ヒロトは食事中、またその他の場に於いても自分の食に関する趣向をあまり他者に吹聴しない。傍にいる者がヒロトにその時食している物を好きか嫌いかと尋ねればあっさりと自分の意見を述べるのだろう。玲名自身、ヒロトにそうやって好き嫌いを尋ね聞いたことがある。その時彼は、玲名が指し示したものを「好きではない」と言った。だから玲名はそれを嫌いなのだと受け取った。好きか嫌いか、それは右か左か前か後かと同じこと。決して中間点はあり得ない。玲名はそうして物事には白黒がはっきり付け得るのだと信じていた。そんな玲名の考えとは全く関係のない位置で、曖昧な場所が一番気楽で心地いいのだと、ヒロトが悟り始めていることに彼女は一切気付くことは出来なかった。


 高校生になり、ヒロトと玲名が恋人同士という名前にお互いの関係をシフトさせてからもうそれなりに時間が経過していた。同じ家、というより施設から通っている二人だから、他の友人等からするとそれはもう夫婦みたいに映ることがあるらしい。ヒロトも玲名も、ただ学校に通うだけの夫婦形態があればそれはとても気楽なものだと笑って流したけれど、昔から何も変わらない暮らしに、一言「好き」と添えただけで夫婦になれる筈もないだろうと苦々しい気持ちを抱いたのを覚えている。
 昼休み。一緒に屋上で昼食を取りながら玲名がやけに自分に視線を送って来ることにヒロトは気付いていて、敢えて黙殺を決め込んでいた。せめてこの弁当を食べ終えるまではそうさせて欲しいとささやかに願っていた。だがそんな願い知ったことかというかのように玲名は自分の食事も中断させて、そしてヒロトの食事を中断させた。

「ヒロト、お前卵焼き好きだったか?」
「……卵は嫌いじゃないから、卵焼きだって普通に食べるけど?」
「そうか」
「どうかした?」
「今日の卵焼きは杏が作ったんだが…甘くてな」
「ああ、そういえばそうだね。玲名は塩だもんね」

 今日、ヒロトと玲名が食している弁当は今頃階下の教室で晴矢と杏も食しているであろう物である。今朝他のみんなよりも少しだけ早く起きて、玲名と杏がヒロトと晴矢の為に拵えたものだ。お互い彼氏の為に作る弁当に他の女の作った代物が共同制作として紛れ込んでいるのは良いのかと思うが、ことお日さま園出身の者同士がそんな瑣末なことを気に掛ける筈もない。台所は一つ、朝は何かと忙しい、見知らぬ怪しい人間の口に放り込まれる訳でもないのだからとあっさりと役割分担をして弁当を作る辺り玲名と杏の判断は別段間違っていない。ただお互いそれぞれの食に関する趣向をすっかり見落としていたのだ。これが夕飯であったなら、出されたものは文句言わずに黙って完食するべきだという変な強迫観念があるのだが、自分たちが作る分だけを自分たちで作ったのだから好きなものばかり詰め込んでも罰は当たらない筈なのだ。だから玲名は、自分の好みとは正反対の杏の味付けに思わず声を上げてしまった。

「ヒロトは…どっちの方が好きなんだ?」
「どっちって?」
「卵焼き。塩と砂糖ならどっちが良い?」
「んー…別にどっちでも…」
「却下」
「えー」

 玲名の、どちらが好きかはっきりしろという剣幕に、ヒロトは困り顔で唸る。ただの会話のネタに卵焼きの好みが話題になるならいいのだが今の問答の発端はヒロト達の手の中にある弁当箱から飛び出してきたもので、その中身は玲名が手作りしてくれたものであって、しかも玲名は塩味派だとはっきりと立場を示している。そうなれば彼女寄りの意見を選択するのが一番無難であることをヒロトは知っている。今後も、惚気でも何でもなくヒロトは玲名に手料理を振る舞って貰うつもりでいて、それならば何も料理を作る人間の嫌いな味付けをさせるような可能性は排除しておくが良いに決まっているではないか。そう、分かりきった道筋に傾きながら、でもなあ、とヒロトは心の中で唸り続ける。今此処で、自分が塩が好きだと言っても、玲名はその言葉を少なからず疑うんだろうという予感がある。
――どっちでもいいよ。
 最初にヒロトが投じた言葉が、紛れもない彼の本心なのだ。そもそも食べるということは嫌いではないし、美味いものを食べればもっと食べたいとも思うが、好きだから嫌いだからという感情で食事という行為を取捨選択出来る立場に自分はないと思っている。目の前にあるのが食べ物ならば食べられる。だから食べる。それだけだった。今此処でどうにかして玲名に自分も塩味の方が好きだと納得させればこの先玲名は卵焼きを作る際は塩で味付けをするのだろう。それは一向に構わない。だけどどこかで彼女以外の誰かが作った甘い卵焼きを食べても自分は何の不満もなく完食しているだろう。その時に、玲名はどう思うんだろうと想像したら段々と気が滅入って来た。たぶん睨まれる。それから今日の様に質問されて、うっかり嫌いじゃないとでも言ってしまえばきっと彼女は機嫌を損なうか自分への心象を損なうのだろう。一時か、一部分の話だろうけれど。避けられるなら、避けたい。こういう、先を見越してふらふらと衝突を避けようとすること自体が、彼女からしたら軟弱極まりない思考なのかもしれない。

