「……山菜?」

 校庭の隅で、見知った背中が蹲っているのを見つけた蘭丸は具合でも悪いのかと駆け足で近付いた。すると、その背中は蘭丸が声を掛けるよりも先に驚いたように丸めていた背中を突然はね上げた。それに蘭丸も驚いて一瞬動きを停止すると、彼からは死角となっていた場所から猫が一匹ぱぱっと飛び出して来て走り去って行った。首輪はしておらず、どうやら野良猫の様だった。近くの茂みに猫が飛び込むのを目で追って、その姿が見えなくなると蘭丸は先程まで蹲っていたと思っていた茜の方に目を向ける。どうやら、蹲っていたのではなくしゃがみこんでいたのだろう。戯れていた相手が突然逃げ出してしまったことに茫然としているのか、未だしゃがみこんでいる彼女の手には携帯電話。普段手にしているカメラは見当たらず、彼女にしては珍しく携帯で猫の写真を撮ろうとしていたらしい。きっと、蘭丸の近付いた足音の所為で猫は逃げ出してしまったに違いなく、また茜は写真を撮ることも出来なかったのだ。根底は心配の情故非などある筈もないのだけれど、何故蘭丸が此処にいるのか分からずにじっと見つめてくる茜の瞳を受け止めようとする度に、一緒に見える眉が段々と残念そうに下がって行っているような気がしてじわじわと申し訳ない気持ちが生まれ始める。

「猫…悪かったな」
「ううん、私の猫じゃないから大丈夫」
「そうだろうけどさ、写真撮ろうとしてたんだろ?」
「可愛かったから。一枚だけなら撮れたよ」

 えっとねえと、茜は開いたままだった携帯をぽちぽちと操作して、それを蘭丸に差し出す。反射的に彼女の携帯を受け取った蘭丸は画面を覗き込む。そこには、先程自分の横を通り抜けて行った猫がだらしなく腹を晒しながら不細工に伸びきった顔で映らされていた。
――手懐けていやがる。
 画面越しに伝わってくる猫の安心しきった顔を見ながら、これは人慣れしているというレベルではないと妙な確信を得て蘭丸はやはり申し訳ないと思った。今度は、こんなに寛いでいたのに自分の所為でこの場を追われてしまった猫に対して。

「可愛いでしょ?」
「いや、この写メだと完璧に不細工だぞ」
「そこが可愛いのに…」
「そうかあ?」

 茜に携帯を返すと、蘭丸の不細工という言葉に彼女はむっとしたように少し頬を膨らます。だけど蘭丸は悪びれずにもう一度不細工だよと繰り返す。今度は、茜は自分に言われたのかと勘違いしたのか慌てて膨らませた頬を元に戻した。噛み合わない会話が、感性が、自分と彼女に何ら共通項のないことを突き付けるのに、それはお互いを嫌いとまで貶める要因には至らないことを蘭丸は不思議に思う。一緒にいても何も感じないとまでは言わないけれど、きっと自分の中で彼女の位置を定めあぐねているのだろう。部活のマネージャーで充分。では、部活のマネージャーとは自分の中で一体どういう位置づけなのだと問い出すと、結局答えのない堂々巡りを始める羽目になる。だから、考えないのが一番楽なのだ。

「山菜は、携帯でも写真撮るんだな」
「え?」
「いつもカメラ持ってるから。写真は何でもそっちで撮るんだと思ってた」
「あれだと片手で撮れないんだもの」
「まあ、そうだろうな」
「猫のお腹ごろごろしながら、カメラは構えられないでしょう?」

 「携帯より、カメラの方が好きだけれど」と後付けして、茜は蘭丸に向かって携帯を構える。一瞬、彼女が何をしようとしているのか分からない。「笑って?」と茜が言ったことで漸く彼女が自分を撮ろうとしていることを理解して、要求に反して顔を顰めてやる。茜は蘭丸が嫌そうな顔をしたことには触れずに「写真撮ろうとしてるって分からなかったでしょ」とにっこりと微笑んだ。そしてそのままぱちんと音を立てて携帯を閉じる。
 撮られたい訳ではなかったけれど、素振りだけ見せて何もしなかった彼女の行動に、自分だけが振り回されている気がして蘭丸は顰めた顔を元に戻すことが出来ない。こんな表情だから、撮るのを止めたわけではないのだろう。だってこれが、相手が神童だったら、嫌そうな顔も素敵とか言いだして遠慮なく連写モードまで使い出しそうだと、蘭丸は失礼ながら割と現実味を帯びた仮定として想像出来るのだから。

「撮らないのか?」
「だって嫌そうな顔した」
「神童だったら撮るだろ」
「……シン様は校舎裏で寝っ転がったりしないでしょ?」
「は?」
「その人や物が一番素敵だと思った瞬間をちゃんと撮りたいの」
「猫は?」
「あの子はぐうたらしてるのが一番可愛いんだよ。素敵とは違うかもだけど……やっぱり素敵でもあると思う」

 どうやら、蘭丸には理解での追いつかない茜なりのこだわりがあるらしい。それすらも、今この瞬間に初めて知ったことで、蘭丸は少し意外だと彼女に観察するような眼を向けてしまう。正直、自分の幼馴染をレンズ越しに眺めているだけの女の子だと思っていた。話せないから、近づけないから、写真を撮る。それは自分の憧れという感情を満たしたり制御する為の手段で、写真を撮るという行為そのものに愛着があるとは思いもしなかった。

「…写真撮るの、好きなんだな」
「うん、好きだよ」
「猫も好きなのか」
「うん。犬も好き」
「神童のことは?」
「シン様は憧れ。サッカーをしてる姿が一番素敵」
「ふうん、」
「霧野君も、同じだよ」

 好きと明確に区別するように紡がれた憧れに、蘭丸はまた意外だと目を見張り、そして同時にそうかとどこか安心したような心地になっていることに気付く。そして、彼女の言う憧れの対象が最も輝かしい姿は、自分が最も輝かしくあれるのと同じであるらしい。
 それなら、ちょっとばかり自分にも見込みがあるのかもしれない。茜の、ほんの一面に過ぎない好みを探りながら、知ることが出来た今を喜ばしく思っている自分を、蘭丸は何処か客観的に眺めるように受け止めた。自分が彼女に向けている感情は、きっとまだ興味の域をでない。友好的であるだけで、好意ではない。だけど、これから先この気持ちの行き先がどう転ぶかなんて、きっかけ一つで分からなくなるのだろう。だから蘭丸は自分の正直な欲求にしたがって、茜のことを知りたいと思う。こうして気持ちの行き先を思案している時点で、辿り着く場所なんて分かり切っているも同然なのだから。


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百の望遠鏡でみつけて
Title by『ダボスへ』





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