※同じ学校に通ってる


 暦上の数字とは別に、ここ数日の天気予報の数字を見る限り気温は例年に比べて大分温かいようだったから、今年はこのまま暖冬になるのかもしれないと期待していたのが昨日までのこと。立向居の所属するサッカー部の活動は年がら年中屋外で行うものだから、冬の寒さが和らぐならばそれはとても喜ばしいことだ。特にキーパーなんて、他のポジションに比べて直ぐに汗が冷えてしまう。シュートを打ち合う攻撃的な試合ならいいのだけれど、中盤でボールを奪い合う展開に落ち着かれると立向居はじっと目を凝らしてゴール前からボールを見失わないよう気を張るしか出来ない。だから、立向居は冬になると出来るだけ試合形式の練習は減らして欲しいと思ってしまう。勿論、常々思っている訳ではない。練習の成果を発揮するためには試合というものは形だけでも大切なものだと知っている。極論として、立向居はサッカーが出来ればそれでいい。
 だから、午後の授業が始まるとほぼ同時に振り出した雨に立向居は失望を隠せない。冬に差し掛かった季節の陽は既に短い。だというのに、この天気では雨雲に遮られて日差しは普段よりも早くその姿を消すことになるだろう。今日の降水確率はいくつだったか思い出そうとしても、今朝は運悪くいつもより目覚めが遅かった為テレビを着けていない。慌てて駆けていたからはっきりとは分からないけれど、もしかしたら登校中追い越した生徒達の中には傘を片手に歩いていた人もいたかもしれない。幸い、立向居はロッカーに折り畳み傘をしまっているから、突然の雨に帰宅を妨げられることはない。妨げられるのは、大好きなサッカーの方だ。
 午後の授業の一限目を落ち着きなく終えると、立向居の懸念通り今日の部活は雨で中止になったと他の部員から連絡が回ってきた。どうやらこの雨は急速な雲の移動があったらしく週間予報にはないものだったらしい。その為、雨の際の筋トレの場所が確保出来なかったのだ。雨は既に、どしゃぶりと呼んでも差し支えない程に音を立てて降り続けている。
 ――サッカーしたかったなあ。
 サッカー部の大半が、今頃立向居と同じことを思っていることだろう。因みに彼は、毎日午後になると部活の時間が待ち切れずに同じことを考えている。

「立向居君」
「――はい?」

 不意に背後から呼ばれて、反射的に返事をしながら振り返る。予想する人物はいたのだけれど、振り返って相手を視認するのと予想するのがほぼ同じ速度で行われたので、立向居はやっぱりと頷くことは出来なかった。一つ上の教室にいる筈の少女は、後輩だらけの教室を後ろの入口から覗き込みながら、立向居に向かって小さく手を振っている。

「冬花さん!」

 語気は驚きで荒いけれど、声量はなんとか抑えて冬花の元へと駆け寄る。廊下側の席に座っている何人かは珍しい先輩という存在の来訪に落ち着かなかったらしく、立向居が冬花の前に立つと直ぐに席を立って友達の席まで歩いて行った。少しだけ興味深そうに、冬花と目が合わないように探るような眼で立向居を見遣る人間もいる。それが、彼が珍しく女子を下の名前で呼んでいるからだということは、立向居も冬花も気付かない。

「どうかしたんですか?」
「部活が休みって連絡はもう貰った?」
「あ、はい。今さっき聞きました」
「ふふ、残念そうだね」
「えっ。まあ…サッカーしに学校に来てるようなものですから…」
「うん、立向居君らしいと思うよ」
「あ…ありがとうございます」

 褒められたのだろうか。よく分からないけれど、冬花が自分のらしさについてイメージを抱いてくれていることが単純に嬉しかったので、取り敢えず礼を述べておく。冬花が胸の前で伸ばし掛けていた手を無言で引っ込めたことには敢えて言及しない。恐らく、立向居の頭を無意識に撫でようとしていたのだろう。
 立向居にはよくわからないことだけれど、冬花の感性によると、彼の仕草は時折彼女にはひどく可愛らしく映るらしい。そういうのを目に留めた時、冬花は自然と立向居の頭へと手を伸ばし優しく撫でてみせるのだ。好いた相手からの愛撫は嬉しくないことはなかったけれど、そこに冬花が込める情は決して立向居が彼女に向けるもの、求めるものとは絡まらないから寂しくもある。一歳の年の差というものは、人によっては数か月の差に過ぎないのだからあまり気にし過ぎる必要はないと思う。冬花も、自分が年下だから撫でて愛でるのではないと理解している。だけど、もし自分が同級生と通り越して年上だったら、容易く頭を撫でられたりはしないのだろう。今はそれ程ない身長差を恨めしく思うこともないに違いない。

