※パラレル ※人間×アンドロイド 山野バンには川村アミという幼馴染がいる。同い年で家も隣同士なのに同じ学校に通っていないのは、アミの方が私立のお嬢様学校に通っているからだとか、身体が弱くて学校には通学できないからだとか、根も葉もない噂はバンに真偽を問うことも情報の発信源となることをも求めないまま今日も彼の頭上を飛び交っている。 そんな無責任で無関心な言葉を耳で拾ってしまう度、バンは心の中で訂正を入れている。自分にいるのは、幼馴染のように小さい頃から一緒に生活している女の子型のアンドロイドで、学校には通っていないし、丁寧なメンテナンスで体の不具合を訴えたことは今まで一度たりとも存在しないよ、と。 山野バンの父親は山野淳一郎といって、世界的に有名な科学者だった。子ども用のホビーから医療用、家庭用様々な発明をして来たロボット発明の権威で、どれだけ優秀な発明をしても満足することなく寝る間も惜しんで研究開発に心血を注いでいるような仕事人間。そんな人間が良く結婚して一児を設けたものだと、バンは世間一般の父親像を学んで行く内に思った。母親曰く、研究人間になる前に出逢って結婚したのだという。今になって思えば滑り込みセーフといった所ねと気楽に笑う彼女を見ている限り、家族団欒からは程遠くとも円満な家庭ではあるのではないかともバンは思っていたのだ。 父親の研究が認められ、アメリカに研究施設を持たないかと誘いを受けた時、家族に相談なしに二つ返事で頷いた時は流石に引いたがそれ以上に母親が着いていくと言いきったことは衝撃だった。挙句バンは好きな方を選んでいいよと放るのだから、つい意固地になってアメリカなんて行かないよと日本に残ることを選んでしまった。これまで家事なんて皿運び程度の手伝いしかしたことがなかったバンに、日本に残っても良いと許可を出した両親の心境が信じられなかった。けれどその理由を、バンは両親がアメリカに出発する三日前に知らされた。 「家事とかそういうのは全部この子がやってくれるからね」 そう言って覗き込まされたのは、バンの背丈より少しだけ大きいカプセルケースの中で眠る女の子。下ろされた瞼と落ちる影、自分の家の血筋には見かけない淡い紫の髪。可愛らしい顔立ちだと思った。けれど小さい頃から父親の隣で彼の作品たちに触れてきたバンにはわかってしまう。この子は人間ではないと。 バンの生活を支える為だけに用意されたアンドロイドだと母親から聞かされた。父親からは、彼女の正式名称を聞かされた。英語と数字の羅列。一度ではとても覚えられなかったし、マニュアルだと手渡された察しい書きこまれた文字をなぞっても、彼女を呼ぶのに全て唱えていたらとても時間が掛かってしまうだろう。そう愚痴を零せば、父親は呆気なくこの子はバンの物なのだから好きに名前を付けてやったらいいじゃないかとさも簡単なことだという風に言ってのけた。自分の作品に愛着を持つ一方でアンドロイドを人間ではないと明確に理解している父親の言い分が間違っているとは思わない。だからバンは、お言葉に甘えて名前を与えることにした。 『――アミにする』 丁度学校でローマ字の読みを習ったばかりだった。だから、単純にアミの製造ナンバーのアルファベットを全て繋げて読んだだけの名前。それでも十分人間らしい名前だった。苗字は滅多に必要としないだろうが、昔隣に住んでいた川村さん宅から拝借することにした。 「――初めまして、バン」 カプセルから起き上がったアミが初めて発した言葉。バンのデータや炊事洗濯掃除といった実生活のプログラムも既に完璧にインストールされていたアミは、生まれたての完璧な人間のように振舞って見せた。メンテナンスも自分で出来るようになっていたらしく、先にも述べたとおりバンは彼女の不調に遭遇したことがない。背丈や人格が母親の世代でないのは、バンに気安さを与えるためだと説明されている。その思惑は功を奏し、バンはアミをあっさりと家族として受け入れた。彼は父親ほど、人間とアンドロイドの線引きを明確にしていなかった。父親ほど密に接する機会がなかった所為もある。 しかしいくら表情が同年代の少女と同様に変化し会話も触れ合いもこなせるとはいえ、一緒に生活していればやはりアミはアンドロイドなのだと実感する機会は非常に多い。アミは物を食べないし、毎日眠る必要はない。そして引き会されてから三年が過ぎても彼女の容姿は一向に成長しない。初対面ではバンより少し高かった背丈を、彼は少し前に追い越してしまった。その時、バンはどうしてか「何故アミはアンドロイドなのだろう」と疑問に思ってしまった。