一人暮らしというものは不便だ。大して読み込みもしない新聞を朝起きてすぐ郵便ポストまで取りに行く習慣に自分で自分に飽き飽きしてしまう。真冬の朝はまだ薄暗い。自身の吐く息の方がまだ明るい位だ。

「…今日は帰りにスーパー寄らなきゃ」

 一枚だけチラシを手にして呟く。牛乳と卵はいくらあっても困らないなあとは吹雪の持論で、クラスメイトにはそうなんだという微妙な同意しか得られていない。自分で食事の確保をしなくちゃいけない状況に陥ればいやでも理解出来るだろうにとは思うものの、別にそれほど真剣にクラスメイトがそんな状況に陥ることを願っている訳でもない。自分のことだけで精一杯。それが吹雪の現状で正直な気持ちだ。
 起きてすぐ新聞を取りに行くか、それともリビングの暖房器具のスイッチを入れてから行くか。ここが吹雪の朝の生活の分岐点である。僅かな時間であっても外の冷気に触れ冷えた手をあらかじめ温めておいた炬燵の中に入れてさする。こういう時、吹雪はヒーターの方が便利だろうかと思うが長い目で見れば灯油代という毎年世界情勢の煽りを食らってころころ変動する燃料代のいる道具は、そう裕福では無い吹雪には経済的でないと思えた。最近では電気代も徐々に値上がる所も増えているが、それでもそう家計に大打撃を与えるような額でもない。
 炬燵に入って取って来た新聞を広げる。ファッション系だったり土地売買系の広告はあらかじめ除けておく。食品系の広告は大体何日か分をまとめて掲載しているから今日学校から帰って来てからゆっくり読もうと重ねておく。
 最初にテレビ欄に目を通す。あまりテレビを見ることのない吹雪だが、クラスメイトとの話題合わせ程度の目的でチェックくらいはしておく。この行動がどう生かされるかといえば「そういえば新聞に載ってたね、見逃しちゃったけど」の話題を打ち切る為の手段である。吹雪が、朝の時間の大半を費やして読む新聞の欄はある意味当然のスポーツの欄だった。ただ、今は冬だから毎日目を向けてもそう面白い記事が載っている訳でもない。それでも日本人の大半が重点を置く野球がオフシーズンというだけで日本は勿論、海外のサッカーの情報が紙面の見つけやすい位置に掲載されてくれるから、吹雪はこの時期の新聞が割と嫌いでは無かった。

――ピンポーン、

「あれ、…やば」

鳴り響いた玄関のチャイムに意識を戻せば外はすでに朝らしい色を浮かべ時計の針もそれに見合うだけ歩を進めていた。名残惜しむ間もなく炬燵から飛び出して玄関に向かう。ちょっと待ってと声を上げながら扉を開ければそこにはいつも通り、吹雪のもう一つの朝の習慣ともなりつつある紺子の迎えが待っていた。

「おはよう吹雪君、…今日はお寝坊さん?」
「おはよう紺子ちゃん、違うよ、ちょっと新聞に夢中になりすぎちゃったんだ」
「…?そんなおっきなニュースあったべか?」
「スポーツ欄読んでただけだよ、あー、急いで準備するからちょっと待っててね!」

 ばたばたと階段を上って行く吹雪に見える筈もないが笑って頷くと、玄関に一歩足を踏み入れ扉を閉める。入る前に、靴底に着いた雪を落とすことも忘れていない。
 別に、そう急ぐ必要はない。遅刻するほどの時間ではない。それでも早めに学校に行ってサッカーをする吹雪に、紺子は付き合う形で彼よりも先に家を出てこうして毎日迎えに来ている。普段ならば紺子がチャイムをならすと準備を終えた吹雪が出て来てそのまま登校する。だから、こうして玄関まででも吹雪の家に入るのは久しぶりだった。
 ぐるりと見渡せば、陽が昇り切っていない時間ではまだ薄暗い廊下が目に入る。自室とリビングと洗面所と台所。いつだったか、吹雪は笑いながら自分の生活スペースはこれくらいだなあ、と笑っていた。その言葉の通り、玄関ですら、全く手入れしていないのと同等なほど簡素な場所の様に感じられた。
 吹雪の世界は狭く、浅い。だけどそんな彼の世界の中に、紺子は確かに存在していた。それを紺子自身が自覚した時、どうしようもなく吹雪の傍にいてやりたいと思った。押しつけがましいのかもしれない。それでも誰かが、吹雪の傍に居て、掬って、温めてやらなければ、彼はいつか全ての扉を閉ざして暗闇と孤独に溶けて消えてしまうような気がした。それが嫌だから、紺子は毎朝この家の扉を開けて吹雪が顔を見せる度に安堵の笑みを浮かべておはようと挨拶を交わすのだ。

「お待たせ、」
「早いなあ」
「男だからね、着替えて顔洗うだけだよ」

 女の自分もそれほど大差ないとか、朝御飯は、なんて言葉はもう前にも寄越して使ってしまったから、今日は紺子は黙って玄関の扉を開けて行こうか、と促す。しっかりと鍵を閉めた吹雪は手に一枚の紙を持っていた。

「広告?」
「うん、今日スーパー寄るんだ。卵が安いんだよ」

 機嫌が良いのだろう。昨日の朝寄りは、格段に声が弾んでいる。それがこの広告一枚のおかげだというのなら紺子は嬉しいような、だけど悲しいような気持ちになってしまう。吹雪の狭い世界はいつだって忙しない。自分の世界を自分で確立しなければならないという現実は、吹雪を子供っぽく我が儘にした。それと同じくらい、大人のものまねを得意にさせた。
 紺子は、人一倍ひねくれた吹雪の感性をどうこう言うことはしない。気に留めることもなく、紺子は吹雪をくるんでやりたいのだ。だから、卵が安いというささやかな幸せに機嫌を良くする吹雪の為に、明日からお弁当を作ってあげようと考えられるくらいには、紺子は寛大だった。果たして、吹雪は砂糖と塩、どちらの味の卵焼きが好きなのだろうか。明日は、今までよりもっと早起きしなくてはならない。



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