「ねえ、今日一緒に帰らない?」
「え!?」
「傘ならあるよ。あ、でも立向居君は置き傘あるんだっけ」
「か…傘はありますけど…一緒に帰りたいです!」
「うん、帰ろう。それから、私は傘を持ってなさそうな人を誘ってる訳じゃないよ?」

 じゃあまた放課後に迎えに来るね、と言い残して冬花は自分の教室へと踵を返した。冬花の言葉に、立向居は色々とその真意を尋ねたかったのだけれど、若干の混乱を抱えたままの頭ではまともな言葉も紡げないだろうという冷静な部分もあって、結局黙って見送るしかなかった。手を振ろうかとも思ったが、直ぐに冬花が階段のある角を曲がってしまったのでそれも出来ずに終わった。ぼんやりと冬花の姿が消えた廊下を見詰めていると、いつの間にかチャイムが鳴っていたらしく教室の中からクラスメイトに声を掛けられた。初冬とはいえ、雨の日は冷える。きっと早く戸を閉めて欲しかったのだろう。ごめんと謝って、慌てて自分の席に戻ったけれど、冬花と一緒に下校することで頭がいっぱいになってしまい、残りの授業は始終ぼんやりと過ごした。


 放課後、約束通り立向居の教室までやって来た冬花は傘を持っていなかった。きっと生徒玄関の傘立てに置いてあるのだろうと教室を出る時は思っていたのだが、靴を履き替えても冬花は自分の傘を探すそぶりを見せない。流石に不思議に思ってじっと冬花を見ていると、視線に気付いた彼女は立向居に向かってにこりと微笑んで間に在った距離を無くすように近づいた。

「立向居君、傘あるんだよね。入れてもらっても良い?」
「構いませんけど、あの…傘あるんじゃあ?」
「うん。でも立向居君も持ってるみたいだったから…傘忘れた子に貸しちゃった」
「はあ…」

 まだ呆気に取られている立向居を置いて、冬花は外に出て行く。雨の所為で閉め切られていた扉が開かれたことで、先程まで聞こえていなかった雨音が随分と煩く響く。冬花が振り向きざまに発した「早く」という言葉も押しつぶされてよく聞き取れなかった。傘を手に慌てて冬花を追うとひんやりとした空気が顔に触れる。この雨を機に、一気に冬らしい気温になってしまうのだろうかと思うとどうにも気が滅入る。冬花と一緒に帰れることに浮かれていてもそんなことを思うのは、やはり自分からサッカーが切り離せないからなのだろう。折り畳み傘を開きながら、そろそろ外の水道水は冷たくなって、そうしたらマネージャーの仕事もやりづらくなってしまうだろうかと、冬花の方をまた見遣る。

「またサッカーのこと考えてるの?」
「え…」
「立向居君は分かりやすいね」
「そ…そうですか?」
「うん、わかりやすい。でも、今日の私の行動だってわかりやすいと思わない?」
「……」
「サッカーにヤキモチ焼いたりはしないけどね」
「そ、それって…!」
「今日は私と早く帰ろう」

 立向居の手から傘を奪って、冬花は空いた手で立向居の手を掴み玄関を出てすぐの段差を飛び降りた。跳ねた泥が冬花の白いソックスに斑点を作り汚したけれど、そんなことは気にも留めていない様子で、差した傘の下、影の落ちた冬花の表情はいつも通り落ち着いていて、だけども立向居はそれを直視することが出来ない。先程の冬花の言葉の意味だとか、わかっていたけれど相合傘をしている状況だとか。様々な情報や状況を総括して正しく理解するための思考回路が上手く働いてくれない。きっと、今自分の顔が真っ赤になっているだろうことは理解できるから俯いて必死に隠そうとする。煩い筈の雨音は、ばくばくと鳴り響く立向居の心音をかき消してはくれなかった。


―――――――――――

雨がやんだら花もこぼれて
Title by『ダボスへ』




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -