朝、下駄箱を覗き込む。そうしたら、自分の上履きの上に置かれている封筒を見つけてしまって、拓人は何だか朝からしょんもりしてしまった。これっぽっちもときめかないなんてうっかり口に出したら怒られるだろうか。誰にって、きっと差出人の周囲の人間に。だってこれは、ラブレターと呼ばれる類の手紙なのだろう。ありったけの好意が籠もっているのは理解する。理解するから気が重い。端から応えられない気持ちを不意打ち同然に差し出されるのは苦手だ。封筒の裏面に記されたクラスと名前は、生憎同学年というだけで拓人には一切心当たりのないものだった。 真っ白でシンプルな封筒は好ましかったけれど、その裏面に書かれた名前の字体はあまり好みではなかった。女の子らしい字体といえばらしいけれど、拓人の好みの中に女の子らしい字を書く子という項目は存在していないため全くプラス要素としては働かない。 周囲を見渡しても、差出人らしき人影はないから、自分が登校するよりずっと前に下駄箱に仕舞われていたのだろう。もしかしたら昨日の放課後からなんて可能性もある。やはり気乗りしないと溜息を吐いてもう一度周囲を見渡して探る。今度は差出人ではなく、自分の知り合いにこんな手紙を手にしている自分を見られていないかどうかを確認する為に。 理由は上手く説明できないが、一番適切な表現は気恥ずかしいからだろう。尤も、拓人はラブレターなんて貰ってもちっとも喜んでいないので、これをネタに知人にからかわれても恥ずかしいよりも面倒臭いという念が勝っている為、気恥ずかしいという表現もあながち正解とは言えないのがこの際突き詰めない方向で行く。 見知った顔も見当たらず、良かったと安堵して教室に向かおうとする。手紙を取り出して直ぐ考え込んでしまったので、まだ靴を履き替えていなかった。漸く靴を履き替えている間、つい手紙を手にしたまま動作を行っていたのが悪かったのだろう。足元に落としていた視界の中に、すっと人影が近付いて止まった。誰だと思って顔を上げれば、隣には水鳥がいて、拓人の手にした真っ白な封筒を興味津々と見つめている。 「モテモテだねえ、キャプテンさんは！」 「…瀬戸」 「…？朝からラブレター貰ったってのに、随分浮かない顔してんじゃん」 「時間帯は関係ない」 教室にいる時に直接渡しに来られなかっただけまだ機嫌は上向きなんだ。拓人の過去の苦い体験を知らない水鳥に言っても仕方ない言葉を苦虫を噛み潰しような表情共々飲み込む。以前教室まで訪ねてきて告白と手紙を同時に押し付けてきた女子がいたことを思い出す。クラスメイトの視線を憚らずの行いに感嘆するのは結局第三者でしかなく、拓人は終始巻き込まれたという被害者意識の中から動くことはなかった。相手も背水の陣のつもりだったのかもしれないが、拓人もかなり追い詰められた心地がしたものだ。あんなに必死なんだから応えてやればいいじゃないかと無責任な発言をする輩もいた所為か、拓人は結局そうやって周囲の同情を集めて自分の動きを封じたいが故の打算だと相手の告白を穿った目線で分析してしまいかつてない素っ気なさでその場で断ってしまった。唯一、拓人の心情を察したらしき蘭丸が気にするなと肩を叩いてくれたことだけが救いだった。あれから暫く告白や手紙を貰う機会は減っていたような気がしていたが、これはほとぼりが冷めてきたということなのだろうか。 「どうした？」 「いや、ちょっと考え事だ」 「もしかして、ラブレターとか貰っても嬉しくないとか？」 「正直…、まあ、あまり…」 「はー！？モテる男は言うことが違うねえ、嫌味かっつうの！」 「違う！そんなんじゃない！」 「そんなんってどんなんだよ！」 「それは…、」 「全く…、なんでこんなハッキリしないなよっちい男がモテるんだか…」 心底理解できないと言葉と共に顔を顰めながら水鳥はじろじろと拓人を頭の先から爪先まで観察してくる。女子にこんな剣呑な瞳で見られた経験が殆どない拓人にはどうにも居心地が悪い。だが自分をそういう、恋愛対象として見ない、寧ろ性別すら意識していないような水鳥の物言いが胸に刺さる反面、心地良いのも否定しがたい事実だった。理解できないと言われたことも、何も知らないくせに理解した気になって擦り寄ってくる女子よりもずっと好ましい。 見た目やサッカー部に入った動機の割に、水鳥は最近では普通にマネージャーの仕事をしているし、不甲斐ない部員には誰であろうと活を入れる等真っ直ぐな女の子だと思う。だが拓人から見ると裏表のない女の子というのは生きづらいもののように思う。グループだとか、その集団の中で求められる型にハマらない人間は男女問わず煙たがられるものだろう。きっと水鳥本人にこんなこと言っても考え過ぎだとか、思考までなよっちいと鼻で笑われるのだろうけれど。 「てかさ、アンタそれ果たし状なんじゃない？」 「は？」 「今まで振ってきた女共が結託してヤっちまおうぜ！みたいなノリでさ」 「いや、流石にそれはないと思う…が」 「言い淀むなよ。ま、女は色々面倒臭いし狡いし厄介なんだから気を付けな」 「…でも瀬戸は違うだろ？」 「……そういうこっちゃないよ」 呆れたように、教室へ向かおうとする水鳥の隣に並んで拓人も自分の教室に向かおうと歩き出す。すると水鳥はもっと離れて歩けと拓人に悪態を着き始めるからちょっとばかり傷付いた。 だからちょっとばかり意地になって、それにどうせ進行方向も同じなのだからと水鳥との距離を離すことなく歩き続けた。水鳥は当然、面白くなさそうに顔を歪めている。 「ああもう！お前もっとゆっくり歩くなり抜かしていくなりしろよ！」 「何がそんなに嫌なんだ？」 「アンタと仲良いって思われたら色々面倒なんだよ！」 「………」 「あ、いや、アンタが悪いとか嫌いとか、そういう意味じゃないからな？」 「ああ、分かってる」 拓人の言葉に、不快そうな表情から一転してほっとした色を浮かべる水鳥に、拓人は彼女が勘違いしているようなので内心で謝罪を一つ。水鳥の言葉に沈黙したのは、彼女の言葉に傷付いたからとかではなくて、周囲が自分と水鳥を仲が良いと思うならそれはせれで好都合だなんて思っていたからだ。嫌がりながらも、自分からは拓人を置いていかない水鳥の態度も、拓人の気分を良くしていた。 結局、拓人と水鳥は教室まで会話に興じながら一緒に並んで歩いた。自分の席に着く頃には、拓人は貰ったラブレターのことなどすっかり失念していて、明日もこの時間帯に来れば水鳥と話せるだろうかとそんなことばかり考えていた。 ――――――――――― 或る恋の肖像 Title by『≠エーテル』 |