「…はあ、」
「ヒロト、私はそんなに難しい質問をしたつもりはないぞ」
「うん、分かってるんだけどね…」
「お前は昔から曖昧なことをそのまま放っておく性質だからな」
「それで何の滞りもないんだもの。玲名が作ってくれたものなら俺は何でも食べるよ」
「誰が作ったって食べるだろうお前は。…まあ、それが普通だけど」
「でも目の前に玲名が作った卵焼きと他の誰かが作った卵焼きがあれば俺は玲名の方を取るよ」
「……ご機嫌取り」
「何でそうなるのさ」

 今度はヒロトが納得いかないと不満げに表情を変えた。ヒロトの玲名への言葉は一切虚言を交えていない分、彼女からすればやはり性質が悪い。彼は自分の作った物をきっと優先して、あるいはそれだけを食べるだろうけれど、それに対して美味しいとは言えど不味いとは決して言わないことを知っている。彼が味覚障害だとかそういう話ではなく、気遣いなのかは知らないがとにかく彼は好き嫌いが曖昧なのだ。自分の中でははっきりと区別できるであろうことを、外に晒すことを禁じているかの如くしない。

「……ヒロト、私が今日の夕飯に何食べたいって聞いたらなんて答える」
「――玲名が作ってくれるなら何でも」
「それ以外の言葉が出てこない限りはお前とは結婚どころか二人暮らしだってしない」
「ええ!?何で!?」
「お前の曖昧さは面倒くさい」
「えー…」
「好きとか嫌いとか、美味いとか不味いとかそういうのは、正直私だってどうだっていいよ」
「……」
「ただ、お前が少なからず感じた嫌悪だとか違和感を口にすることを憚るような関係なら、一緒にいたってその内疲れるだろう。そういう遠慮は相手にだって伝わる」
「うん、まあ、そうだね」

 玲名の言うことは、概ね正しい。ヒロトは何も感じない訳ではない。曖昧を良しとするのは、マイナスを言葉にした時に相手の機嫌を損ねてそこに生じる軋轢を疎んじるからだ。そして自分の中だけにその負を抱え込むことだって出来はしないから途中の落とし所に停滞しているだけのこと。そうした摩擦を避けずにぶつかれる相手がいるのなら、それはとても喜ばしいことだ。少なくとも、ヒロトは玲名のことをそれが出来る相手だと認めている。
 夫婦でもない二人が取る食事は、玲名が一人でヒロト一人を想って用意するものではない。それでも、ヒロトも玲名も今はまだ、という前提を無意識に設けている。高校生とはまだまだ子どもで、この先大学に進むことを想定してみれば二人が同居や結婚というステップを踏んでいくにはまだ幾ばくかの時間を必要とするだろう。
 今はまだ、ままごとみたいに偶の弁当を作るくらいの手間しか掛けられない。それでもいつか、玲名がヒロトの朝食から夕食まで全てを準備するようになる頃までには、彼の好みを正確に把握しておきたいものだと決意を新たにする。
 手始めに、また明日も弁当を作ろうと思う。そうして、それを食べるヒロトの顔をしっかりと観察しよう。彼は落ち着かないとごねるかもしれないけれど、少なくとも、彼が卵焼きは塩派か砂糖派かだけでも見抜かなくてはなるまい。玲名は塩味の方が好きだけれど、ヒロトがもし砂糖の方が好きだというのなら、砂糖で味付けした卵焼きを作ってやらないこともない。ヒロトが玲名の料理ならなんでも食べるよという言葉を寄越したのと同じように、玲名だってヒロトが食べたいならどんな料理だって作れるようになりたいと思っている。だって二人は夫婦ではないけれど、れっきとした、両想いの恋人同士だから。


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また、御飯事ごっこ
Title by 匿名様/15万打企画






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