毎日窓から見る世界は狭くて高い。手に入れることなど出来ないと知りながら延々と外を見詰めるリカの瞳は、一度たりともマークには向かわない。マークはもう、長い間リカの背中ばかりを眺めていた。月日が経つにつれゆるりと伸びていく彼女の水色の髪を、背後に立って掬いあげてキスを落とす。少しだけくすぐったげに息を吐くリカは、やはり窓から外を眺めていた。

「今日も、外に出ないのか?」
「んー、出とるよ?だってこんなにええ天気やん」

声だけなら、いたく陽気なのだ。それでも視線は窓の外、太陽の光に眩み目を細めるから今にも泣き出しそうな表情に見える。窓越しに見えるリカの顔は左右対称であるが、そこに浮かぶ感情はありありとマークに届く。今日の晴天の空とは裏腹に、今にも泣き出しそうな瞳は、もう出会ってから何度もマークの網膜に焼き付けられてきた。
リカはいつも、窓を開けることなく外を見つめる。しかしそれと同時に外にも出る。リカが住む家は少し便の良い都心からは離れていた。閑静な場所に経つ家の庭で一人佇んでは空を見ている。そしてその姿を、リカは何故か頑なにマークには見せようとしなかった。マークにも、頑なとしてリカと行動を共にしなければならない理由を正統的に纏めてリカに説明することが出来なかった。いつだって、一緒にいたいとは願っていて、思っている。行動には、まだ出来ない。彼女がそれを、きっと受け入れてくれない。だからマークはいつもリカの背中を見つめ、そこから微かな変化を見出してそれを知るたった一人の人間であることに、優越感を抱いている。これもたった一人、一之瀬一哉、その人に。

「…今度、アメリカ代表にまた収集が掛ったんだ」
「そうなん?…じゃあ、どっか遠征?」
「いや、招待試合なんだ」

 少しほっとした風に息を吐くリカの真意は、果たして此処か、それとも、遠い何所かなのか。リカが捨てようと躍起になった恋心を、マークは賤しいと知りながら利用している。此処に居て良いよ、なんて慈善じみた言葉で、此処に居て欲しいという本音を隠している。
 最初は、ただリカと一之瀬の距離を離すことが出来ればそれで良かった。時間と距離は、人の気持ちを変えるのに格好の材料なのだと思っていたから。それでも、空白を重ねてもなかなか真っ白にならないリカの気持ちと埋まらない自分との距離はいつもマークを焦らすのだ。
 だからマークは、自分の出場する試合を、スポーツをする人間としては最高峰の舞台である国家代表という身分のその試合を、応援してくれとは言えないのだ。当然のようにテレビ中継されることをしながら、見てほしいとも言えなければ見たのかと問うことも出来ない。仮に訊ねて、その答えが肯定であった時、そこに生じる「誰を見てたの」という問いの答えいかんでは、マークの弱い心はあっさりと引き裂かれてしまうだろうから。

(リカはカズヤが好きなんだ。出会った頃からずっと。今でもずっと。俺はリカが好きだけど。カズヤはきっといつだってリカに優しくするんだろうな。それはきっと残酷で、冷たくて、温かくて…だけどやっぱり酷いことだ)

 ぐるぐると巡らすのは思考であり嫉妬である。一之瀬のプレーを、マークはキャプテンという立場にありながらずっと羨んできた。リカに思われる一之瀬を、やがて男というたった一点に全てを置き換えて嫉んだ。負けたくないなんて、思ったことはない。だって最初から負けているのだから。何年前の何月何日。そんなことまでは覚えていないが、自分の記憶する限りの、リカが一之瀬との接触を一切断ったあの日から、リカの背中ばかりを見つめ続けて、気付けばマークはリカよりも随分と身長も伸びたのだ。窓越しにかち合う瞳は、そんなマークの成長を目視しながらやんわりと受け流し微笑んできた。初めて出会った頃の豪快な笑い声はもう、マークの鼓膜を震わせることない。脳なのか心なのか、決して崩れ去ることなく今でも鮮明に再生されるのはマークの思い出の中だけだ。
 カズヤは変わったよ。もう初対面の人間の前で妙なポーズを取ることはないし、俺達と出会う前からずっと想っていた女の子は日本で別の男と結ばれたんだって言っていた。サッカーもリハビリをとっくに終えて、リカの記憶に在る中学の頃よりもずっと磨きが掛かったプレーをするんだ。本当、男の俺から見ても厭味なくらい完璧に映る男だよ。
 もし、マークがリカをこんなにも恋しく思っていなければ、こんなセリフを何度だって囁いてやれるのだ。どれほど妬んでも上手く貶すことは出来なくて。自分が惨めになると知りながらも褒め讃えることならいとも簡単に成せるのだから、もう嘲笑でも何でも自分に向けてやるしかないだろう。

「マークはまたキャプテンなん?」
「…ああ、」
「頑張ってな、応援しとる」
「…!…ありがとう」

 情けないことに、自分では全く貰えるとは思っていなかったリカからの激励の言葉にあからさまな動揺と感激を漏らしてしまう。リカは一瞬目を瞬かせた後、心底可笑しそうに顔をくしゃくしゃにして笑った。声こそ上げなかったものの、それこそここ数年は見なかった、懐かしい笑い方。

「次、マークが此処に来たら、一緒に出掛けよか」
「え、」

 天気の良い日にでも、と言葉を続けながら、リカはマークを振り返った。これまで、マークに背中を向け続けた彼女が、あっさりと、マークと向かい合ったのだ。それでも、マークにはそのリカの一挙動がやけにスローに移り、そして劇的に思えた。自分がこれまで内に抱えていた色々な汚い感情が許されたような、妙な感覚が腹から胸にせり上がって来て上手く呼吸が出来ない。
 リカが鮮やかに微笑むから、マークの瞳から涙が一滴だけ落ちた。少しずつ距離を縮め終えたリカは、背伸びをしてマークの前髪に軽くキスを贈る。ガラスに映った姿では無く、直に合わさった瞳を覗き込みながら、マークはリカを抱き締めた。触れられる、ずっと触れて良かった。それだけが、今限りなくマークを満たして安心させた。
 リカの誘い通り、次この家を訪れる時は一緒に出掛けよう。たとえ天気が良くなくとも、出掛けよう。リカがいればそれでいい。幸せで言葉に出来ない気持ちを胸に、マークはリカの髪にキスをした。



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貴方の瞳に映らない景色
Title by『にやり』





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