に、要件しか記入されていなかったけれど、全体の半分を風景写真で締められている絵葉書にはびっしりと文字が書き込まれていて、冒頭と末尾では字の大きさも違っていた。まるで本当はもっと書きたいことがあるの、寧ろ直接話したいのよと訴えかけているようでもあった。
 三年前、ふらりと拓人の前から姿を消した茜は、その気配を再臨させるのもまたふらり気儘に突然だ。彼女が消えてしまった時からその帰りを待つと決めていた拓人だったが、不意を打って訪れた茜との再会の機会に胸が踊るよりも驚きで子細はまた後でと述べている絵葉書から何かを読みとろうと繰り返し彼女の文字を反芻した。どうやら彼女は元気にしているらしい。結局、その程度のことしか拓人には解らなかった。
 茜の文字通り、三日後には彼女の言う子細を伝える為の手紙が拓人の下へと届いた。中身を早く確認したいと思うのに、生まれもった性分が彼に封を破り開けることをさせなかった。ばたばたとリビングの棚から鋏を取り出して、中の便箋を切らないよう一度光に透かして確認してから封を切った。取り出した便箋は二枚だけで、それが嵩むことを懸念していた割には、と拓人を少しだけがっかりさせた。茜が拓人に話し聞かせたいことが沢山あるように、拓人にも彼女に尋ね聞きたいことが沢山あるのだ。
 どうして姿を消したのか、今どこに住んでいるのか、何をしているのか、体調を崩したりはしていないか、二人で写真を撮った自然公園を覚えているか、まだ自分のことを好きでいてくれているか、あの時――。
 ――あの時交わしたキスを、悔やんだりはしていないだろうか、だとか。


 拓人と茜がキスをした。それは二人で良く訪れていた森林と見紛うほど豊かで穏やかな緑に囲まれた自然公園でのこと。遊具もなく、散歩コースもないそこは公園と呼ぶには味気なく、いつ訪れても拓人と茜以外の姿を見つけることはなかった。
 写真が撮るのが趣味だという茜に付き添うようにして、拓人はよくこの公園を歩いた。木々や野鳥をカメラに収めながら嬉々として進んでいく彼女の後ろ姿を今でも拓人は鮮明に覚えている。
 拓人と茜が初めて出会ったのもこの公園だった。正確には、この公園の外塀をよじ登ろうとしていた茜を拓人が助けたのがきっかけだった。何故か一つしか門を持たない公園の敷地は広大で、確かに門と正反対の位置にいる人間からすれば塀を乗り越えるのも一つの手段だった。余裕を持ってそれが出来るならばの話である。
 ぴょんぴょん飛び跳ねて、それでも自分の背丈以上ある塀の上縁に手を掛けようとしている茜に、拓人はほんの気紛れに声を掛けた。人通りはないけれど、正直無駄な努力だと思わずにはいられなかった。

「距離はあるが大人しく正門から入った方が良いよ」
「届かないから?」
「それもあるし、首から掛けてるカメラだって壊れるかもしれないだろう」
「それは確かにそうですね。じゃあ貴方ちょっとこれ預かってちょうだいな」
「は?」
「落とさないでね。中学の入学祝いに買って貰った宝物なの」
「中学?君は中学生?」
「そっちじゃなくて宝物ってことが大事なの」
「ああ、そう」

 確かに、こんな平日の昼間に私服で出歩く中学生なんていないし、目の前の人物は確かに女性よりも少女と形容されて然るべきだったが中学生では幼過ぎた。
 拓人は、ここから一本道を進んだ場所にある大学に在籍していて、この近辺で見かける高校生以上、社会人未満は大体同じ大学の関係者だと思ってしまう。つまり茜のことも同じ大学の生徒だと思ったからこそ声を掛けたのだ。だがこんな奇天烈な娘なら広い大学の中でも話題になりそうなものだが、学科が違えばそうでもないのかもしれない。そもそも、初対面の少女に奇天烈なんて言葉を当てはめること自体が失礼だ。
 そんな失礼な第一印象を抱かれているとはつゆ知らず、茜は拓人に荷物を預けたまま未だにぴょんぴょんと塀の上に手を掛けようとしている。少しばかり身軽になったとてそう突然跳躍力が跳ね上がる筈もないというのに。

「やっぱり届かない…」
「だから正門に回って――」
「そうだ、貴方私を抱えてくれない?」
「はあ?」
「大丈夫、私こう見えても…、あ、見た目もそれ程太ってはないと思ってはいるんだけどあんまり体重重くないのよ」
「そういう問題じゃない」

 つい数分前に知り合った人間に自分を抱えて塀を越えさせろだなんて肉体労働を迫るとは随分図々しい。いかに彼女が軽かろうと拓人の腕力では不可能だった。当然、引き受けることは出来ない。

「…何でそんなに正門から入るのを嫌がるんだ」
「嫌がってなんかいないわ。ただ此処から出入り出来たらとっても便利だと思ったの」
「それはまたどうして?」
「だって私の本来の目的地はこの道を真っ直ぐ行った場所にある大学なのよ。私は勉強をしに来ているの。公園への侵入なんて二の次なのよ」

