年齢を重ねていくことを嘆いたことはなかった。鏡に映る自分の姿が、少しずつ大人になって行くことをいつしか老いて行くと言うようになったとしてもそれは当然の時の流れなのだから受け入れるのが必然だと思っていた。どこかで止まることもなく、欠けることもなく。いつか私がよぼよぼのお婆ちゃんになって自分の力では動くことすら困難になったとして。そして天気の良い日にベッドに横になったまま眠るように逝く日がやって来たとしたのなら。ゆるりと振り返る過去の自分の姿は、きっとどこを羨むということもなく同じひとりの自分でしかないのだろう。それが、十四歳の冬花の考えだった。



 冬花がミストレと出会ったのは十四歳のときで、彼との永遠の別れを経験したのもまた十四歳の時だった。高慢な態度のまま冬花の前に現れたミストレはやけに自分に自信があるのかなんなのか、初対面の時から冬花を見下げるような物言いをしてきたものだから、冬花は彼を心の中のいけすかない部類に放り込んだ。関わらない方が良い人間というものは、差別などではなく確かに存在している。それは誰も彼もがではなく冬花にとって。きっと、ミストレと気が合うような人間も世界中のどこかには存在しているのだろう。だがそれは決して自分ではないと冬花は確信していて、向こうからも自分には接触を持とうとしませんようにと願った。その為に、冬花は自身の抜群とはいえない運動神経と勘をフルに使役して、不自然にならないよう悉くミストレを避けようと一生懸命頑張った。が、結果だけを言えばミストレの冬花に構おうとする執念の方が勝っていた。子ども同士とはいえ、軍人になる為の訓練を受けているミストレと、運動部とは言ってもマネージャーである冬花とでは体力面でも忍耐力でも彼の方が圧倒的に強かったのかもしれない。
 ミストレが冬花に興味を持ったきっかけは単純なもので、自分を前にしたときの反応がこれまで目にしてきた女の子たちとは違っていたからなのだという。冬花はこれを聞いたとき、漫画じゃないんだからという呆れと、自分がもてると自覚している男はやはりいけすかないと眉を顰めた。ミストレは、そんな冬花を前ににんまりと口端を上げて嗤ってみせるだけだった。綺麗な顔をしているとは素直に思ったが生憎好みではない。ミストレが女の子だったら観賞用にちらりと眺めるくらいはしたかもしれないけれど。
 第一印象がどんなに悪かろうと、そこに激しい嫌悪を抱かない限り、その後会話に会話を重ねればそれなりに相手に対する認識も改まって来る。ミストレのことを実は良い人だったなどと思う要素は見当たらないが、そう邪険にする程人の邪魔をするような人間でもないとは思えるようになっていた。そこから自然と増えて行く会話に、冬花は慣れとは怖いものだと一人肩を竦めたこともある。徐々に今までとは別の感情が芽生えていく気配がくすぐったくて、冬花は必死にそれをミストレ本人にだけは悟られないようにと必死だった。

「冬花は今の自分のままで未来を生きたいとは思わない?」
「どういうこと?」
「十四歳の姿のまま、八十年後の未来を生きてみたくはないかってこと」
「なんの利点が?」
「今の暮らしよりずっと便利な生活が出来るんだよ?」
「ミストレ君にはそんなに私が不便しているように見えるの?」
「そういう訳じゃないけどね」

 ミストレの気紛れによって寄越される、冬花にとっての未来を垣間見させる会話は、正直あまり好きではなかった。彼が口にする未来には、今を重ね続けた結果としての冬花自身もきっと存在しているのだろう。もしかしたら、既に他界している可能性もあるけれど。一先ず生きているものと仮定する。そうすると、きっと八十年後の自分はミストレとは何の関わりもない生活を送っているのだと思う。だからこそ、十四歳の冬花を彼にとっての現在へと誘うのだ。そしてそれは、本来繋がり合うことのなかった存在である冬花と、八十年前というミストレの存在を留め続けることの出来ない場所への未練とも言えるものだろう。冬花は、それを頭ごなしに否定する気はないけれど、だけど絶対に諦めなければならないものだと気付いていた。
 自分たちばかりが、都合の良い時間や場所に逃げ込んで幸せになろうだなんて、絶対何処かに落とし穴が待っているに違いないのだ。

