タケルがキャサリンの小さな身体を背後から抱え込んで、もう数十分が経過した。奇襲を受けた形のキャサリンは、初めこそ激しい抵抗を示したものの相手がタケルであったこと、小柄さ故がっちりと抱え込まれてしまい抵抗しても無駄だと悟ったこと、何より彼の雰囲気がどうやら覇気がないことが気がかりで抵抗どころではなくなってしまった。ふわふわと宙に浮く結われた髪を巻き込んで、タケルはキャサリンの後頭部にそっと額をあてた。柔らかいのは髪質か、女の子の身体そのものか。実証する気にも今はなれなかった。
 疲労がかさんでしまっただけだろう。小国であったハーネスの、海道ジンを副司令官に据えてからの活躍は目覚ましい。しかし一国の限界を弁える作戦は、さほどタケルに負担を強いなかったし、メカニックとして寧ろその限界を超えるLBXの性能向上に努めたほどだ。しかしメカニックというものは、仲間の機体のメンテナンスがない日に休もうという発想に乏しい連中が多すぎるとキャサリンは思っている。自分の思いついた理論、構造、技術を詰め込んだ新しいLBXの制作に着手する時間を得たと出撃のなかった日の翌朝に寝不足でまぶたをこすりながら食堂にやってくるメカニックをキャサリンは何人も知っていたし、タケルもまたそのひとりだ。仲間の為、自分の為、比べようとしてはいけない。少なくとも、ジェノックに属するキャサリンの為でないことは確かだ。だからいくら睡眠時間の重要性を説いても、タケルが彼女の言葉を聞き入れるかは彼の気紛れと誠実さに懸かっている。ハーネスの為と言われれば、キャサリンは勝手にすればとへそを曲げるだろう。同盟国という繋がりの強度を、まだ疑っているのだ。あの冷静で、寧ろ冷徹な程の担任教師が彼女が指令を出すまで謎に包まれていたハーネスの副司令官をどうして同盟を組むほどに信頼に足る存在だと認めているのかキャサリンが理解するには大人たちはいつだって言葉足らずだったから。ロシウスに次ぐ大国のアラビスタの誘いを蹴ってまでハーネスと結びつく理由。考えるだけ無駄だとわかっている。タケルとこうして一緒にいることは、全く関係ないことだ。それだけで、キャサリンの気は楽になる。

「タケルー?」
「…うん」
「疲れてるなら、布団で寝なさいな」
「キミは?」
「アタシは部屋に帰るわよ。長居は禁物、見つかったら面倒だもの」
「なら寝ない」
「……タケルが寝付くまではいるわよ」
「そういうことじゃないよ」

 珍しく、苛立ちを滲ませた声だった。ただキャサリンは男子のそうした雰囲気に怯むよりは噛みつく性格だったし、タケルを気遣ったつもりの会話でこんな態度を取られることは心外だ。心なしか腹に回されている腕に力が籠もった気がする。意地でも部屋に帰さないつもりだろうか。いつもなら、どちらかといえば勝手気ままにタケルに会おうとして男子寮に忍び込んでくるキャサリンを諌めることが多い彼なのに。どんな顔をしているのか確かめたくても、上体を捻ることすらままならない。けれど確かめられなくていいのだ。もしもタケルが情けない顔をしていたら、キャサリンは彼の横っ面を張ってしまうかもしれないから。貧弱は結構だが、それが自分の好いた男だとは思いたくないのだ。元気がなければ心配するというのに、惰弱との線引きはキャサリンの直感に懸っている。
 けれど元来、タケルはキャサリンに強靭なイメージを与える男子ではない。体格も言動も、どちらかといえば穏やかで軟弱と誤解されてしまいそうだった。それが、LBXの話となると煌々と瞳を輝かせ、自分の新作を動かすに値する理想のプレイヤーを見つければ仮想国の垣根もなんのその、朝からしつこく相手を尾行するエネルギーの持ち主なのだ。これだからメカニックはとキャサリンが肩を竦めれば、きっとタケルの姉の話をしているときの彼女も似たようなものだと果たして何人が指摘できるだろう。タケルはきっと穏やかに微笑んでキャサリンの、ともすれば侮辱されたと腹を立ててもいいような言葉を聞き流すのだ。彼女の直線を、タケルは感心して眺めている。突き進む情熱を尊んでいる。その為のエネルギーを貯蓄するタンクが、キャサリンのよりもずっと小さいのだとタケルは言う。だから本当は、部屋に閉じこもって一日中LBXを弄っている方が健康の為にもいいのだと。
 ――expedient!
 タケルの言い分を、キャサリンは一言で断じた。流暢な発音は、彼女の生まれ故郷の匂いがした。遠くから来たのだなと、タケルは感心してその意味を深く考えることはしなかった。吊り上がった眉を見れば、彼女の心情など手に取るようにわかるのだ。その知ったかぶりが猶更腹立たしいのだとキャサリンは彼の足を踏んづけたけれど、そんな簡単に自分のことをわかってくれる人間がいることが面白くもあったから、こんな風に後ろから羽交い絞めに近い拘束感を好意的に解釈して抱きしめられていると捉えてあげられる。
 タケルが大きく息を吐いた。生温さが当たって首筋が粟立つ。タケルの頭がキャサリンの後頭部から肩に移って、ぐりぐりと押し付けられた。流石に痛いと彼の頭を数回叩く。のろのろと上がった顔に浮かぶ表情には不満の色しかなく、それはこっちが浮かべるべきものじゃないかと気の短い彼女は憤慨する。

「優しくない」
「アタシはいつだって優しいわよ!」
「えー?」
「何で疑問形なのよ!」

 両脚をばたつかせて抗議する。そしてようやくタケルはキャサリンを解放した。同時に飛び退くような警戒心を持っていない彼女は座る位置を僅かにずらして彼の顔を正面から覗きこめるようになる。やはり、顔色が良くないように見えた。

「――寝れば?」
「寝たら、帰っちゃうんでしょ」
「だって暇になるじゃない」
「だから寝ないんだってば」
「…………」
「…………」
「はっきり傍にいてって言えないわけ?」
「だって恥ずかしいじゃないか」

 お互いに何を言っているんだこいつはという顔で見つめ合う。傍にいて欲しいと言葉にすることと、何も言わずに後ろから抱き締めることの羞恥心は同じ天秤に乗せられないらしい。それがキャサリンには不思議だった。もしかしたら、まずは行動するという果敢な振る舞いなのかもしれない。わかりにくいから、キャサリンとしてはまずは言葉にしてくれた方が大いにありがたいことに変わりはないけれど。
 数十秒睨み合って、しかし疲れが溜まっているのは事実なのだろうタケルはまた大きく息を吐いた。俯いたまま、か細い声で――これは疲労よりも気恥ずかしさのせいだろうが――言った。

「元気が足りないから、抱きしめてもいい?」

 キャサリンの返答は、もっと簡潔に言いなさいよと憤慨を滲ませながらも、「――expedient!」という一語と共に広げられた両腕が彼女の意志をタケルにしっかりと伝えていた。



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言葉のない庭
Title by『にやり』


expedient→1回目は方便、2回目は適切、といったニュアンスで捉えていただけると幸い。文法とか、気にしない。



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