 直前までの自分の行動を棚上げするかのように、茜は拓人に胸を張って言い切った。いっそ清々しいまでの支離滅裂な主張に、拓人も溜息を禁じ得ない。きっと彼女は直感的な人間なのだろう。そしてそれは何かと思考してから行動を起こす自分とは正反対だ。関われば、初動に及ぶ速さの違いから確実に振り回されてしまう。それは拓人にとって疲労以外の何物でもない。だが既に荷物持ちや通じない会話を経て充分振り回されているにも拘わらず、拓人の胸には彼女に対してマイナスな感情など一切浮かんではいなかった。もしかしたら、それは既に何かが始まった合図だったのかもしれない。


 それからというもの、拓人に強烈な印象を与えた茜は大学構内で彼を見かける度に声を掛けてくるようになった。やはり学科が違うらしく、拓人が英語学科なのに対して茜はフランス語学科だった。それでも同じ文学部に在籍している為、同じ講義を受講することもあった。不思議なことに、茜と知り合った後はそれまで目立ちもしなかった彼女の姿が大教室にいても直ぐに見つけられるようになった。トレードマークとも言えるピンクのカメラは、宝物らしく毎日彼女の首にぶら下がっていた。
 恋人として付き合うだとか、そういう関係の変化を意識したことはなかった。いつの間にか一人暮らしの拓人の部屋まで上がり込むようになった茜と、それを容認し彼女の為のスペースまで作ってしまった拓人。結局、どっちもどっちだった。あの頃は、お互いがこんな気楽な関係がずっと続くものと信じて疑わなかったのだ。

「ねえ、好きな人とかいないの?」
「別にいないけど、急に何?」
「もしいるのなら、私たちもうちょっと考えなきゃと思っただけ」
「……今はまだ、そんなこと考えなくて良いんじゃないか」

 そう、今はまだ。そんな変化の先延ばしに、茜が何と答えたのか、拓人は上手く思い出せない。もっと自分の気持ちを深く探っていたのなら、彼女への好意は簡単に見つかっていただろうに。拓人は、自分と彼女にあるものは友情であると心底信じ込んでいた。

「キスして欲しい」

 茜が拓人に真剣な瞳で要求したのは、好きな人云々の会話を交えた数日後のことだった。拓人は、彼女が自分のことを好いているのかと推察するよりも先に頷いてしまっていた。
 「今すぐ?」と問えば茜は「今すぐ散歩に行ってしましょう」と拓人に外出を促した。二人が一緒に散歩するコースといえば大概が大学近所の自然公園だったから、彼女が散歩と言うならば拓人も無言でそこを目指して歩き始める。隣を歩く茜に、キスを求める理由を聞く時間は公園に着くまでの間大量にあったのだが、タイミングが掴めずに結局何も聞けなかった。

「本当に俺なんかとキスして良いのか」

 やっとのことで尋ねることが出来たのは、後はキスをするだけとお互いに向かい合って立ってからだった。茜がこれまで異性と付き合ったことがないとは以前話に聞いていて、ならばこれがファーストキスなのだろう。だから、拓人は不安になった。彼は、キスをすると承諾した上でまだ自分と彼女を結ぶものは友情だと思っていたから。

「良いの、初めてだから、好きな人としたいの」

 はにかむように囁いた、茜の言葉が途切れるのとほぼ同時に拓人は彼女にキスをした。触れるだけ。そう意図していたつもりが、いつの間にか彼女の唇を割って歯列をなぞり舌を探り当てるような深いものになっていたのは、衝動という部分も確かにあった。だがそれ以上に、拓人の内側にあった彼女への恋が溢れ出した所為だった。
 どれくらい口づけていたのかは分からない。名残惜しむようにゆっくりとお互いの唇を離す。それと共に近すぎた茜の顔が徐々にはっきりと見えるようになる。赤く色付いた頬と、そこを伝う一筋の涙。生理的なものだと思った。だから何も言わなかった。
 「ありがとう」と掠れた声で言い残して、茜はちょっと恥ずかしいから今日はさよならと拓人を残してその場を去ってしまった。そしてその時を最後に、茜は彼の前から姿を消したのだ。それがもう三年も前のこと。
 三年が過ぎてもはっきりと覚えている。茜の唇の感触だとか、初めてのキスにぎこちなく応じる初々しさも。全てをフィルムの様に再生しながら、いつも拓人の脳裏に最後に映されるのは彼女が流した一筋の涙だった。あれが自分の所為でなければと思う。しかし自分の所為であればたとえ傷であっても彼女の内には自分が刻まれているのではないかと歓喜する汚い自分もいた。正しいか、間違いかの問題でもない。だけども拓人はもう一度茜に会いたくて、あのキスの先にある二人の答えが知りたくて、行き先を知る手掛かりもない茜をずっと待ち続けていた。


 茜の写真展はニューヨークで催される。個展で規模も小さく、期間もあまり長くない。因みに、その開催日までの残り日数もあまり長くなかった。時期も時期だけに、早めに飛行機の席を確保しなければならない。仕事のスケジュールも確認しなければならないし、やることが急激に増えてしまった。それでも拓人の中に、彼女の招きに応じないという選択肢は端から存在していないようだった。
 見落としなどないようにと、拓人はまた手紙を初めから読み直す。記された日付は12月24日。どうやら拓人は、生まれて初めてクリスマスを海外で迎えることになりそうだ。



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キスを強請った次の日、君は死んだ。
Title by『告別』

Respect『ただ、君を愛してる』





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