アンドロイドでなければ、バンと出会い身近な存在にすらなっていなかったのだから意味のない問いだったし、答えは単に自分の父親がそう作り上げたからだとしか言えなかった。世間での一般常識、様々な言語、学問すらもインプットされているアミは不必要に家の外に出ることなく、バンの為だけに彼の帰りを今日だって夕食を作りながら待っている。そんな生活に、バンはもう慣れきってしまっていた。 ある日バンが学校から帰って家の扉を開けると、家の中が暗かった。アミとの二人暮らしとなってから、こうした事態は非常に珍しいことだった。時折アミが食料の買い出しに行く時間がバンの帰宅と被ってしまった時にだけ起こりうること。つまり彼女は今自宅にいないのかと思いきや、玄関には彼女の靴が綺麗に揃えられて並んでいる。 冷やりと背中に予感が走る。最近、アミの調子が良くなかった。故障だとか、これまで出来ていたことが出来なくなったとかシステム的な面の問題ではなく。アンドロイドであるにも関わらず何か思い詰めた表情を見せることが多くなったのだ。アミも自分の不調を感じ取っているらしく、バンの前であっても口数が少なくなっていた。 「――アミ?」 リビングに向かい明かりをつける。まだ陽は落ち切っていないのに何故こんなにも暗いのか。答えはきっちりとカーテンが閉められているから。おかしなことばかりだと、リビングから続いているキッチンに足を向けると、そこにはアミがいた。呆然と床に座り込んで、瞳には光が差し込んでいない。メンテナンスだったりで電源が落ちている際は人間が眠っているかのように瞼を落とすのが普通だったから、今のアミは確かに稼働している筈だった。それとも突然の不具合が生じたのだろうかと慌てて駆け寄って肩を掴めば、びくりと反応を取り戻しアミはバンが帰ってきたことを初めて知ったと驚いたような顔をする。「お帰りなさい」と微笑むアミに、バンは怪訝な顔を返す。 「ねえアミ、どうしたの?調子が悪いならメンテナンスして来たら?」 「…メンテナンスなら昨日したばかりなの…。その前は三日前…。メンテナンスでは何の問題もないのよ」 「だけどやっぱりどこかおかしいの?なら父さんに連絡して見て貰った方が…」 「山野博士にはもう連絡を入れたわ。データを送ったけれどどこにも不具合は見つからないって言われたの」 「じゃあどこか…」 「ねえバン、私は貴方の生活のサポートをする為に作られたアンドロイドよ」 「――うん、」 「私の身体も、声も、知識も全部山野博士が作り上げた物で、何一つ自然には生まれ得なかったもの。そうでしょう?」 「アミ?」 「……怒らないでね、バン。そうしようと思ったわけじゃないの。おかしいとは思うのよ、私だって、アンドロイドだって自覚あるんだもの…だけど、これは――」 「何なのアミ、どうしたんだよ!?」 「私、バンのこと、好きよ」 「―――え」 「こうして二人きりでいられること、幸せよ」 怒らないで、嫌わないで。アミは繰り返す。アンドロイドとして刻まれている本質だとでもいうのか。好きという――そもそも感情を持つこと自体が異常であることを理解し、いけないと警鐘を鳴らしている。 バンは、上手く答えを返せない。好きでない筈がなく、不幸せなどでもなかった。両親と離れ暮らすバンの生活は文字通りアミがいなければ本当に成り立たないレベルで維持されているのだ。バンにとっての、当たり前。父親からお前の為に作られたと教え込まれ、理解し、変わらないと思ってきた。それはその通りで、アミが自ら意思を持ってバンから離れていくことはない。 自分の異変に愕然とし、アミは座り込んだまま床に視線を落としている。それは、バンから糾弾されることを恐れる幼子のように弱々しく小さい印象を与えた。出会った頃、バンよりも高かった背丈と年嵩。全て並び追い抜く。アミがバンを置いていくことはない。バンだけが、年を取り成長することでアミを置き去りにしていく。止まることの出来ない、生きるという営み。愕然として、アミの手を取る。人間の温度を持たない手を、それでも冷たいと思ったことなどなかった。 「…アミ、俺は――」 バンの声に、アミがのろのろと顔を上げる。機会の瞳が光の加減で揺れる様が、涙を湛えている様に映る。 アミの手を握る手に力を籠める。どれだけ渾身の力を籠めてもアミが痛みを訴えることはない。けれど離したくないと願ったこの気持ちが、この先離れていくだけの自分たちの未来を覆う悲壮感が、恋情でなければ一体何だというのだろう。 バンが伝えた気持ちを、確かにアミが受け取った瞬間彼女の頬を伝い落ちた物が涙だったのか、それとも別の何かだったのか、それは誰にもわからなかった。 ――――――――――― 泣くのは夜が明けてから Title by『ハルシアン』 |