「……ミストレ君」
「…何、」
「もしミストレ君が未来に帰ってしまっても、私はきっと貴方を本当に時々だけど思い出すと思う」
「時々なんだ」
「でも、ミストレ君は私のことは忘れてしまった方が良いと思うな」
「どうして」
「どうしてって、私の未来はミストレ君にとっての過去だけど、ミストレ君の未来は私にとっては死後の時間といっても良いくらい先の話でしょう」
「だけど、」
「出会ったこと自体おかしいことなのよ」

 自分たちがこれまで重ねてきた逢瀬も会話も、根底がまず間違っているのだと言ってのけることは、ミストレにとってとても残酷で失礼なことなのかもしれない。そう思うなら、徹頭徹尾拒み続ければ良かったのではないかと迫れれば、冬花はええそうでしょうともと頷くしかない。だけども、辛いのは冬花だって同じことだった。芽生え始めていた感情はきっと好意と呼ばれるもので、名付けるならば恋に違いなかった。決してミストレには伝える日は来ないだろうと予感はしていて、だって初恋は実らないものなのだからという通説に寄りかかってだらだらと日々を重ね続けてきたのだ。別れはいつだって隣にあって、悲しみに暮れるだけの最後にはならないように、触れて温もりを覚えることすらも避けてきた。

「ねえ、八十年後の私がもう死んでいたらの話なんだけど」
「聞きたくないんだけど」
「お墓参りくらいには行ってくれないかな」
「…生きてたら?」
「絶対に近寄らないで」

 一方的な、彼にとっての過去を生きる冬花だから通せる我儘を、彼女は頑として譲らなかった。拘束力など一切なく、最終的にミストレが降参と両手を上げて了承したけれど、未来に帰った彼が約束を実行するか反故にするかはそれほど重要ではないように思えた。ただ、共には生きられない時の中で少しの繋がりを残しておきたかっただけだった。
 そうして、色恋めいた空気など纏うこともないまま二人はそこで永遠に別れた。もう、八十年も前のことである。



 順調に、それなりに人生を謳歌し年を重ねた冬花は太陽が差し込む窓のすぐそばに設置したベッドの上に横たわりながら八十年という年月について振り返る。あの頃が一番幸せという時期は、特別冬花には思い当たらなかった。それなりの不幸もあって、一番辛いと感じる出来事はあるけれど、全体通して見れば冬花は自分の人生に十分満足していた。そうであるはずだと信じていた。
 だけど最近、以前よりも昔を振り返る時間が増える中でミストレの言葉が脳裏を過ぎる時がある。
――十四歳の姿のまま、八十年後の未来を生きたいと思わない?
 少女だったあの時は、間髪入れずに断った誘いを、冬花はまるで他人事のように再生して、受けいれていたらどうだったかしらと仮定を繰り返している。誰に明らかにすることもなかった初恋は、実っていたかしら。そうしたら、今こうして横たわる自分は存在していなくて、ミストレの隣にいるはずのない自分が寄り添っていたりするのかしら。
 迫りくる刻限はきっともう直ぐ近くまで来ている。それなのに、今更になって過去の幸せを拾っておけば良かったと思うだなんて贅沢が過ぎるだろう。きっと罰が当たると不透明な未来に脅えて地面から足を離さなかったのは自分の方だというのに。
 現在を生きる冬花の傍に、当然ながらミストレはいない。だけどもう少し、動くことも喋ることも考えることも出来なくなって、形すら留めずに静かにこの世を去ったその後に。ミストレはきっと自分に会いに来てくれるだろう。果たされることを確かめる術のない約束に、冬花は胸が躍り、それからまた少しだけ過去が懐かしくなる。初めから存在し得なかった、冬花とミストレが寄り添える時間は、未来ではなく過去にだけ思い出として二人の心の中だけに浮かび、溶けた。


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私は死んでも無い物ねだり
Title by 匿名様/15万打企画





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