地面からの平行線を追っている。真剣な眼差しに上体が傾いだ。支えるべきか、伸ばし掛けた手をそのままに悩む姿は揃って滑稽なことだろう。熱視線、気付くことなく小さなお尻を振りながら可愛い小型犬は花壇の縁を歩ききった。途端、上体を起こして拍手を送るユウヤに、ジンは漸く手を引っ込めてなんてことはないと視線を外した。地面と花壇の高さおおよそ五十センチか。目測で、しかし落ちたら痛いだろうねとユウヤは呟いた。ジンは「落ちたのならば、そうだろう」と頷きと同時に「しかし君、そう簡単に落ちるとも思わんがね」という意見を飲み込んだ。賢いのか大人しいのか、前者は後者を兼ねるだろう。果たして後者はどうだろうかと、日曜日の中央公園をリードなしで闊歩する小型犬を今度はジンが視線で追う。定位置は飼い主の右側ななめ後ろらしい。人間と犬の歩幅の違いのせいか、定位置を維持するために必死に動かす四肢がいじらしい。
 車両立ち入り禁止のポールを過ぎるところで、飼い主は犬の首輪にリードを着けた。なるほど、車に轢かれる心配がない場所でのみ自由に歩かせているらしい。行き届いた躾は、それでも犬の行動範囲を広げてはいないようだったけれど。

「与えられた自由というものにはどうも、気付きにくいのかもしれない」

 ジンが呟くと、まるで正反対の方を向いていたユウヤが――彼の視線の先にはまた別の犬がいて――よく聞こえなかったらしく「何だい?」と聞き返してきた。別に彼に向けて放った言葉ではなかったので、ジンは何でもないと意を込めて首を振る。二人きりで並んで座っているせいだろう。どちらかが何かを呟けばそれは当然のように相方へ向けた言葉になってしまう。独り言なんて、ぶつぶつとしきりに垂れ流すものではないから。

「犬が好きかい?」
「割と。可愛いと思うよ」
「じゃあ飼えばいいじゃないか」
「うん、でもそれじゃあ、何処にも行かれないじゃないか」
「君が?」
「勿論僕もだけど、それ以上に僕なんかに飼われてしまった彼の方が」

 どうやら架空の飼い犬の性別は雄のようだ。空中で何やら手を動かしているのは、その犬の大きさを示しているらしい。サイズの分類には詳しくないがおおよそ中型犬だろう。やけに乗り気な気もするが、しかしユウヤは犬を飼う気はないという。確かに、今暮らしている場所に定住しているわけでもないのに動物を飼うのは軽率かもしれないが、彼の言動は生真面目なのか重たすぎるところがある。それはたぶん、ジンも同じことだったが本人には自覚がない。これでも段々と軟化してきているのだ。
 Nシティの中央公園は、休日の昼間ということもあって賑やかだ。うるさいのではなく、人の気配が辺りに満ちていて、ベンチに座るジンとユウヤを霞ませている。アイスクリームの屋台から流れてくる子どもたちは揃って親との交渉の戦利品を携えており、しかしはぐれないようにと取られた片手のせいで全体のバランスが悪い。犬に視線を奪われる前は、ユウヤしきりにそういった子どもたちの足もとばかり気にしていた。子どもにも犬にもリードが必要なのだなと思ったけれど、これはきっとユウヤには冗談として通じないと思ったのでジンは黙っていた。
 ジンはユウヤを大切に思っている。境遇の共通点と、分岐点からの差異から生まれた関係。人間として扱われ方をマイナスまで落としていたユウヤを救い上げて、しかしジンは己の不器用さを思い出した。何も教えてやれない。淡々と教え解くことはできるけれど、一度ユウヤが損じてしまった情緒だとかいうもの。幼子のようにはにかむユウヤには、外の世界を見せて素直に感じさせるのがいいだろうと思った。勿論、悪意とか外敵からの防御やら選別の仕方は同時進行で教えていくとしても。
 保護者と呼ぶには大袈裟だった。ジンはユウヤに首輪もリードも着けなかった。ただの子どもだったら力の及ばないことができただけの友人の域だとジンは思っている。要するに、ジンの手助けは最小限でユウヤはここまでやってきた。仲間を得て、操られない意志と記憶を積み重ねて。世界を救った英雄の一人に数えられて、それでもこうして人の流れに埋没しているジンとユウヤは普通の子どもになったのだ。

「犬を飼うなら――」
「雄かい?」
「! よくわかったね!」

 わかりやすく通じることを、ユウヤは嬉しそうに笑う。だからジンも笑い返した。うっかりユウヤが言葉の中に落としてしまっていたヒントに、本人が気付いていないのだ。気付いたジンの手柄としたところで何の問題があるだろう。
 目の前を、カップのアイスクリームを両手で抱えた女の子が駆けていく。ユウヤは「転ばないかな」と呟き、ジンは「溶けてしまうだろうな」と呟いた。別々の人間の発想。掛け合わせて、幼い女の子の未来を懸念していることには変わりなく、二人の顔が揃って小さな背中を追っていく。案の定、大人の男性とすれ違う際に慌てたのか少女は転んでしまった。両手で抱えていたカップが転がり、溶けかけていた中身が無残に地面に伝っていく。ジンが「泣くかな」と呟いたのと、ユウヤが腰を浮かしかけたのがほぼ同時で、しかし女の子は直ぐに駆け寄ってきた母親に抱きかかえられていた。

「よかったな」
「……良かったのかな?」
「転んだまま泣きじゃくるよりいいんじゃないかな」
「そうかな。転ばずにアイスを食べられた方がもっと良かったのに」
「仕方ないさ。何せリードが着いていなかったんだから」
「ふうん?」

 ユウヤはジンの言葉の意味がよくわからないと言った風に、浮かしかけた腰を再度下ろすことはせずに見下ろすように立ち続けていた。ジンは字面通りの意味はないよと釣られるように立ち上がる。「行くかい?」と促すユウヤに頷く。彼は気付いていなかったかもしれないけれど、親子連れや恋人同士が目立つ公園の中でベンチを長時間占領することはあまり好ましくない。まして少年二人が楽しげに会話を弾ませるでもなく、目の前を通り過ぎる犬や子どもを観察しているだけなのだ。如何にも休日にだらけているのを母親辺りに追い出された体ではある。
 もしも自分たちに早くベンチを明け渡さないかなと忌々しげな視線を送ってくる人たちの中にそんな長閑な予想を立てている者がいたのなら、それはハズレだと教えてあげたかった。実際は、大学の研究に曜日も昼夜も問わずに没頭しているジンを不健康だと謗ったジェシカによってお供にユウヤをつけるからと叩き出されたのである。言葉通り、ジンはジェシカに尻を引っ叩かれた。ユウヤは苦笑するばかりで止めてくれなかったことに関しては言及を避けよう。
 ユウヤはジンの前を歩いていて、先程リードを着けない小型犬が通り抜けて行った車両進入禁止のポールに差し掛かりジンが後ろにいるかを確認するために振り返る。リードを着ける為じゃない。首輪もない。狭い道を抜けて、自分たちはきっとどこにでもいける。
 先ずは少し遅めの昼食にでも出かけるとしよう。



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降伏せよ世界は開かれている
Title by『さよならの惑星』



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